【再掲載】「文化は造り出すもの」 栂野守雄(富山県護国神社宮司)

 富山県護国神社は県の公民館である、と私は考えています。もちろん戦没英霊を慰め、県の安寧を祈るのが私の仕事ですが、地域の人々が何か催しをしたいと言われれば積極的に場所を提供し、その成功のためにお手伝いしたいと思っています。それは同時に、賑わいが少ないと言われているこの富山に、独自の文化を発展させることにもつながるのですが、ただ「住民の皆さんがもう少し協力してくれたら…」と、しばしば残念に思います。
 例えば、当神社毎月恒例の、のみの市。毎回100店以上もの出店があり、福井や名古屋、大阪など、全国から6000人以上の見物客が訪れる大きな行事なのですが、皆さんがもう少し関心を持って「これはいいことだからもっと拡大して、華やかにしよう」と考えて頂ければ、平和通りから西町まで、のみの市の賑わいをずっとつなげることができます。少し伸ばすことによって、様々なポイントが線で結びついていく。あちこちで似たような催しが開催されていますが、今は全くつながっていません。
 また、神社から話はそれますが、これからの街づくりについて私は城址公園をもっと有効に利用すべきだといろんな人に言っています。しかし、誰も耳を傾けようとはしません。市内の中心に位置するあの広大な土地に、例えば兼六園に負けないような日本庭園を作って、誰もが楽しめる場所にしたらどうでしょうか?富山の課題は中心になるものがないということ。へそのない街に、それ以上の発展はあり得ないのです。
とにかく、今のままの消極的な姿勢は何としてでも変えていかねばなりません。
 いつになるかは未定ですが、ぜひ、磯部の御庭を再現したいと思っています。ここは元、磯部の御庭があった場所ですし、立派なものでなくていいから、神社の運営できる範囲で少しずつ、復興計画を進める予定です。
 願わくば、ここから富山独自の文化の芽を育てていきたいですね。文化は創り出すもの。神社は霊を慰め、神をあがめ奉る場であると同時にコミュニティの場でもあります。一宮司としてここに在るからには、皆さんと共にできる限り富山の発展に力を尽くしていきたいですね。

 

磯部の街庭
1570年、富山城主・神保長住が磯部(現在の護国神社及びその周辺)に城の外庭を造ったのが始まり。1688年、2代藩主・前田正甫が、この跡に15年かけて日本八景を模した一大庭園を築き、その規模の豪壮なことは兼六園にも劣らぬ立派なものであったという。

※1995年4月号で掲載したものを再編集しました。

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