義仲寺(滋賀県大津市)
義仲寺は、木曽義仲公の御墓所。国指定史跡である。義仲寺がある滋賀県大津市馬場1丁目の周辺は、古くは粟津ヶ原(あわづがはら)といい、琵琶湖に面し、景勝の地であったという。
義仲は、信濃で平氏討伐の挙兵をし、倶利伽羅峠など、北陸路で平氏の大軍を破り、京都に入ったが、鎌倉の源頼朝の命を受けて都に上ってきた源範頼(のりより)、義経の軍勢と戦い、この地で討ち取られた。享年31歳であった。
その後、見目麗しい尼僧が、この御墓所のほとりに草庵を結び、日々の供養をした。里人が聞いても、「われは名も無き女性(にょしょう)」と答えるのみ。この尼こそ、義仲公の側室・巴(ともえ)御前の後身であった。
貞享年間(1684〜8)に大修理の記録があり、このころから芭蕉翁がしきりに来訪し、宿舎とした。元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉翁は大坂で逝去したが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺言によって、遺骸を当寺に運び、墓を建てた。
義仲公の墓の右隣に、芭蕉翁は眠っている。
■参考/『義仲寺案内』(義仲寺発行)
▲義仲公の墓
▲巴塚
▲芭蕉翁の墓(義仲公の墓の右隣)
▲芭蕉句碑