神通川の渡し場

 神通川の右岸(新川側)と左岸(婦負側)との間には、いくつもの渡し場があったという。『神通川と呉羽丘陵』(桂書房)の中で廣瀬誠氏が『大沢野町誌』を参考にまとめておられる。

■有沢の渡 富山市布瀬と富山市婦中町の間。舟倉用水開削に功績があった砺波郡内島村(現高岡市内島)の十村(加賀藩の大庄屋)五十嵐篤好が、富山藩布瀬十村・高安定重とともに渡り鵜坂神社に参拝した記録もある渡し場。明治25年、ここに木橋が架けられた。

■成子の渡 木曽義仲の軍勢が、闇夜に鳴子で合図しながら押し渡ったという伝説を持つ。昭和2年、吊橋が架けられた。

■岩木の渡 対岸は富山市八尾町城生。八尾へ買い出しに行く人々によって頻繁に利用された。よく舟がくつがえり、水死する者もあったという。高山線の鉄橋はこの地点に架けられている。

■笹津の渡 飛騨往還の重要な渡し場。東は加賀藩領、西は富山藩領であったので、双方15日交替で管理に当たった。明治19年、県が木造橋を架けたがわずか1年余りで破損。その後、8世佐藤助九郎が自費で建造にかかり、明治25年に新装木造吊橋の笹津橋が完成。大正元年、県費で鉄製吊橋に架け替え(4、5年後にワイヤーが切れて橋梁が落下したことも)。昭和15年に、鉄骨コンクリートのアーチ橋に。

■牛ケ増の渡 口銭場坂といって、ここで飛騨入りの荷物に対して口銭を取り立てた。富山方面からの舟荷はここで降ろされ、飛騨方面からの荷物はここで舟に積まれたという重要地点であった。

■芦生の渡 楡原の崖っぷちの岩の上で「オーイオーイ」と舟呼びすると、田んぼにいても水竿を持って船頭が渡してくれ、舟賃は志でよかったという。舟を呼ぶ時に上る岩は決まっていて、それ以外の場所で呼ぶのは何か変事の知らせだったという。

■布尻の綱越し 日本電力が調査のため、対岸へワイヤーロープを張っていたという。

■舟渡の渡 笹津と同様、月のうち15日交替で東猪谷と西猪谷とで管理。明治中期まで存続。東西に一本の綱を張り、舟綱をこの綱に輪にして掛け、これを繰りながら渡った。
 なお、吉野と蟹寺の間には10月号で紹介した籠の渡があった。

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