歴史と伝統の上に風格ある街づくりを。

富山市制施行130周年記念

平成17(2005)年4月、7市町村が合併して「新・富山市」が誕生したが、旧富山市に市制が施行されたのは明治22(1889)年4月1日。全国で初めて市制が施行された日であり、富山市は130年という長い歴史を持つ。今回は市制100周年記念で行った、当時の正橋正一市長へのインタビュー(聞き手/グッドラックとやま発行人・中村孝一)を振り返り、これからの歴史と伝統を生かした街づくりについて考えてみたい。

 

 

自然・歴史・文化を生かす街づくりを

中村 市制100周年ということで市長さんもいろいろ抱負を持っていらっしゃると思うのですが、今日は富山の街の魅力づくりに絞ってお伺いしたいと思います。

正橋 まず、今年富山市が100周年という記念すべき節目の年を迎えることができたことを、市民の皆さんとともに心から喜び合いたいと思います。富山市は東京や大阪市などと同時に100周年を迎え、大変な歴史と伝統のある都市であると言えます。今日の富山市の発展の基礎を築いてこられた先人のご努力、ご労苦に対して、改めて感謝したいと思います。
 やがて21世紀が到来しますが、更に都市間競争が激しくなってくると思います。それに打ち勝っていくためにも、市民1人1人の創造力や知恵をもとに、個性ある街づくりが大切であり、生きがいと安らぎのある環境の整備、行政と民間の恊働が最も重要ですね。

中村 駅前に「文化の街・富山」という看板が上がっていますけど、「何を指して富山の文化なんだろう」と。具体的なものが、目に見えないと、市民も自分の街に誇りが持てないですね。

正橋 富山にはかけがえのない自然、歴史、郷土意識を素材にした個性を形成する必要があると思います。今、市では松川、いたち川、赤江川の沿道の緑道化、大手町通りの歴史性を尊重した景観づくり、城址通りのシンボルロード化などの事業化を進めていますが、自然と歴史、文化を組み合わせた地域力の優れたふるさとづくりが大切ですね。

中村 都市間競争の真っただ中にあって、私共市民が身近に脅威を感じているのがお隣の金沢です。磁力の強い都市が弱い都市を吸い寄せるのが道理ですので、同じ北陸の中で、何にポイントを置いて魅力づくりをするか問われているわけですね。

正橋 いろいろな考え方があろうかと思いますが、金沢は富山と同じ明治22年に市制が施行された街ですが、戦災に遭っていないために文化遺産が豊富に残っていますし、高等教育機関も多いですね。金沢はどちらかと言うと、消費型都市であると思います。
 それに比べて、富山は不幸にして戦災に遭い、歴史的なものは随分消失したわけです。しかし、非常に水資源の豊富な都市であり、昔から水を生かした産業立地、企業進出が盛んで生産型都市であると思います。
 それぞれの都市にはそれぞれの特色があっていいんじゃないかと思いますね。今日、一極集中とか多極分散とかいろいろ論議されていますが、何も第2の東京を作る必要はないんです。地方には、大都市にない自然や歴史、文化、資源がありますので、それを十分生かしていくべきです。

中村 文化芸術の街のイメージを醸し出している地方都市と言えば、仙台が思い浮かびますね。

正橋 仙台は緑が豊かな上、歴史と伝統があり、文化の香りも高く、戦災に遭いながら東北の中心都市として発展していますね。新幹線を利用すると東京から2時間足らずで、東京往復の空の便がなくなりましたね。いずれ富山もそういう時代が来るのではないでしょうか。

 

富山ゆかりの滝廉太郎を顕彰する

中村 仙台と言えば、富山にもゆかりのある『荒城の月』の作詩者、土井晩翠の故郷ですね。
 私どもも今、「文化の街・富山」が目に見えるよう、滝廉太郎さんをクローズアップさせているんです。『荒城の月』と言えば、全国どこへ行っても知らない人はいないですから、この〝『荒城の月』のふるさと〟という打ち出し方は、富山市が文化の街を掲げるためにも、とてもインパクトが強いですね。その一言が言える街は、作詞者・土井晩翠の故郷である仙台と、作詞のモデルとなった会津若松、作曲者・滝廉太郎が父の赴任で来ていた富山と、大分の竹田の4市だけですからね。
 しかし、他の3市に比べ、富山は一番知られていない。これは富山が、一番PRしてこなかったからだと言えます。そこでいろいろ調べたんですが、これまで言われていた竹田市の岡城は3万の島津の大軍に3度も攻められながら、一度も破れたことのない〝堅城〟であり、『荒城の月』の主題となっている物悲しげなメロディを生み出す歴史が、岡城には見出せないということです。
 それに比べ富山城はその歴史が示すように、上杉謙信に破れたり、城主の佐々成政が早百合姫の首をはねたり、その成政が秀吉に追われ切腹させられたりと、悲哀に満ちた史実が数多く残されています。廉太郎少年が最も感受性の強い年頃を富山城内で過ごし、街の人々からそうした話を聞かされながら育ったことを考えると、『荒城の月』の楽想を富山で得た可能性が最も大きいと言えます。
 このことは先日マスコミを通じて、全国各地の新聞・ラジオで報道されましたが、とても反響が大きく、改めて富山が滝廉太郎ゆかりの地として注目され始めていると言えます。

正橋 私も新聞を拝見しましたが、堺捨さん(富山市丸の内・堺捨マンション)の前に少年像が建てられたのは10年ぐらい前でしたね。その頃から富山にゆかりの方だとは存じていましたが、富山はPR不足のように思いますね。
 私は文化や特産品と言われるものは初めからあったものではなく、誰かがいつかの時代に作ったものが伝承され今日に至っているんだと言っているのですが、それをうまく育てていくことが大切であり、それが文化じゃないですかね。例えば、富山の特産品と言えばすぐ出てくるのが、「薬」と「鱒の寿司」で、それに続くものがなかなか出てこないと言われていますが、私はそれを作るべきだと言っているわけですね。

中村 そうなんですね。昨年夏の高校野球の時、NHKが富山商業のふるさとを、松川に遊覧船が行き交う様子を流して、富山は〝水の都〟であると、紹介していましたね。神通川から生まれた松川は、〝水の都とやま〟の顔、富山市民のシンボルだと思います。

 

城址公園に日本庭園の整備を

正橋 松川と城址公園一帯は、富山市民の誇りといってもいい素晴らしいものであると思います。

中村 そうですね。ただ城址公園の中は、もう少し整備する余地がありそうですね。面積があまり変わらないところで、熊本県の水前寺公園のようにとか。

正橋 城址公園も毎年整備し、市民の皆さんに利用されるように努力しています。一昨年でしたか、照明が暗くて怖いので夜は歩けないという話も聞きましたので、早速照度を上げたりしたんです。お堀端や天守閣に向けて照明を付けたりしましたので、随分明るくなったとお褒めの言葉をいただいています。
 城址大通りにしても、電線類を地下に埋めて景観がすっきりしたと思いますし、あの一帯に関しては富山市のシンボルロードとして心得てやってるつもりなんです。
 さらに城址公園内には、3年前はお茶を一杯飲む場所さえなかったんですが、ライオンズクラブの寄贈による茶店(現在は休業中)もでき、けっこう市民の皆さんに利用されています。お茶と団子それに甘酒、鱒の寿司などを置いて、観光客や市民の皆さんに利用されています。今、親水公園の工事もやっており、桜まつりまでに完成しますので、おおいにPRして下さい。

中村 城址公園について、市民にアンケートをとったところ、回答のあった内の84%の市民は現状に不満で、年何回かのイベントは他の場所に求めて、富山城の歴史に似合った日本庭園にしてほしいという意見が多かったですね。

正橋 日本庭園ね。

中村 広場をもう一段高くすると向こう側が見通せなくなって、公園に奥行きと深みが出せるんです。工夫次第では周りのビルなども目に入らないようにできると思います。城址公園の広さは6万6000平方メートルもあり、名園と言われる熊本の水前寺公園と同じ広さですし、香川県の栗林公園(7万5000平方メートル)、東京小石川の後楽園(6万8000平方メートル)とも大差ありませんしね。
 兼六園(10万平方米)の広さこそありませんが、幸い富山には日本一と言われるものがたくさんありますから、魚の宝庫と言われる富山湾を模した池を造り、その背後に立山連峰を模した山を造り、その山から称名滝がザーザーと音を立てて流れ落ち、その水は神通峡の景観を取り入れた曲水によってサラサラと流れ、富山湾を模した池に導かれる。とにかく、どこにもない日本一魅力のある公園を造りましょう。

正橋 公園は市民の憩いの場として、各種催物会場などにも使用されています。例えば、春には桜まつり、夏には富山まつり、冬にはスノーピアードの会場として利用され、多数の市民が集まるには、とても条件がいいんです。日本庭園にしますと、それをどうするか。

中村 年数回のイベントは別に場所を求める方がいいと、多くの市民は考えているようですね。

正橋 また勉強させてもらいたいと思います。おっしゃるようないろんな形で考えていかねばなりませんけどね。ただ曲水を作ったりすることについては、水脈の問題があるように聞いています。
 また、9月にタウン誌の全国大会を、富山市ではじめて開催されるそうですが、市の中心部の商店街が7時に閉店することが話題になるかもしれません。私も全国いろんな都市を見ましたが、夜7時にお店を閉めるのは、あまり例がありませんね。経費がかかる割に売り上げが伴わないとか、いろいろ問題もあるということを聞きますし、駐車場が不足しているということも言われています。

 


▲平成元(1989)年4月に完成した富山城址公園の“親水のにわ”と花筏の中を行く松川遊覧船“滝廉太郎丸”。

 

『荒城の月』のふるさとをアピール

中村 確かにそうですね。また、これは知事さんにも提案させていただき、喜んで下さったことなんですが、滝廉太郎ゆかりの地ということにちなんで、彼の成年のブロンズ像を、市民総参加で建てたらという話が出ているんです。

正橋 PRの1つとしてのブロンズ像もいいですね。

中村 城址公園内で、遊覧船から見上げられるような場所だと、観光客にも喜んでもらえるんですけどね。一昨年、フランソワーズ・モレシャンさんが試乗した折、彫刻の光景がとてもおしゃれだと言っておられました。文化的だという意味でね。

正橋 あの松川べりの彫刻公園に関しては本当に皆さんから好評をいただいており、喜んでいます。ただ、城址公園内は銅像がたくさんありますので、適当な場所を探すことが大切ですね。

中村 松川には今度、せっかく立派な〝親水のにわ〟もできますので、その辺りの川べりなら邪魔にならないかと思います。

正橋 富山の経済界の方々には文化人も多いですから、そういう方々にも理解していただき、協力してもらったらいいですね。

中村 そうですね。やはり1人でも多くの市民が参加することが大切ですね。私たちも誌面を利用して、〝『荒城の月』のふるさと富山〟として全国に知られるようにキャンペーンを展開していきたいと思います。

正橋 商工会議所や、市民の方々にも広くお声をかけられたらいかがですか?

中村 はい、何しろ市民が自分たちでやろうとする姿がベストですからね。誇りを持てるようにね。今日は、本当にありがとうございました。

 


▲北陸新幹線の開業に合わせ、平成27(2015)年に完成した富山城址公園内の日本庭園。曲水が流れている。


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