毎朝、松川べりを歩いて通勤しています
損害保険ジャパン株式会社 富山支店長、富山損保会 会長
流石 稔 さん
Minoru Sasuga
毎朝、松川べりを歩いて通勤するという流石さん。
「今年4月に着任して、いつも桜を見ながら、すがすがしい気持ちで通勤していました」と微笑む。
富士山麓の河口湖畔で生まれ育った。
「近辺に〝流石〟という名前が多いんですよ」
就職活動の際、〝身近にある自動車や自分の家にもついている保険というものを知るにつれ、社会の人々に保険のことをもっと知ってもらうことも大事なのでは〟と思い、この業界を選んだそう。
「これまでの人生を振り返っても、保険の仕事というのは、お客様に安心・安全を届ける、非常に社会的使命を持った仕事だと思います」
これまでで一番苦労したのは、三重支店にいた頃。当時は、2002年7月に日産火災海上保険㈱と安田火災海上保険㈱が合併して、㈱損保ジャパンが発足し、同じ年の12月には更に大成火災海上保険㈱を合併するなど、激動の時代だった。