富山県指定天然記念物 西岩瀬諏訪社の大けやき(富山市)
今回は、2010年5月号の「古川…かつての神通川河口の名残り」の中でも少しご紹介した「西岩瀬諏訪社の大けやき」をピックアップ。 この大けやきは、幹まわりが10m近くもある巨幹で、高さ5m...
今回は、2010年5月号の「古川…かつての神通川河口の名残り」の中でも少しご紹介した「西岩瀬諏訪社の大けやき」をピックアップ。 この大けやきは、幹まわりが10m近くもある巨幹で、高さ5m...
刀尾神社は、古来、立山七社に数えられ、江戸時代を通じて西国方面からの立山参詣者は必ず立ち寄らねばならない、立山参道の西の玄関口であった。 手力男命を主祭するが、剱岳の地主神・刀尾天神(刀...
神三ダム(別称/神通川第三ダム)は、神通川に建設された高さ15・5メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力の発電用ダムである。同社の神通川第三発電所(右岸側ダム直下に位置)および神通川第...
西番の霊園の入口近くにある正源寺(曹洞宗)は、天正の頃(1573年〜1592年)、時の富山城主が、常願寺川氾濫防止の祈祷寺として地方の豪族・五十嵐次郎左エ門頼房等に建立させたという。そして、...
横江頭首工は、富山平野の農地(約7,900ヘクタール)を灌漑する農業用水を常願寺川から安定的に取水するため、昭和17(1942)年から10年間にわたって国営農業水利事業で建設された。 その...
呉羽山の五百羅漢などの石仏群を管理している長慶寺は、天明6(1786)年、塩野(富山市。旧大沢野町)にあった寺をこの地に移し、真言宗から曹洞宗に改めたという。寺は「立山の地獄谷に相対す」とい...
近代日本の生んだ代表的作曲家、滝廉太郎(1879〈明治12〉年8月24日、東京生まれ)は、内務省官僚の父・吉弘氏が1886(明治19)年8月に富山県書記官(現在の副知事に相当)として赴任した...
今回は、日々多くの人々が利用している富山大橋の歴史について、橋のたもとにある案内板をもとに見ていきたい。 現在の富山大橋は3代目で、初代の富山大橋は明治42(1909)年、神通川西岸に移駐...
2014年9月号の「富山の風景」コーナーで円隆寺の「さんさい踊り」を取り上げた時、富山藩では盆踊りが禁止され、「さんさい踊り」は子どもの盆踊りのために唯一許されたとご紹介した。今回は、もう少...
松川に架かる桜橋のたもとに、「木町の浜と万霊塔」と書かれた案内板があります。今の松川は神通川の古い河道の名残りで、かつての神通川といたち川が合流する一帯は「木町の浜」と呼ばれていました。神通...