旧神通川に浮かぶ帆船がデザインされた富山市庁舎

神通川から生まれた富山
“松川は大切な宝物”!

 市民の皆さんは、市庁舎が帆船の形をしていることをご存知でしたか?富山市の新庁舎の設計を依頼された時、この建物がかつての神通川の上に建つことを知り、インスピレーションがひらめき、帆船の姿にデザインしました。松川の遊覧船に乗って、桜橋からのぼってくると、松川に向かって船の舳先があって、その上に帆船のマスト(展望塔)が立っているデザインです。神通川を外堀に、富山城が築かれ、城下町として発展してきた富山市。まさに神通川の名残りを残す松川は、富山発祥の地と言えます。実は、富山の街の生い立ちは、パリと非常に似ているのです。セーヌ川によって生まれ、セーヌ川と共に育ってきたパリ。そのパリ市の紋章は、その川と船をかたどったもの。「たゆたえども、沈まず」と記された言葉には、パリ2000年が歩み続けてきた歴史があります。
 1975年、松川にコンクリートでフタをして駐車場にするという無謀な計画が発表された時、当時の改井市長は、「松川は富山のセーヌ川」と訴えて、このかけがえのない松川を救ったといわれます。パリ市がその紋章に川と船を刻んだように、富山市は新庁舎のデザインに、帆船を刻んだのです。
 設計にあたり、河畔に建つ市庁舎がないか世界中調べたところ、スウェーデン・ストックホルム市庁舎に出合いました。メーラン湖畔に建っていて、100年以上の歴史を経て市民に愛され、ホールではノーベル賞授与式後の晩餐会も行なわれ、スウェーデンのシンボルともなっています。富山市の庁舎は、松川河畔に建つ、世界的にも珍しい建物。神通川によって生まれたユニークな富山。市民が、その〝水の都〟としての歴史にもっと誇りを持つべきです。
 世界的といえば、全米ナンバーワンの人気都市サンアントニオ市から、同じように美しい川が流れている縁で、1985年、富山市にシスター・シティの申込みがありましたね。富山市にとって、松川は大切な宝です。この宝を生かせるかどうかは、市民の熱意にかかっています。一層のご活躍を心からお祈り申し上げます。

 

▼パリ市の紋章…セーヌ川と船をかたどったもの。セーヌ川によって生まれ、セーヌ川とともに育ってきたパリの歴史を表している。

 

▼富山市庁舎

▼ストックホルム市庁舎

 

松川の他に、都市の真ん中を、美しい川が流れている所を知りません

 

池田 武邦 さん
1924年(大正13年)1月14日、静岡県生まれ(本籍は高知県)。
建築家、日本設計創立者。海軍士官として沖縄海上特攻作戦に参加、乗艦「矢矧」は撃沈されるが、漂流後、救助され、生還。1949年東京帝国大学第一工学部建築学科卒業。同年、山下寿郎設計事務所(現・山下設計)入社、日本初の超高層ビルである霞が関ビル(1968)などに携わる。1967年、日本設計事務所(現・日本設計)設立に参画、取締役に。京王プラザホテル(1971)、新宿三井ビル(1974)などの設計に統括責任者として携わる。1976年、日本設計代表取締役社長に就任。長崎オランダ村(1987)、ハウステンボス(1992)、富山市庁舎(1992)の設計を統括。日本設計名誉会長、日本設計・池田研究室代表を務めた。2022年5月15日、98歳で死去。

 

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