泉鏡花『黒百合』に見る神通川の洪水

 金沢市出身で、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花は、明治35年、富山を主舞台とする『黒百合』を発表した。廣瀬誠氏によると、この小説は、神通川の洪水を扱ったものだという。その一端を簡単にまとめておられるので、どのような話なのか見てみよう。
 〝総曲輪から町はずれへ一筋道を行くと、湯の谷(架空の地)があって花売り娘のお雪が住む。湯の谷の秘密の洞穴に入ると物すごい音がする。これは神通川の音と立山地獄谷の音が一つになって鳴り響いているのだという。四十物町に住む富山県知事(架空の人物)の令嬢勇美子は珍花奇草を愛好し、黒百合を熱望していた。神通川の支流の奥「石滝」の背後に魔所があって、黒百合はそこに咲くが、その地へ踏み込むと暴風雨になると恐れられていた。(石滝は上市町背後の大岩山のことで、地理的事実とは一致しないが、この作品では、神通川の源流の一つとされている)。お雪が魔所へ踏む込むと、にわかに大暴風雨となって神通川が氾濫し、堤防が切れ、桜木町も四十物町も総曲輪も水浸しになった。お雪はその洪水に転落した。助けようとして「小舟を漕ぎ寄せたが、流れくる材木がくるりと廻って舷を突いたので、船は波に乗ってさっと退」き、救助は失敗した。湯の谷での溺死者はお雪など十七名。翌朝、快晴となって水が引く。四十物町の洪水の残りの水に流れてきたものがあった。勇美子が目ざとく見つけて拾い上げると、「形は貝母に似て、暗緑帯紫の色。一つは咲いて花弁が六つ。黄粉を含んだ蕊が六つ。莟が一つ」、これこそ不思議の花「黒百合」であった。〟
 神通川は、しばしば大洪水で市民を苦しめた。竹中邦香の『越中遊覧志』にも「この地(富山)は神通川の漲溢することあれば、すなはち水、市街を浸し、中んづく総曲輪の地最も甚だし」と記されているという。
 江戸時代には、歴史に残る大洪水だけでも10数回、うち3回は舟橋も流失したという。明治23年10月、24年7月、29年7月にも神通川は大暴れ。明治34年からの馳越線工事の後も、大正3年8月、神通川、支流の井田川、熊野川、いたち川が氾濫し、神通新大橋、桜橋も流失、300人以上が溺死したという。

参考/『神通川と呉羽丘陵 ふるさとの風土』(廣瀬誠著・桂書房)

 

 

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