カテゴリー: とやまの話

刀尾神社、刀尾寺(富山市太田南町)

  刀尾神社は、古来、立山七社に数えられ、江戸時代を通じて西国方面からの立山参詣者は必ず立ち寄らねばならない、立山参道の西の玄関口であった。  手力男命を主祭するが、剱岳の地主神・刀尾天神(刀...

神三ダムと牛ヶ首用水取水口(富山市)

 神三ダム(別称/神通川第三ダム)は、神通川に建設された高さ15・5メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力の発電用ダムである。同社の神通川第三発電所(右岸側ダム直下に位置)および神通川第...

浮田家(富山市)

 浮田家は代々、加賀藩・前田家の奥山廻役を命じられ、一時は三千石の格式を誇った旧家。奥山廻役とは、北アルプス立山・黒部の国境警備や山林保護を担う役職で、1870(明治3)年の職制廃止まで浮田家...

慈眼山 正源寺の鳴龍(富山市西番)

 西番の霊園の入口近くにある正源寺(曹洞宗)は、天正の頃(1573年〜1592年)、時の富山城主が、常願寺川氾濫防止の祈祷寺として地方の豪族・五十嵐次郎左エ門頼房等に建立させたという。そして、...

横江頭首工 農業用水を安定的に取水

 横江頭首工は、富山平野の農地(約7,900ヘクタール)を灌漑する農業用水を常願寺川から安定的に取水するため、昭和17(1942)年から10年間にわたって国営農業水利事業で建設された。  その...

呉羽山・長慶寺と立山地獄谷

 呉羽山の五百羅漢などの石仏群を管理している長慶寺は、天明6(1786)年、塩野(富山市。旧大沢野町)にあった寺をこの地に移し、真言宗から曹洞宗に改めたという。寺は「立山の地獄谷に相対す」とい...

磯部の堤(富山市)

かつての神通川の堤防  「磯部の堤」と呼ばれる松川の堤防は、古くは神通川の堤防で、各所に昔の面影を残しています。  昔の神通川は、大雨のたびに氾濫し、磯部をはじめとする付近一帯はしばしば水害に...

今の橋は3代目 富山大橋の変遷

 今回は、日々多くの人々が利用している富山大橋の歴史について、橋のたもとにある案内板をもとに見ていきたい。  現在の富山大橋は3代目で、初代の富山大橋は明治42(1909)年、神通川西岸に移駐...

木町の浜の万霊塔と観音堂

 松川に架かる桜橋のたもとに、「木町の浜と万霊塔」と書かれた案内板があります。今の松川は神通川の古い河道の名残りで、かつての神通川といたち川が合流する一帯は「木町の浜」と呼ばれていました。神通...

牛島閘門

いたち川と富岩運河をつなぐ  5月号の「読者からのおたより」に〝環水公園の牛島閘門を船が通れるなら、松川〜環水公園〜岩瀬の区間で「富山市内どんぶらこツアー」ができると面白いですね〟という投稿を...

舟橋の橋台

明治15年、船橋から神通橋に架け替えられた時に富山城二の丸の石垣を転用  松川に架かる舟橋の橋台は、石垣になっています。昭和62年に舟橋が改修された際、橋台部から大量の石垣石材が見つかり、調査...

佐々成政剃髪阯

豊臣秀吉に破れ、 服従の意志を示した場所   呉羽山にある富山市民俗民芸村の考古資料館の向かいに、佐々成政剃髪阯という石碑がひっそりと立っている。  案内板によると、天正13年(1585年)、...