風情あふれ、心魅かれる そんな街・富山に

・ グッドラックとやま街づくりキャンペーン ・
– 「グッドラックとやま」 平成2(1990)年12月号座談会より –

 さる3月31日に発表された日本水大賞(主催/日本水大賞委員会、国土交通省)にて、弊誌発行人・中村孝一の〝「月刊グッドラック」による松川を活かした“水の都・とやま”再生への挑戦〟が、審査部会特別賞を受賞した。この活動の要となっていたのが弊誌の座談会であり、その中から生まれたのが松川遊覧船である。
 今回は、風情あふれる〝水の都・とやま〟創造に向けて、経済界や有識者の方々から活発な意見が出された平成初期の座談会を紹介する。

 

◇座談会出席者
 [役職は平成2(1990)年の座談会開催当時]
  司会/中村孝一

 澤田要作さん 富山中央食品㈱ 代表取締役
 高田瑞夫さん ㈱大和富山店 店長
 諏訪 求さん JTB富山支店 支店長
 大島秀信さん 日展会友 日本画家
 柴田裕弘さん GA開発研究所 所長
 小柴ゆかりさん ’89ミス富山 クイーン

司会 今日は世界的に有名な地方都市ベニス、ブルージュ、クライストチャーチ等を参考に、「富山らしい〝風情ある街〟づくり」をいかに作るかについて話し合ってみたいと思います。

諏訪 人によってものの捉え方が全然違いますが、共通して言えるのは、水や緑が基本となって、人々の心を和ませるということです。ベニスにしてもブルージュにしても、水路的要素を中心にした緑あふれる街なんですね。私が去年行ったバルセロナでは、200年という気の遠くなるような長期計画で街づくりを進めていました。ですから、富山の将来、方向を考える時、一つの夢を追うという姿勢で、一歩一歩進んでいけば良いと思いますね。

柴田 私も風情というのは、住んでいる人の気の遠くなるような〝思い〟が背景にあってにじみ出てくるものだし、そこに人々は魅かれるんだと思います。ですから、住んでいる人が、それらを身につけていないと訪れる人にも伝わらない気がしますね。

司会 中央食品の会社案内の表紙に、戦災前の富山の風景が描かれていますが、澤田社長は昔の風情を大切にしておられるんですね。

 

富山独特の風情あふれ心魅かれる街づくりを

澤田 ええ、そうです。以前、松川(昔の神通川)に64艘の舟をつないだ舟橋が架かっていて、人々の通行や馬の往来に利用され、実に趣のある風情を演出していたものです。私は、こうした富山独特の街づくりをしてほしいと思います。街の中心を流れる松川を引き立たせるためにも、橋の整備をしなければなりませんね。橋を中心とした風景というのは、街のシンボルになるものですから。
 私は地域に密着した身近なものの掘り起こしが、最も重要だと考えています。

 

住民が時間をかけて街を創り出す

高田 私は街づくりというのは、自分たちが本当に素晴らしい生活をするために、時間をかけて作っていくものじゃないかと思うんです。結果として、訪れた人の心を動かすような街になる。恐らく先ほど掲げられた観光の街も、こういう街を創ろうという一つのコンセプトがあり、それに向かって住んでいる人々が一生懸命努力された結果、出来上がったものだと思います。
 この間、私の店の前のアーケードを直す時、市や県からの規制があり、木が1本も植えられなかったんです。やはり、富山の街づくりの大きなコンセプトは、今や県の都市計画の中に入り込まないといけないと思いますね。

司会 今までは行政に任せっきりの感があったと思うんです。ですから、市民の気持ちをアピールされたという意味で、とても良かったと思いますね。あそこに木があると、大変心が休まりますね。

 

▼「越中乃國 富山船橋之真景」 松浦守美
 

高田 冬に工事のため、アーケードを外した時、あんまり寂しい雰囲気だったんで、県から間抜材をもらって来て、それに豆電球をつけたんです。これを見て感激した知事が、「これを街中につけたらいくらになるか教えてほしい」ということで計算してお渡ししたことがありました。富山も市民のパワー、行政のパワーが一つの方向性を持って街づくりに関わっていけば、両者の理想が様々な形で実現していくと思いますね。

 

富山の風情を表す中心部の松川

司会 絵になるような街こそがいい街だと思うんですが、大島先生は街づくりに関してはどうお考えですか?

大島 やはり私は、都市の中にある森や水というのが絵になるし、素晴らしいと思いますね。そういう意味で、街の中心を流れる松川は富山の風情として重要な存在だと思います。以前、松川の水をきれいにするために鯉を放したところ、鯉がいなくなった、という話を聞いたことがありますが、それにはまず生活排水が大きな原因と考えられるので、下水が入らないようにすることが先決ですね。

 

▼代表的な水の都、イタリア・ベニスの橋とゴンドラ。

小柴 私は去年、ミス富山として全国を回りましたが、富山は人間にとって快適な水や緑が豊富で、観光の条件が他の都市に負けないくらい揃っていると感じました。けれど、京都や高山と比べて違うのは、せっかくの良い条件を活かしていないということです。
 私たちが観光PRをするにしても、水がいい、緑がいいというだけでは漠然としていて、人を魅きつけるのは難しい。富山は街の中心を松川が流れ、遊覧船が行き交う風情あふれる〝水の都〟で、〝東洋のベニス〟と言われています、という風に紹介したいですね。

柴田 ベニスに二度行ったんですが、最初に行った時は物を川に捨てる人がたくさんいて、川の汚染が問題になり、このままではベニスは沈むという風潮が広まり、地元の人々の足元に対する意識が大いに高まったんですね。二度目にベニスを訪れた時には、川に物を捨てる人がほとんどいなくなっていて、美しい川の維持を、住民一人ひとりが実践していましたね。

 

▼平成2(1990)年、座談会開催当時の様子。

大島 そうでなければリアリティーがないですよね。

高田 先日、うちの店へイギリスから観光客が来たんですが、富山空港へ着いたとたん、山を見てびっくりして、店の屋上からの景色にまた感激。さらに夜の魚料理も美味しいと、ワンダフルの連続でした。彼は、特に観光地と言われる所に行かなくても、富山の風土に心を動かされ、一生、富山は素晴らしい所だと言い続けると思うんです。ところが、住んでいる私たちは、それに感動することがほとんどないんですよ(笑)。この辺に問題があるという気がしますね。

諏訪 県外出身者から見ると、なぜ冬にトロッコ電車が動いていないのか、なぜ松川遊覧船が運航されていないのか、と疑問に思います。雪景色の中を遊覧船が行く姿はまさに絵になり、これこそ富山らしさを活かした風情あふれる街づくりのシンボルと言えますね。

司会 今年の冬、京都の観光客からの要望で、雪の降る松川で遊覧船を運航したのですが、その感動が今も忘れられません。まさしく、東海道五十三次などで有名な安藤広重の情感あふれる風景画の世界を見る思いでした。広重は、松川(昔の神通川)に架かっていた舟橋の風景画も見事に描いています。〝水の都・とやま〟の真の情緒がここに残っているのに、それに気づかないのはもったいないですね。

諏訪 私が全国を歩いた経験で見ると、富山は工夫次第で一番住みやすい街になると思いますね。
中でも私が非常に心を動かされているのは、文化・芸能です。全国的に有名な風の盆で、宮町の踊りを見た時、私は涙が出るほど感動しましたが、地元の人で実際に風の盆に訪れる人は少ないようです。富山には、人間の心に訴える物が多くあるのに、それを封じ込めている感じがしますね。

 

長期ビジョンで思いをかたちに

高田 富山には素晴らしい所がたくさんあるのに、うまく表現できないんですね。そういう多種多様に各自が抱いている思いを、行政と民間が協力して街づくりに活かしていかなければならないと思います。

諏訪 昔ながらの店を楽しめる名物通りを作ったり、松川一帯をもっと美しく整備すれば、富山の街は絶対に売れますよ。

澤田 私は松川に架かる橋の整備をしてほしいと思いますね。塩倉橋にしても、桜橋にしても、交通量が増した現在、自動車の橋になってしまっていて、通勤の人や通学の子供たちにとって大変危険で、事故も少なくありません。ですからぜひ、歩道橋を作っていただきたいと考えています。赤い欄干の富山の風情を印象づけるようなものをね。

諏訪 故郷に対する思いは誰しも同じなんですから、2100年位を目標に夢を描いて、街づくりをやっていくべきだと思います。それが将来、必ず私たちの子や孫に敬愛され、感謝される街に完成されていくはずです。そのために、もっと若い力が立ち上がり、発言し、行動してほしいですね。

 

▼水辺を活かした美しい街、ニュージーランド・クライストチャーチ。

柴田 そのためにも、やはり長期ビジョンが必要だと思います。それは絵本や模型によって、子供達にもわかりやすく工夫されるべきです。そしてまず、住んでいる人がもっと富山の良さを知る積極性を持つと同時に、観光客に対するマナーも身につけなければならないと思いますね。

小柴 時代が変わっても、良いものは変わらず残ると思うんです。今日の座談会の話が今すぐ活かされなくても、県民みんなが意欲を持って観光の向上に取り組めば、きっと他県の人を魅きつけると思います。

司会 「思い」を持ち続ければ、いつか必ず実現します。「風情あふれ、心魅かれる街・富山」の実現に向け、希望を持って前進していきましょう。

 

▼神通川から生まれた富山。その独自の歴史を今に伝える松川と遊覧船。

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