松川べり一帯に“水辺の街”を創造しよう(文/月刊グッドラックとやま発行人 中村 孝一)

弊誌では富山市中心部を流れる松川を活かした、富山らしいユニークな街づくりを一貫して提案している。歴史・文化・自然のシンボル空間でもある松川べり一帯に、世界の代表的な〝水の都"の良さを取り入れ、富山に新たな魅力を創出していくことはできないだろうか。
〝水の都〟の本場イタリア・ヴェネツィア
ヴェネツィアは、アドリア海の最深部にできたラグーナ(潟)の上に築かれた水の都。大きな魚の形をした本島の中央を逆S字形の大運河(カナル・グランデ)が流れる。そして、島の至るところに運河が縦横に走り、たくさんの橋が架かる。陸地では、狭い道路が迷路のように続いている。
元はただの湿地帯だったが、6世紀頃、イタリア本土ヴェネト地方に東方からゲルマン系諸族やフン族が侵入し、この湿地帯に避難したのがきっかけで街が作られ始めた。いわば、水を城壁とした「浮城」である。その後、胡椒などの貿易により勢力を拡大、繁栄を極めた。
当代きっての芸術家たちが集まり、イタリア最高の建築家たちが壮麗さを競うように次々と教会や宮殿を建てていった。限られた土地を有効に使うためか、ぎっしりと軒を並べて建築していったことが迷宮のような都市を生み出し、それが他の都市にない魅力となっている。
似たような運河が縦横に走る街としては、オランダのアムステルダムなども挙げられる。
水辺を活かした街アメリカ・サンアントニオ
アメリカ・テキサス州のサンアントニオ市には、「アメリカのヴェニス(ヴェネツィア)」と呼ばれる川沿いの散歩道(リバーウォーク)がある。
1921年に集中豪雨による洪水が都心部を襲い、ある通りでは水深が2m50㎝にもなった。少なくとも50人以上が行方不明となり、財産も未曾有の損害を受けた。住民は市に洪水対策を要求。この時、多くの市民は川を市の発展に有害なものとみなしていた。 市は洪水抑制の計画立案をコンサルタントに委託。出された計画案は、上流にダムを建設することをはじめ、各所での直線化や拡幅、バイパスとなるコンクリート水路の新設、湾曲部を埋め立てて道路をつくるという内容だった。
ダム建設と河川の直線化・拡幅についての計画には反対がなかったが、コンクリート水路の建設と湾曲地帯の埋め立てによる道路建設については、市民グループから反対の声があがった。婦人団体の市連合会とサンアントニオ保全協会は、自然のままの水路を保存し、大湾曲地帯を救おうと運動を始めた。他に、たとえどのような計画でも川の中の湧き水の流れを悪化させるとして強力な反対意見も出された。
一方、積極的に、湾曲地帯の川畔を都市公園にしようという提案も示された。この考え方は、ニューオーリンズで3年過ごした後、生まれ故郷に戻って来ていた新進の建築家、ロバート・ハグマンの夢でもあった。彼はニューオーリンズにいる間に目にした昔を偲ばせる審美性と地方色豊かな魅力溢れる保存運動に深い感銘を受けていた。彼は、サンアントニオ保全協会の会長だったテーラー夫人に自分の計画を話し、彼女は河川修景のための彼の提案を討議する集会を準備するよう、市の行政スタッフに働きかけた。 1929年6月28日、市長部局と2人の行政委員が、不動産権利者たちと市民運動のリーダーたちと一緒に、ハグマンの計画を聞くために集まった。
▼各所に橋や階段、通路などがあり、人々が移動しやすい工夫がされているサンアントニオ・リバーウォーク。

始まりは、ハグマンのユニークな計画
「アラゴンとロミュラの商店街」と題された、ハグマンの発表が始まった。
「私は仕事場の窓辺に座っていました。夕暮れ時でしたので、川畔の糸杉は長い影をおとしていました。この時なのです。私の夢のようなプランの最初の輪郭が閃いたのは……。この時から、何日かはこのプランの輪郭が頭の中をぐるぐると駆け回っていました。
私は、以前にスペインの古い町の案内書を読んだことがありました。そこには、乗り物が侵入してこない狭くて曲がりくねった通り沿いに、一風変わった雰囲気や魅力的な入口をしつらえた、繁盛している店舗やクラブ、銀行そして喫茶店などが軒を連ねていました。その通りは、近代的なビジネス街から少し離れています。
この案内書を読んだ時、すぐ飛んでいってこの雰囲気に浸りたいと思いましたが、このことが頭をかすめました。これからもどんどん成長しなければならないわれわれの町に、このような通りがあればどんなにすばらしいことかと思いました。……無条件に美しくワクワクするような開発をする時期がきたのです。……爽やかな夜に、ボートに乗っているところを想像してごらんなさい。オリーブのいい匂いやスイカズラの気持ちのよい香りが微風にのって運ばれてきます。古風な街灯の光が川面に幻想的な影をおとしています。ソフトムードの音楽が漂っています。……この界隈の雰囲気を創造するためには、店舗、照明効果、宣伝等、あらゆるものが洗練されたものでなければなりません。一人ひとりの関心をひとつに結合させ、私と一緒に完成に向け努力しようではありませんか」
▼美しく安らぎのある公園的環境が、商業的な成功にもつながっている。

構想のモデルは曲がりくねった歩行者道
ハグマンは、アラゴンやロミュラなどのロマンチックな名称を、スペインの南東の地中海に浮かぶバレアレス諸島の中心となるマリョルカ島から借用したという。
サンアントニオ市のある都市計画家は、マリョルカ島の中心都市・パルマ・デ・マリョルカを訪れた時のことを思い出して次のように語ったという。
「ここにも町のいたるところに、車に煩わされることなくブラブラと買い物のできる場所がありました。曲がりくねった歩行者道に沿った建物の外壁が、アメリカでちょっと見ることのできない、小さな峡谷のような空間を形づくっていて、建物の大きさ、ディテールや色彩は、公共空間での人間的な行動にちょうどよい環境につくられていました」
パルマ市には、狭い曲がりくねった歩道者道に沿ってカラフルな店舗がたくさんあることでよく知られているが、それがハグマンの構想のモデルとなったようだ。
ハグマンは、演説の中で、「私たちのこの小さな川は、変わった店舗、めずらしい景色、色彩、乗り物の雰囲気などによって、人々を夢の世界に運ぶ舞台なのです。未来にとって一番必要なことは、建築様式を現代風にするのではなくて、川の流れを疎ましく思わせるくらいゆっくりさせて、大通りにみられる近代都市の生活の喧噪とはっきりしたコントラストをつけることです」と述べた。
サンアントニオを評して、「まるでスペインの都市、ヴェネツィア、アムステルダムを混合したような町」と性格づけをした人もいるそうだが、この町の美的な感性、水と緑の景観、人なつこく気さくな人々、そして興味のつきない商店の数々は人々の心を惹きつけずにはいない。
富山に松川を活かした〝水辺の街〟を!
さて、今まで述べてきたような〝水の街〟を仮に富山にも創造しようとした場合に、どのような課題があるだろうか? 仮に、松川べりを想定すると、まず水位安定の問題がある。豪雨時にいたち川が増水すると松川にも逆流して水位が上昇するなど、水位は不安定である。
また、かつて帆船が行き来した神通川の歴史を復活するため、船による松川と富岩運河との連絡も考慮すると、いたち川下流の水位と松川の水位をほぼ同じにする必要があり、このためには、松川といたち川の合流点の少し下流から松川上流にかけて、今よりも川を掘り込む必要が出てくる。掘り下げることにより、サンアントニオのように地上の喧噪から離れた静かな空間になるというメリットもある。が、橋の再整備が不可欠となる。
水位の安定が確保されれば、例えば明治・大正期の洋館建築を水際に復元してみるのも面白いのではないだろうか。明治時代、神通川(今の松川)川畔にあったハイカラな西洋料理店「対青閣」、大正9年12月に全日空ホテルのあたりに完成し昭和20年の富山大空襲で焼失した「富山市役所」、大正元年12月に国際会議場のあたりに完成し同じく空襲で焼失した「富山市立図書館」(辰野金吾設計)、明治43年11月に総曲輪の元・日赤病院跡に新築された「県立富山薬学専門学校」(その後、大正9年官立となり、校舎も翌年奥田村へ移った)などの洋館建築をずらりと建て、中をレストラン、カフェ、お菓子店、資料館などにするのだ。
ちなみに、かつて神通川が今の松川の川筋のように湾曲したまま固定されたのは、戦国時代に佐々成政が石垣堤防を築き、川を天然のお堀として利用したためともされる。「対青閣」は日本を代表する作曲家、滝廉太郎の父・滝吉弘が職を辞すにあたり、送別会が行われた場所でもある。松川を富山城とも連携して活かすことができれば、歴史が感じられる富山らしい一帯を創出することができるのではないかと思われる。
【参考文献】「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 富山」(国書刊行会 八尾正治編)、「総曲輪懐古館」(巧玄出版 八尾正治・水間直二・山岸曙光著)、「サンアントニオ水都物語〜ひとつの夢が現実に〜」(都市文化社 ヴァーノン・G・ズンカー著 三村浩史監修 神谷東輝雄共訳)、「ヴェネツィア」(日経ナショナル ジオグラフィック社)、「スペインの旅」(昭文社)
川沿いの遊歩道を、地表のレベルから1階分ほど下がった場所に作ることができれば、通りを走る自動車の音は聞こえなくなり、都心にいながら、都会の喧噪から隔絶された静寂な時間が流れる。また、巨木を植えることで、石畳の小道を歩く時、まるで兼六園や那谷寺などにいるような落ち着いた気分になる。遊歩道沿いには川の美しさとのどかさを引き立てるデザインの店舗が並び、行き交う遊覧船を眺めながら、富山ならではの食材を使った飲物やデザート等を食べ、会話を楽しんだり、本を読んだりしてのんびり過ごすことができる。
ここでは商業的利用と公園風の雰囲気が微妙にバランスを保ち、単に営利目的だけを追求するのではなく、静かで植物が生育するのに適切な場所を備えた川の自然の美しさを保ち続けることが重要となる。
▼「松川・いたち川等水辺空間活用方策検討委員会」では、“西のお堀を復元し、松川とつなぐ”という、夢のある提言をもとにしたパースも完成させている。
























