カテゴリー: とやまの話

富山駅ができた経緯を振り返る

 もうすぐ富山駅の南北自由通路を通って、北と南を行き来しやすくなるという大きな節目を迎える。そこで、今回は富山駅ができた経緯を簡単にふりかえってみたい。  明治25年の鉄道敷設法で北陸線が西か...

富山のまちなかの2つの白山神社

 白山神社と言えば、石川県白山市の霊峰白山を御神体とする「白山比咩神社(加賀一ノ宮)」が有名だが、実は、富山市のまちなかにも白山神社がある。郷社 白山神社(富山市中野新町)と村社 白山社(富山...

いたち川の水神社

 「水神様」と言えば、稲田の神様と結びつき、水田のそば、河川や用水路沿いに多く祀られているそうです。  さて、いたち川にも多くの水神社がありますが、ここでは、「月見橋」上流の両岸にある水神様を...

富山城下への境目 足洗川があった場所

   太田口通りの途中、日枝神社の近くに、右足を出したお地蔵さんがいるのをご存知でしょうか。看板を見ると、「足洗地蔵(一休地蔵)」とあります。『太田口通り界隈史話』(廣瀬誠氏)による解説が書か...

富山町の水車(カッチャ)

 いたち川沿いに水車(富山では、「カッチャ」と呼ばれたそう)があったという話を聞かれたことがある方が多いと思います。  『富山柳町のれきし』という本によると、富山町で水車のことが初めて出てくる...

八幡社(富山市民俗民芸村入口)

義仲四天王の一人、今井四郎兼平が勝利を祈願した場所  信濃に兵をあげた木曽義仲が平氏を追って京都に攻め上がる時、加賀での敗戦で援軍を乞う知らせをうけ、ただちに越後から今井四郎兼平を先発として越...

千歳御殿に因み千歳神社と改称

 富山市千歳町、与茂太郎川そばにある千歳神社。富山の土地神として最も古い神明社とされる。天正9(1581)年、佐々成政が、越中54万石を領して富山城主となった時、この神明社を産土大神として崇め...

薬学校の設立

私立から市立へ  『富山大学五十年史』(編集/富山大学年史編纂委員会、平成14年)によると、富山における公的薬学教育のスタートは、明治11年(1878年)に、富山市総曲輪(現在の市民プラザの場...

5代藩主前田利幸〈としゆき〉公と宝暦事件

事件に関わった叔父・利寛〈としひろ〉  12月号で、富山売薬を産業として育てた5代藩主・前田利幸公をご紹介した。利幸公は、『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』の中で、著者の遠藤和子氏...

安政飛越地震と神通川

 今月の「富山の風景」でもご紹介している安政5年(1858)2月26日(現行暦の4月9日)の「安政飛越大地震」については、常願寺川関連の被害ばかりが言われていますが、神通川関連でも舟橋が流出す...

130艘の仮舟橋

 今年5月号の『富山の風景』で江戸時代初期の神通川下流は、現在より西側を流れ、1659年の大氾濫で東側にも流れができ、二又川となり、1668年の洪水で、東側が本流となったという話をご紹介しまし...

阿尾城と利家、成政

 1583年4月、賤ヶ岳の戦の後、前田利家は能登一国と加賀の石川・河北の二郡を加増され、七尾から金沢に移った。前田氏の所領は長さは長いが、中部は特に狭く、事がおこれば寸断される恐れがあった。利...