高岡古城公園(高岡市)
加賀前田家二代当主・前田利長公は、天正13(1585)年から13年間、二上山上にあった守山城の城主で、慶長3(1598)年に利家の後を継ぎ藩主となり、同10(1605)年には隠居して富山城に...
加賀前田家二代当主・前田利長公は、天正13(1585)年から13年間、二上山上にあった守山城の城主で、慶長3(1598)年に利家の後を継ぎ藩主となり、同10(1605)年には隠居して富山城に...
2019年12月号の「地域の雑学」コーナーで「滝廉太郎が住んでいた頃の富山を探る」と題し、船橋の後の神通橋(明治15年12月架橋)の東側の神通川沿い(現在の松川べりの「親水のにわ」付近。旧塩...
江戸時代、神通川は河口から6㎞~8㎞にかけ大きく東に屈曲して、現在の松川、いたち川の川筋を流れていました。そのため、水害が絶えず、明治34年(1901年)から36年(1903年...
江戸時代から明治15年頃まで、今の松川の「舟橋」のところから北に向かって、当時ここを流れていた神通川に64艘の船を雌雄二筋の大きな鎖によって繋ぎ、上に板を敷いた「船橋」が架けられていました。...
2020年8月号の「富山の風景」コーナーで、「磯部五如来像と地蔵菩薩像」を取り上げました。その時、東からの四ツ谷川と南東からの冷川が落ち合って松川となった流れが、南南東からの宮田川(佐野川)...
2018年2月号の当コーナーで、「富山町の水車(カッチャ)」と題し、かつての磯部村やいたち川沿いの水車を紹介した他、同年5月号の『地域の雑学』コーナーでも、「いたち川の水車跡?」と題して、い...
今回は、2010年5月号の「古川…かつての神通川河口の名残り」の中でも少しご紹介した「西岩瀬諏訪社の大けやき」をピックアップ。 この大けやきは、幹まわりが10m近くもある巨幹で、高さ5m...
刀尾神社は、古来、立山七社に数えられ、江戸時代を通じて西国方面からの立山参詣者は必ず立ち寄らねばならない、立山参道の西の玄関口であった。 手力男命を主祭するが、剱岳の地主神・刀尾天神(刀...
神三ダム(別称/神通川第三ダム)は、神通川に建設された高さ15・5メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力の発電用ダムである。同社の神通川第三発電所(右岸側ダム直下に位置)および神通川第...
西番の霊園の入口近くにある正源寺(曹洞宗)は、天正の頃(1573年〜1592年)、時の富山城主が、常願寺川氾濫防止の祈祷寺として地方の豪族・五十嵐次郎左エ門頼房等に建立させたという。そして、...
横江頭首工は、富山平野の農地(約7,900ヘクタール)を灌漑する農業用水を常願寺川から安定的に取水するため、昭和17(1942)年から10年間にわたって国営農業水利事業で建設された。 その...
呉羽山の五百羅漢などの石仏群を管理している長慶寺は、天明6(1786)年、塩野(富山市。旧大沢野町)にあった寺をこの地に移し、真言宗から曹洞宗に改めたという。寺は「立山の地獄谷に相対す」とい...
近代日本の生んだ代表的作曲家、滝廉太郎(1879〈明治12〉年8月24日、東京生まれ)は、内務省官僚の父・吉弘氏が1886(明治19)年8月に富山県書記官(現在の副知事に相当)として赴任した...