カテゴリー: とやまの話

いたち川の水神社

 「水神様」と言えば、稲田の神様と結びつき、水田のそば、河川や用水路沿いに多く祀られているそうです。  さて、いたち川にも多くの水神社がありますが、ここでは、「月見橋」上流の両岸にある水神様を...

富山城下への境目 足洗川があった場所

   太田口通りの途中、日枝神社の近くに、右足を出したお地蔵さんがいるのをご存知でしょうか。看板を見ると、「足洗地蔵(一休地蔵)」とあります。『太田口通り界隈史話』(廣瀬誠氏)による解説が書か...

富山町の水車(カッチャ)

 いたち川沿いに水車(富山では、「カッチャ」と呼ばれたそう)があったという話を聞かれたことがある方が多いと思います。  『富山柳町のれきし』という本によると、富山町で水車のことが初めて出てくる...

薬学校の設立

私立から市立へ  『富山大学五十年史』(編集/富山大学年史編纂委員会、平成14年)によると、富山における公的薬学教育のスタートは、明治11年(1878年)に、富山市総曲輪(現在の市民プラザの場...

安政飛越地震と神通川

 今月の「富山の風景」でもご紹介している安政5年(1858)2月26日(現行暦の4月9日)の「安政飛越大地震」については、常願寺川関連の被害ばかりが言われていますが、神通川関連でも舟橋が流出す...

130艘の仮舟橋

 今年5月号の『富山の風景』で江戸時代初期の神通川下流は、現在より西側を流れ、1659年の大氾濫で東側にも流れができ、二又川となり、1668年の洪水で、東側が本流となったという話をご紹介しまし...

阿尾城と利家、成政

 1583年4月、賤ヶ岳の戦の後、前田利家は能登一国と加賀の石川・河北の二郡を加増され、七尾から金沢に移った。前田氏の所領は長さは長いが、中部は特に狭く、事がおこれば寸断される恐れがあった。利...