“水の都”のストーリーを生かし、物語性のある街づくりを!
松川は他都市にはない大変な財産、
宝石に変えられる
世界中の町づくりを見てきましたが、富山はサンアントニオと同じ、まさしく川が街の中心をなしている、大変ユニークな都市です。ただ、生かし切れていません。ダイヤモンドに例えれば原石のままです。この松川を生かした街づくり、「夢の神通回廊」の創造が出きるかが、未来の富山を決定するでしょう。
サンアントニオの成功例を見ると、ハグマンが川を修景することが市の発展と将来にとっていかに重要であるか、各種団体を説得して回りました。しかし、当時の市長は、河川修景に必要な資金を確保できないとの理由で、この事業を前進できませんでした。
しかし、ハグマンは諦めませんでした。彼は、サンアントニオ川が、市の発展と将来を決定することを夢見て努力し続けたのでした。
そこにホテルの支配人で、後のサンアントニオ市長となるジャック・ホワイトが、ハグマンの有力な支援者としてあらわれます。彼はハグマンの原案に賛同し、河川修景を前進させるため、ねばり強く市民団体の前に出かけ、新たな団体を結成する行動をとることで、サンアントニオ川を美化するための努力を続けました。ジャック・ホワイトは、河川美化委員会の会長として精力的に働き、河川修景事業により、世界的観光リゾート地を作り上げたのです。
リチャード・ハード氏が、「川と街づくり国際フォーラム」で重要な発言をしています。
「色んな才能を持った人が、パズルのように集まった時に、この夢が叶うんだと思います。松川の修景事業により、富山は国内のどの都市よりも個性的な都市として輝くことになるでしょう。世界中から観光客がやってくるに違いありません」
▼リバー劇場と遊覧船が、リバーウォークの魅力をさらに高めている。(サンアントニオ)
▼木漏れ日の中、カフェでランチをする前を遊覧船が通り過ぎていく。(サンアントニオ)
全米ナンバーワンの人気都市・サンアントニオから、姉妹都市の申込みを受けた富山市。「ブタに真珠」のことわざのとおり、松川の価値がわからなければ、宝石に変えることもできないでしょう。
渡邊 明次 さん
1935年、静岡県生まれ。博士(工学)。1958年、関東学院大学工学部建築学科卒業。1962年、イリノイ工科大学大学院建築学科卒業。ミース・ファン・デル・ローエ 事務所。1965、三井霞が関ビル(地上36階日本最初の高層建築)設計参加。1981年、関東学院大学工学部建築学科 教授。2005年、関東学院大学名誉教授。著書に、『世界の村おこし・町づくり』(講談社現代新書)など。2003年9月に開催された、神通川馳越線工事100年記念、「川と街づくり国際フォーラム」で、コーディネーターを務めた。