年別アーカイブ: 2010

【其ノ三十】 噺家の手ぬぐい

柳家さん生・・・昭和32年、富山市西町に生まれる。上野鈴本演芸場等、寄席定席に出演のかたわら、都内各所にて勉強会、独演会を精力的に開催、活躍中。 【Facebook】https://www.f...

業際化をすすめ果敢な挑戦で飛躍

株式会社インテック 代表取締役会長 中尾 哲雄さん Tetsuo Nakao  大学卒業後、日興証券を経て富山商工会議所に中小企業経営指導員として入所、同時に㈱富山計算センター(1970年、社...

舟橋にまつわる話

 江戸時代から明治初期にかけて神通川に架かっていた舟橋(現在、松川に架かる舟橋はその名残)にまつわる話をいくつか紹介しよう。 ▼舟橋の下には、巨大なカレイが生息していて、人が通ると反転して白い...

「全国疎水百選」認定 舟倉用水(富山市)

20年かけ完成  江戸時代後期、砺波郡内島村(現・高岡市)の十村(とむら)役(大庄屋に相当する役職)であった五十嵐孫作・篤好(あつよし)父子は、時の加賀藩主の開墾奨励により、水に恵まれず、不毛...

最初の船橋はどこにあったのか?

▲「神通川 船橋の図」松浦守美(1824〜1886)  株式会社 源 所蔵    神通川に最初に船橋が架けられたのは、高瀬保氏の「神通川船橋考」による慶長10(1605)年、あるいは...

辺呂川(富山市婦中町)

六治古(ろくぢこ)伝承の地  辺呂川にまつわる伝承がある。この川の近くに六治古という男が住んでいた。貧しいが老いた母に孝養を尽くしていた。年の暮れ、母に食べさせる為、市に出て生きた鮭を買い、そ...

いたち川沿いの立山禅定道(富山市)

かつての立山登拝の道をめぐる  江戸時代の立山登山はずっと徒歩で行くのが普通だった。その道は幾筋もあったそうだが、主たるものはいたち川ぞいの道だったという。そこで、今回は、いたち川の取水口まで...

【其ノ二十八】 二っ目昇進

柳家さん生・・・昭和32年、富山市西町に生まれる。上野鈴本演芸場等、寄席定席に出演のかたわら、都内各所にて勉強会、独演会を精力的に開催、活躍中。 【Facebook】https://www.f...

前田利家公の墓

 江戸時代、越中は、前田利家を藩祖とする加賀藩(加賀前田家)と、その支藩・富山藩(富山前田家)によって治められていました。では、藩祖・前田利家のお墓はどこにあるかご存知でしょうか?  県内で藩...

130艘の仮舟橋

 今年5月号の『富山の風景』で江戸時代初期の神通川下流は、現在より西側を流れ、1659年の大氾濫で東側にも流れができ、二又川となり、1668年の洪水で、東側が本流となったという話をご紹介しまし...