県都・富山の顔となるシンボル空間の創造を

「グッドラックとやま」2020年新春座談会
富山市議会議員と語る

 

人口減少社会となり、都市間競争が激化する中、街の魅力づくりが重要なポイントとなっている。令和初の新しい年を迎えるにあたり、未来を担う富山市議の皆さんと富山の魅力づくりについて語り合った。

 

司会/中村 孝一 (月刊グッドラックとやま発行人)

出席者/
 江西照康さん(富山市議会議員)
 押田大祐さん(富山市議会議員)
 舎川智也さん(富山市議会議員)
 成田光雄さん(富山市議会議員)
 (五十音順)

 

 

中村  『グッドラックとやま』を創刊して42年、各界の代表をお招きし、「街づくり」をテーマに座談会を重ねてきました。今日は富山市議の有志の皆さんから、富山市の魅力アップについてご意見を伺いたいと思います。
 県都・富山市中心部の富山城址公園には富山城があり、市の成り立ちに大きく関わった松川(旧神通川)が横を流れています。この重要な場所を市民にとってもっと誇りの持てる場所にしていく必要があるのではないか、そしてそれが富山のイメージアップにもつながるのではないかと思います。
 座談会を始めた当初、行政サイドは「もう完成しているから」と城址公園の再整備には後ろ向きでしたが、1988(昭和63)年に「松川遊覧船」が運航を開始し、注目度が高まったことなどをきっかけに整備が進み、最近では「日本庭園」や「観光案内所」も完成しました。しかし、富山のシンボル的な空間としては、まだまだ考えていく余地があるのではないかと思っています。

 

中心部に天文台の設置を検討中

成田 城址公園は中心市街地の真ん中にあり、富山市もいかに賑わいを作り出すかということで、いろいろな取り組みをしております。現在、天文台を交通の便が良い「まちなか」に設置できないか調査・検討中で、城址公園もその候補に挙がっています。
 中心部に家族連れがたくさん来るようになれば賑わいが生まれますし、富山はノーベル街道の出発点でもあります。将来を夢見る子供たちに良い環境を作るという点でもいいのではないでしょうか。

 

自然と歴史を活かし、富山の誇りを作る

舎川 富山の歴史や文化を隣県の金沢と比較しても、けっして富山が劣っているわけではありません。けれど残念ながら、われわれ市民は富山の成り立ちなど歴史的なことについて、ほとんど知りませんね。
 先人たちの歴史に学びながら、今あるものを最大限に活かしていく、ということが大事です。富山は自然が大変豊か。その原景をしっかり活かし、人が集う所を整備していけばいいのではないかと思います。
 城址公園と松川一帯について言うと、明治41年の富山駅開業の約5年前に神通川の馳越工事(バイパス工事)が行われ、松川が誕生しています。そういった歴史と自然を活かし、市民が誇れるものを作っていくことが大事なのではと思います。

 

中心部の厚みが街の魅力と直結

江西 富山市の中心市街地は、周辺部に住んでいる市民にとってもオフィスを出た後の憩いの場や買い物を楽しむ場。まさにわが街であり、街のシンボルでもあると思います。この中心部を活性化しようと、森市長がコンパクトシティ政策を掲げて奮闘してこられましたが、富山市全体の力を合わせて大きく回していくことが、街の魅力創出に繋がっているわけです。
 都市間競争で人口流失が問題となる中、富山市は東京の大学に進学しても、多くの子供たちが戻ってくる街にもなりつつあると聞いております。そのために必要なのが街の魅力ですが、やはり中心部の厚みが薄いのは間違いないんですね。
 先日、農業関連の視察で高知に行ったんですけど、農業でも先進地なんですが、富山市よりも10万人近く少ないにもかかわらず、街の活気が全然違う。これはどう比較していいのかわかりませんが、外国人も歩いているし、高知市民も歩いている。駅を降りてしばらく行った所で人が賑わっていると、街の魅力を大きくかさ上げするというか、そういったところがあるかと思います。富山市中心部にも、そんな賑わいがほしいですね。
 とはいえ、花見の季節はさすがに松川遊覧船を中心に賑わいがあって、なんとなく華やいだ気分になりますけど、こういった賑わうものを通年で何か中心に持ってくることができれば、富山市全体の賑わいを作る中で大変重要なのではないか思います。

 

富山らしさを積み重ねる

押田 街の中心部に観光客を引っ張るだけの魅力がなく、歴史や文化の面でも知名度が低いということであれば、城址公園、松川一帯をアミューズメント性の高いものにすることも一つですね。最近は大型バスの団体客が少なくなり、ほとんどが少人数のグループ。ということであれば、山もあれば海もある、半日コースから複数日コースまでといった富山ならではの多種多様な体験型メニューを作って、その中に中心部を組み込んでいく。そういう面で、一度観光を見直すことが大切です。
 高知では街の小さな洋服屋さんがいっぱいあり、とても元気でした。富山の場合、県内資本の洋服屋さんで元気な所はどれだけあるんだろうと思います。食べる所にしてもほとんど県外資本が来ている。これでは富山に来る意味がないので、富山の経済界にはもっと富山のためにということをやっていただきたいですね。それが一つ一つ積み重なって、街のイメージが変わってくるのではないかと思います。

中村 高知にもショッピングセンターはありますよね?

江西 同様なものはあると思いますが、富山はそれに吸い込まれる力が強すぎる、引力が強すぎる気がします。残念ながら天候が悪くて流れましたけど、10月に全国大会でJCの皆さんが来られた時は、街中総出でなんとか皆さんを受け入れるだけの店を確保しなければならないということでやっていたのですが、なかなか苦戦していたようです。そういったことの層の厚みと言いますか、それがだいぶ衰えてきているように感じますね。

 

シンボル空間が観光客を魅き付ける

押田 高知にはそんな立派な大きな観光名所はないけれど、知らない人はいない「はりまや橋」という橋があるんです。私も見たんですけど、その橋を一度見ておこうかという感じで観光客を魅き付けているんですね。おそらく鉄橋も架かってなかった時から、そこへ1泊で行くという〝観光の文化〟があったんだと思います。しかし、富山はそれがない。

 

富山城とゆかりのある滝廉太郎

中村 富山では、不思議と〝観光の文化〟が芽生えてこなかったようです。明治時代、富山城内の小学校に滝廉太郎が通っていたという史実もみごとに欠落している。学校では音楽の時間、『荒城の月』『花』『お正月』などの曲を教えるのに、滝廉太郎が育った街だということを教えないのはどうしてでしょう。きっと高知では考えられないことでしょうね。
 滝廉太郎と言えば、大分県の竹田市のイメージが強いですが、以前、竹田市の観光課長にお会いした時、「滝廉太郎が竹田と富山にいた期間はどちらも約2年なのに、どうして富山では顕彰活動をしないのですか?」と言われ、びっくりしました。滝廉太郎が育った街ということで、市民も誇りを持てると思うのですが。

押田 中村さんの研究では、『荒城の月』のモデルは富山城だったかもしれないということですね?

中村 最近の百科事典にもそのことが書かれてありますね。

押田 そのころ、お城はあったんですか?

中村 天守閣はなく、石垣と堀が残っていました。空襲でだいぶなくなりましたが、滝廉太郎がいた頃はもっと城内に木がたくさんあり、まさに荒れ果てた城内だったんですね。

江西 まさに〝荒城〟ですね。

中村 全国的に知名度のある滝廉太郎のゆかりの地でもありますし、この城址公園・松川一帯を富山のシンボリックゾーンにできればと思うのですが…。

舎川 もちろん、富山はいろんな所に魅力があると思うんです。しかし、今おっしゃられるように中心部に魅力を求めるのであれば、松川周辺ですかね。その辺の自然を活かしたものを今から作り上げていくということも重要でないでしょうか。ピックアップしてね。われわれも魅力をどう創出していくかということを、再度改めて話していくということは重要かなと思います。

押田 富山市では城址公園内に薬の資料館をつくる予定です。これは富山の歴史・文化にも関わる話なので、ひとつの起爆剤になると思いますね。先ほど言われた天文台もできるとなれば、アミューズメントパーク化してくるのかなと。けれど、今ひとつ決定打というものがないので、実となるものをこれから構築していかないといけないですね。


▲滝廉太郎が富山で過ごした日々を偲ぶ滝廉太郎記念館。(富山城址公園松川茶屋内)

 

水辺を活かした先進地・サンアントニオに学ぶ

中村 2003(平成15)年に当時の県議・市議、行政のOBの方々とアメリカのサンアントニオへ視察に行ったんですが、そこは水辺を活かし、とてもユニークで魅力的な街づくりをしていましたよ。

成田 当時サンアントニオへ行かれた市議の方から、お話を伺ったことがあります。

押田 松川遊覧船を水上交通として、例えばワンコインで乗れるとか、そういうことで面白味を出すこともできますね。

江西 その場合は、行き先も必要になりますね。

中村 サンアントニオはまさにそんな感じで、常に船が行き交っているわけですが、川沿いに駅がいくつもあって、乗り降りできるととても楽しい街になりますよね。そのためにも、まずこの城址公園・松川一帯の空間を富山市の顔となるよう、魅力的な空間にすることが大切ですね。神通川によって生まれ、松川とともに育ってきた〝水の都・富山〟。その歴史と文化が「松川」に秘められています。
 また明治時代、ここで育った滝廉太郎が、のちに日本を代表する名曲『荒城の月』を作曲したというのも、とてもロマンチックな物語。今も石垣の前に佇めば、廉太郎が見た同じ月が、「昔の光いまいずこ」と語りかけてくるようです。富山を夢のある街として、ぜひ発信していきたいものですね。本日はありがとうございました。

 


▲水辺の賑わいが街の中心部の魅力を創り出している、アメリカ・サンアントニオ。

 


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