尾山神社(金沢市)
金沢城公園の西側にある「尾山神社」は、初代加賀藩主・前田利家公と正室・お松の方をご祭神とする神社で、明治6(1873)年に歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に建立された。
神門は、ギヤマン(カットガラス)がはめ込まれた和・漢・洋折衷様式で、異国情緒漂う造り。築山池泉回遊式の庭園は旧金谷御殿の庭で、江戸末期に作庭され、かつて辰巳用水を引き入れた池には、3つの島と趣向を凝らした橋が配され、書院庭園の面影を残している。
境内には、鎧の背に母衣(左頁下を参照)をかけた利家公の像と、石に彫られたお松の像がある。お松の像のそばには、夫亡き後、徳川幕府によって江戸の生活を余儀なくされたお松の方の心を慰めてくれる存在であったというシャクヤクが植えられている。
母衣「ほろ」について(案内板より抜粋)
流れ矢を防ぐために、鎧の背にかけた布のこと。時代の推移により、風にふくらんだ形を示すために、竹串、鯨の骨類、ひげ等を骨組みに入れるようになった。戦国時代、これを背に戦場を駆け巡り、連絡の役をつとめる騎馬武者を母衣衆と呼んだ。織田軍団の母衣衆は、佐々成政が筆頭の10人の黒母衣衆と、前田利家が筆頭の9人の赤母衣衆とで合計19人。敵の目に付きやすく、大変危険であったという。



























