社殿が文化財に指定されて100年を迎えた埴生護国八幡宮(小矢部市)
▲日本一の源義仲像の前に設置された紹介パネル。 埴生護国八幡宮(埴生雅章宮司)の社殿が、大正13(1924)年に特別保護建造物に指定されてから100年を迎えた。その価値を多くの人に知ってもら...
▲日本一の源義仲像の前に設置された紹介パネル。 埴生護国八幡宮(埴生雅章宮司)の社殿が、大正13(1924)年に特別保護建造物に指定されてから100年を迎えた。その価値を多くの人に知ってもら...
▲レンガ造りの給水口 上の写真のレンガ造りの施設は、手取川七ヶ用水給水口と呼ばれ、手取川から取り入れられた水が、幹線水路に供給される場所となっている。1800年代後半から、それまで手取川右岸...
大河津分水路は、新潟県を流れる信濃川の分水路で、越後平野中央部で信濃川と分岐後、燕市と長岡市の境界付近を流れ、日本海に至る。新潟市の関屋分水とともに、信濃川の2つの分水路の一つ。信濃川の流量...
金沢市片町にある、前田土佐守家資料館。ここは、加賀藩祖・前田利家の次男・前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設である。 ...
3月16日㈯の北陸新幹線 金沢―敦賀間の開業にあわせ、今回は福井駅から近い柴田神社(北の庄城址)をご紹介しよう。 この場所には、柴田勝家が築城した北庄城の天守があったとされる。織田信長の安...
県内最古の円筒分水槽 今年の4月号で魚津市の東山円筒分水槽と貝田新円筒分水槽をご紹介しましたが、ここでは、県内で最も早く完成したという赤祖父円筒分水槽を見てみましょう。 ちなみに、県内に...
源平合戦に勇名を馳せた越中宮崎一族の祖の末裔が入善町に寄贈 黒部川扇状地や富山湾が一望でき、散居村と富山湾が織りなす四季の絶景を見ることができる舟見城址館。平成3年、初代城主・入善小太郎の末...
今年1月、古代から信仰の対象として崇拝される「日本三霊山」がある静岡県、富山県、石川県の3知事が、地域振興に向けた連携協定を締結した。 弊誌では2020年10月号で、霊峰立山を御神体山とす...
弊誌でよく紹介している、アメリカ・テキサス州サンアントニオ市中心部のリバーウォーク。地下深くに掘られた2つの巨大なトンネルによって洪水を防いでいる。 サンアントニオ市の年間降水量は約800...
▲貯留管の内部(2014年9月20日の地元町内会向けの見学会より) 富山市では、戦災復興都市計画事業の着手と共に、1952年から下水道の調査と計画に着手し、中心市街地である富山駅南側から城南...
▲1930(昭和5)年の地図〔「今昔マップ on the web」(©谷 謙二)〕 大正2(1913)年4月1日、富直線(北陸本線の富山駅―直江津駅間)が開通しました。7月には神通川旧流路に...
かつて、何度も大洪水が発生した神通川。近年、ゲリラ豪雨が増え、今後のことはわからないものの、現在では余程の大雨が降らない限り、神通川が溢れる心配はなくなった。今回は、明治時代の治水事業につい...
神通川では、鮎・鮭・鱒が多く捕れたため、戦前には皇室の「御猟場」(皇室専用の狩猟場)にも指定されたという話をお聞きになった方も多いだろう。今回は、このことについて深堀りしてみよう。 『神通...
日本の新しい音楽のさきがけとなった、滝廉太郎。廉太郎の父・吉弘は、明治19年8月28日に富山県書記官(今の副知事に相当)に着任し、7歳になったばかりの廉太郎少年も富山市に転居した。 さて、...
富山市本丸亭は、茶室「碌々亭」と、増築棟の総称。「碌々亭」は当初、明治時代中期に飛騨高山の永田家に建てられたが、昭和23年秋に実業家で茶人でもあった佐藤助九郎(助庵)が譲りうけ、富山へ移築さ...