浮田家(富山市)
浮田家は代々、加賀藩・前田家の奥山廻役を命じられ、一時は三千石の格式を誇った旧家。奥山廻役とは、北アルプス立山・黒部の国境警備や山林保護を担う役職で、1870(明治3)年の職制廃止まで浮田家...
西番の霊園の入口近くにある正源寺(曹洞宗)は、天正の頃(1573年〜1592年)、時の富山城主が、常願寺川氾濫防止の祈祷寺として地方の豪族・五十嵐次郎左エ門頼房等に建立させたという。そして、...
横江頭首工は、富山平野の農地(約7,900ヘクタール)を灌漑する農業用水を常願寺川から安定的に取水するため、昭和17(1942)年から10年間にわたって国営農業水利事業で建設された。 その...
呉羽山の五百羅漢などの石仏群を管理している長慶寺は、天明6(1786)年、塩野(富山市。旧大沢野町)にあった寺をこの地に移し、真言宗から曹洞宗に改めたという。寺は「立山の地獄谷に相対す」とい...
近代日本の生んだ代表的作曲家、滝廉太郎(1879〈明治12〉年8月24日、東京生まれ)は、内務省官僚の父・吉弘氏が1886(明治19)年8月に富山県書記官(現在の副知事に相当)として赴任した...
今回は、日々多くの人々が利用している富山大橋の歴史について、橋のたもとにある案内板をもとに見ていきたい。 現在の富山大橋は3代目で、初代の富山大橋は明治42(1909)年、神通川西岸に移駐...
2014年9月号の「富山の風景」コーナーで円隆寺の「さんさい踊り」を取り上げた時、富山藩では盆踊りが禁止され、「さんさい踊り」は子どもの盆踊りのために唯一許されたとご紹介した。今回は、もう少...
松川に架かる桜橋のたもとに、「木町の浜と万霊塔」と書かれた案内板があります。今の松川は神通川の古い河道の名残りで、かつての神通川といたち川が合流する一帯は「木町の浜」と呼ばれていました。神通...