富山遺産 「豊栄(とよさか)稲荷神社」

富山の薬の祖前田正甫公ゆかりの宮
今年(2015年)5月、奉賛会が再興



 呉羽山に、富山の薬の祖である前田正甫公ゆかりの宮、豊栄稲荷神社がある。宝永元年(1704年)、今から311年前の創建で、富山藩二代藩主・前田正甫公が、富山藩の財政基盤を築くために「五穀豊穣と殖産興業の守護神」として、京都の伏見稲荷大社から稲荷の大神の御分霊を祀ったことに始まる。
 正甫公は、幅広い分野から富山の発展に貢献したが、その中でも、「薬」に注目し、富山売薬を展開した。その後引き継いだ人々の努力により、「薬都富山」として、今日の富山の発展の一翼を担っている。
 もともと豊栄稲荷神社は、富山藩の主要な米蔵であった「千石蔵」に隣接する稲荷高と呼ばれた所に創建された。広さは1400坪もあったという。藩政時代は、「藩祭の宮」となっていたため氏子がなく、明治維新の後は、近隣の人たちの手でささやかに守られてきた。
 昭和20年の富山大空襲で社殿が焼失し、星井町の旧神社地には簡素な仮の社殿が建てられた。その後、昭和48年、先代の宮司、五十嵐正治氏の時に、「正甫公の思いに立ち返って、立派な社殿を建てよう」という経済界の盛り上がりがあり、元富山藩主・前田家の子孫や、先祖が藩士を勤めていた人々が相談し、県下の有力会社や商店などからの奉賛により、現在の場所に新社殿と社務所を建て、遷座した。この時、当時の富山商工会議所会頭の成田政次氏や、朝日印刷㈱ 朝日重剛会長の先代、北陸中央食品㈱澤田悦守社長の先代、当時、大東交易㈱(現・ダイト㈱)社長の笹山梅治氏らが中心となった。
 社殿には、主祭神の稲荷大神、配祀の薬祖社(医薬の神・少彦名神、前田正甫命、十代藩主で本草学の大家・前田利保命、反魂丹の処方を伝授した万代常閑命、他)、富山藩前田家の先祖の神・成就天満宮(菅原道真公)が鎮座する。また、天照大御神を祀る摂社と、伏見稲荷大社を創建した秦伊呂具公、百済から織女として日本へ帰化して呉羽山に住んだ呉服女の神、綾服女の神を祀る摂社・呉羽社がある。
 昨年11月1日、遷座40周年、創建310周年の節目の記念大祭が行なわれ、近年活動を休止していた奉賛会の再興の気運が高まった。今年5月31日の奉賛会結成記念大祭には、富山藩前田家十六代当主・前田章利氏が家族と参拝。その後の総会で、前田章利氏が奉賛会の名誉会長に、朝日重剛氏が会長に、澤田悦守氏が副会長に就任した。
 なお、豊栄稲荷神社では、10年前から1月7日に春の七草を粥とともに頂き健康を祈願する「七草健康祈願祭」を行なっており、多くの人が訪れるようになっている。
 また、呉羽山には、前田家墓所や正甫公建立の武運山長久院があり、前田家ゆかりの場所として、観光面でも新たな展開が期待される。


 


宮司 五十嵐顕房氏
皆様の思いと、神様のお力で奉賛会が再興し、夢のようです。富山県の発展を祈る神社であり続けるよう、お守りしていきたいと思います。

■取材協力:豊栄稲荷神社 ■参考文献:豊栄稲荷神社発行のパンフレット等


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