『物語 パリの歴史』

 

『物語 パリの歴史』
福井憲彦 著
中公新書 990円

 

ナポレオン三世とオスマンのパリ大改造など、パリの歴史がわかる本

 「序章」には、「セーヌがなければパリはない?」という見出しの文章があり、「セーヌ川は重要な交通路であり、移動や水運を可能にしていた」と述べ、「中世からパリ市の紋章に船が描かれるのは、まさにセーヌとの関わりの重要性を示している。パリは、港であった。もちろんセーヌの川港である。歴史的にはいくつもの荷揚げ場がセーヌ沿岸にあったが、とくに今の市庁舎前広場の位置にはグレーヴ広場が広がっていて、18世紀末になるまで護岸は完成されずに砂利の浜辺をなしていた」と解説されている。
 有名なナポレオン三世と県知事オスマンによる大改造についても触れられている。ナポレオン三世は、皇帝ナポレオンの甥(弟の息子)としてチュイルリー宮殿で生まれたが、帝政が崩壊してから亡命生活を送った。ロンドンなどでの見聞から、これからの首都には、ロンドンのハイドパークのような市民がゆっくり過ごせる緑豊かな大きな公園や小緑地を確保し、他方で、鉄道の駅と市内を良好にリンクさせ、市場や商店、娯楽文化施設を適切に配置し、市内に南北、東西の軸線となる大通りを配置することなど、かなり具体的なイメージを持っていたという。
 ナポレオン三世は、大統領時代から執務室にパリの大地図を掲げ、そこに色付けされた線を自ら引いて、パリの近代的改造に向かうべきプランを考え始めていたそうだ。その後、ジロンド県の県知事であったオスマンが、第二帝政に入ってまもなくセーヌ県知事となり、パリ大改造の陣頭指揮に当たった。ほぼ16年の間に、約8万人の労働者を動員して、4万件の建物を建て、総延長64㎞の通り、総延長585㎞の上水道と下水道を中心とした道路地下の共同溝をつくり、約50万本の樹木を植えた。また、ストリートファニチャと言われる噴水や花壇も設置した。
 なお、当時、病気がはやるのは「悪い空気」がよどんで溜まっているからだという「瘴気論」が有力視され、空気を流すことがこの大改造においても、重要な推進概念の一つになったという。

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