『小牧・長久手合戦』

 

『小牧・長久手合戦』
平山優 著
角川新書 1210円

 

佐々成政はなぜ「さらさら越え」を
決行したのか?その背景がわかる本

 富山城主だった佐々成政が、家康に会うため、家臣らと共に厳冬の積雪期の北アルプスを踏破した「さらさら越え」がよく知られていますが、なぜ、そんな危険を冒したのでしょうか?
 当時は、本能寺の変で織田信長が亡くなった後に主導権を握った羽柴(豊臣)秀吉と、それに危機感を募らせた反秀吉勢力による、天下の覇権をかけた大激突の時代でした。織田家の後継者と領地配分を決める「清洲会議」で秀吉は、信長の嫡男・信忠の遺児である三法師を擁立し、織田家の主導権を握りますが、これに不満を持った織田家筆頭家老の柴田勝家や、信長の三男である織田信孝らとの対立が激化。しかし、翌年の賤ヶ岳の戦いで秀吉が勝家を破り、信孝を自害に追い込んだことで、秀吉の権力は決定的なものとなりました。秀吉の次なる標的となったのが、信長の次男である織田信雄(のぶかつ)でした。信雄は当初、秀吉側についていましたが、秀吉が自分を君主として敬わず、織田家を事実上乗っ取ろうとしていることに気づき、激しい危機感を抱きます。そこで信雄が頼ったのが、かつて父・信長と強固な同盟(清洲同盟)を結んでいた徳川家康でした。そして、紀伊の根来衆・雑賀衆、四国の長宗我部元親、越中の佐々成政も共に秀吉に対抗しました。
 小牧・長久手の戦いは、現在の愛知県(尾張・三河)を舞台に繰り広げられた大合戦で、当初は織田・徳川連合軍が完全な勝利を収めました。しかし、その後、秀吉は信雄の領地(伊勢や尾張南部)に猛烈な別方面作戦を展開し、信雄はそれに耐えきれず、秀吉と和睦を結んでしまいます。そのため、家康も戦う大義名分を失い、秀吉と和睦します。これを知った成政は愕然とします。「これでは孤立してしまう。家康殿に直接会って、もう一度秀吉と戦うよう説得するしかない!」こうして、成政は厳冬期の北アルプスを踏破することになるのです。しかし、家康の考えは変わらず、成政は空しく帰国します(その後、富山城を囲まれ、秀吉に臣従)。
 この本は、あまり注目されることのない小牧・長久手合戦を正面から扱った貴重な本です。

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