布市藩があった場所(富山市)

 いにしえの布市は、野々市や布ヶ市と称したといわれる。富山城下のなかった時代、南の熊野川筋と北のいたち川など常願寺川の諸分流筋とをつなぐ物資の集散地であり、市が立ち、政治の要の町であったという。室町幕府管領・細川氏が領地「太田保」を支配する拠点でもあった。
 戦国時代、関東管領・上杉謙信が当地を支配した。その死後に侵攻した尾張の織田信長勢は月岡野で上杉勢を破り、やがて家臣佐々成政の支配下に入った。
 次に、徳川家康が前田氏牽制のために、慶長5(1600)年に布市藩1万石に土方雄久を入部させ陀羅尼寺村で支配させた。しかし土方は能登に移された。万治3(1660)年に布市は富山藩領とされた。布市に所在した多くの社寺は富山町に移ったという。

参考/「布市の略史」の石碑

 


▲布市駅近くの日枝神社の前に、案内の石碑(左下)が建つ


▲布市駅(富山地鉄上滝線)


▲布市の略史

 

 

布市の略史

 古の布市は、野々市(ののいち)とは、布ヶ市(すかし)と称したといわれる。富山城下のなかった時代、南の熊野川筋と北のいたち川など常願寺川の諸分流筋とをつなぐ物資の集散地であり、市が立ち、政治の要の町であった。永和2年(1376)、京都東寺文書に「越中国野市金屋鋳物師」とあり、仏具など金属を用いる寺院があり鋳物師(いもじ)が集住していた。
 室町幕府管領細川氏が領地太田保を支配する拠点でもあった。細川氏は、南北朝時代の守護で布市城を構えた桃井直常(もものいただつね)の支配を引き継いだのだが、一国一寺の安国寺も当地にあったようである。
 戦国時代、関東管領上杉謙信が当地を支配した。その死後に侵攻した尾張の織田信長勢は月岡野で上杉勢を破り、やがて家臣佐々成政の支配下に入った。
 次に、徳川家康が前田氏牽制のためには、慶長5年(1600)に布市藩1万石に土方雄久(ひじかたかつひさ)を入部させ陀羅尼寺村で支配させた。しかし土方は能登に移された。万治3年(1660)に布市は富山藩領とされた。布市に所在した多くの社寺は富山町に移った。
 明治5年(1872)の学制頒布の際、いち早く布市小学校(新川県第14小学校)を創立し、教育の充実に取り組んだ。昭和17年(1942)富山市と合併。平成14年(2002)に布市新町が分離誕生し、現在に至っている。

 平成22年(2010)11月吉日
 布市藩成立410年記念

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