神通川本流跡に水の都とやまのシンボルを!
富山市議会議長
力示 健蔵 さん
Kenzo Rikiji
「富山は通過都市になっている。このまま行ったら、錆ていくだけ」と危機感をつのらせる。
若い頃から、富山に遊び文化がないことを危惧。昭和42年、39歳の時、エンターテイメントの本場アメリカに飛び、ディズニーランド、ラスベガスを見た。
「やっぱり、楽しい街をつくらないと、人は集まってこない、と強く感じました」
4年後、富山市議会議員に当選。持ち前のリーダーシップで議会をリード。新「富山市」誕生を機に、分裂した自民党を一つにまとめ、3度目の議長に就任。
先見の明を持つ。20年前、全米ナンバーワン人気都市、サンアントニオをいち早く訪問、リバーウォークに降り立った。
「驚きましたね。街の中を松川と変わらない川がゆったり流れ、遊覧船が楽しそうに行き交ってるんです。河畔にはレストランやお店が並び賑わっていました。富山にもこういう夢の街をつくらねば、と強く思ったものです」
一昨年、神通川を直線化した馳越工事100年を記念し、『川と街づくり国際フォーラム』が開催された。記念講演のためサンアントニオから来富したリチャード・ハード氏は、「松川・いたち川には、充分可能性(Potential)がある」と激励。10月には富山商工会議所、11月には市、県議の視察団があいついでサンアントニオを訪問。
「気運が盛り上がるのを待っていたんです。森市長もやる気になってきたし、富山発祥の地、神通川本流跡に県都富山市のシンボルをつくりましょう」20年前に抱いた『夢の街』の構想が蘇る。
「中心街活性化に貢献できれば、私の人生に悔いはない。富山のシンボルをつくる仕事が私の最後のご奉公です」
県都最大のプロジェクト『夢の神通回廊』の創造にむけて動き始めた。
プロフィール ●
昭和3年5月8日生まれ。富山市出身。富山薬業学校中退。「富山のシンボルをつくる仕事が私の最後のご奉公です」と抱負を語る。