千歳御殿に因み千歳神社と改称

 富山市千歳町、与茂太郎川そばにある千歳神社。富山の土地神として最も古い神明社とされる。天正9(1581)年、佐々成政が、越中54万石を領して富山城主となった時、この神明社を産土大神として崇め、城下町富山を東西に二分し、東は北の神明、西は南の神明と称し、それぞれ富山の守護神とした。現在の千歳神社は、北の神明にあたり、当時は蛯町に鎮座していたが、富山藩祖・前田利次公が入城後、寛文年間城下の町割に際し現在地に移った。なお、文化7(1810)年、9代藩主・前田利幹公が東田地方(今の城北町)に創立し、鬼門除けの宮と称していた八幡社を明治45(1912)年に合祀し、神明社を千歳神社と改称した。
 千歳の称号は、10代藩主・前田利保公が、嘉永2(1849)年、東出丸(現在の桜木町)に、隠居所として千歳御殿を造り、これより神通川の下流奥田あたりまでを千歳川と名づけ、桜を植えて千歳桜と呼び、富山の名所としたことに因んで称せられたものである。

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