舟橋大明神(富山市)
江戸時代から明治15年頃まで、今の松川の「舟橋」のところから北に向かって、当時ここを流れていた神通川に64艘の船を雌雄二筋の大きな鎖によって繋ぎ、上に板を敷いた「船橋」が架けられていました。
そして、北から32艘、南から32艘の中央に、丁子梅鉢の富山藩の定紋が入った2尺(約60㎝)ほどの大きな錠が懸けられていました。錠前の鉄板には〝舟橋大明神〟の御神号が彫刻されており、心ある人は舟橋を渡る時はかならず錠の前で笠を脱いで頭を下げて通ったそうです。
なお、鍵の一つは富山藩に保管され、一つは船頭町三十二人衆の頭役の家に保管されていました。
明治16年に船橋が木橋に架け替えられてからも、笹倉丈次郎さんという方の家に保管され、その後、川幅が拡げられる時に、常夜灯の中に御神体として埋めたそうです。
参考文献/「橋北夜話」(橋北文化会発行)