“水の都とやま”の歴史を生かした市民が誇れる“リバーシティ”に!

・創刊45周年/2022 グッドラック 街づくりを考える・

 

 「見慣れることは恐ろしい!とは、新富山大学初代学長・西頭德三氏の言葉。「街づくりとは、自分の住む町をしっかり見つめ、そこを魅力ある場所に作り替えること」。今回は花と緑、そして経済の専門家が、富山発祥の地・松川の未来を探る。

 

◇出席者 (五十音順)

川田 文人さん
 富山国際大学客員教授
 元 北陸経済研究所
 エグゼクティブフェロー

北山 直人さん
 北山ナーセリー
 代表取締役社長

・司会/中村孝一
(グッドラックとやま発行人)

 

 

中村 本日は花と緑の専門家である北山さんと、経済の専門家の川田さんに、先ほど新緑の中を松川遊覧船に乗船いただきました。ぜひ、感想やご提案などをお聞きできればと思っております。
 松川遊覧船が運航を開始したのは35年前ですが、北山さんは早くから松川の価値に気づき、「磨きをかければ、日本一、いや世界一の水辺空間になる」、と言っておられましたね。
 そして「アメリカのサンアントニオに、街の中の川を活かしたすごい〝川の街〟があるよ」と教えていただいたんですが、当時の中沖知事も1989年、自らが「青年の翼」の団長になって視察され、サンアントニオは学ぶべきものが多いと仰っておられました。
 久しぶりに乗船されて、感想はいかがでしょうか?

 

まちなかのオアシス松川の魅力

北山 一番最初に乗ったのは1987年、笹舟の頃でしたが、街の喧噪を離れて、異次元の世界へ入ったように感じたことを覚えています。今回は防災センターの建築工事の〝音〟がダイレクトに入ってきてしまいましたが(笑)、緑は深いですし、雰囲気は変わらないなと思いました。刈り込みなど、全体的には周りがきれいになった印象を受けましたね。
 乗船途中の魚の餌やりも良かったです。皆さん、すごく喜ばれるのではないでしょうか。また船長さんのガイドも、楽しくて面白い。やはり旅はガイドさん次第、というところもありますしね。
 下流の富岩運河では、国の重要文化財の中島閘門が動くようになりましたが、松川と船で結んでもらったら、より一層面白いなと思います。さらに言うと、松川べりにお土産屋さんが数軒あると、賑わいが生まれていいですよね。

 

▼富山市役所と松川遊覧船。松川茶屋のカフェテラスは、人々の憩いの場所となっている(2017年撮影)。

 

中村 そうなんです。お土産屋さんがあると、人通りも増えますしね。川田さんにも何度もご乗船いただいていますが、今回はいかがでしたか?

川田 緑の季節は初めてですが、船に乗ると視界が変わるんですよね。あれだけ水面に近いところから景色を眺めると、まったく違う世界が広がってくる。昔から広大な庭園で貴族や殿様が船遊びを楽しんでいましたが、視点の変化が大きいのだろうと思います。松川という宝をもっと活かして、地域のシビックプライドを高め、県民市民の自慢の場所にできたらと思いますね。

 

水とは切り離せない富山の歴史

中村 松川遊覧船は、弊誌の街づくり座談会に出席された一市民の声をきっかけに誕生したんですが、県民市民は誇りにできる場所がほしいんですよね。

川田 富山は文化がないと言われますが、これだけの人が300年以上住んでいるわけですから、文化がないということはないんです。金沢のような華やかなものだけが文化ではないですし、生活の中にしっかりと文化が息づいているんですね。私たちがもっと地元の文化を掘り下げて、気づいていくことが大切だと思います。

中村 空襲で焼け野原となり、伝統的な建物などが失われたことも原因でしょうが…。

川田 富山は歴史的にも、金沢への対抗意識から実利優先のところがあったのでしょうね。明治の分県運動で、石川との対立の原因になったのは、治山治水の工事費の問題。富山は毎年のように川が氾濫し、なんとかしなければという中で、石川から分県し、電源開発や産業振興に力を入れていったという経緯があります。
 戦後に新産業都市計画というのがありましたが、富山県は真っ先に手を挙げて、産業化を進めたんです。一方、金沢の市長は「うちは北陸の奥座敷でいい」、と言われたそうですから、考え方が全く違いますよね。

中村 そのような経緯もあって、富山は特に治水・利水という考え方が強く、情緒や風情を楽しむ余裕がなかったんでしょうね。もともと治水と利水しかなかった『河川法』が改正され、「環境」が入ったのは1997年でしたが、県の河川担当の方に理解していただくのに、かなり時間がかかりました。

川田 富山は明治の頃から、川を治めることに主眼を置いていましたからね。

中村 そうなんです。これまでの富山の歴史から考えると、当然なのかもしれませんね。

北山 川は富山の産業の遺産であり、水との闘いの中で先人達が努力した歴史を感じることができる場でもあるんですよね。松川の船旅を通して、昔の人々の苦労や功績に思いを馳せることができるという点で、「松川遊覧船」はものすごく面白いと思います。
 やはり、あらゆる面で水が富山県を作っていると言ってもいいと思うんですよ。ですから、県民市民が一番自信を持って伝えることができるのは、川との関わりの歴史ではないかと思うんです。

中村 私たちが当たり前と思っていることも、他県の方からは驚かれることが多いですからね。「松川遊覧船」を始めたばかりの頃、北山さんが「この土手を活かせば素晴らしい財産になるのでは」と提案され、それまで土手については考えたことがなかったので、ハッとした覚えがあるのですが…。

北山 立っている時と違い、座っている時の一番の目線のポイントは、土手になってきますからね。それがどう変化していくかということは、非常に重要になります。

中村 サンアントニオでは、松川より2メートルほど下を川が流れているので、峡谷へ入り込んだような感じになるのですが、この土手の部分を非常にうまく利用しているなと思います。

 

▼“リバーシティ(川の街)”を誇り街づくりを進め、成功したサンアントニオ。土手にホテルが建ち並ぶ。

 

川田 松川のソメイヨシノは、そろそろ限界なのではないかとの声もありますが、いかがですか。

北山 ここは環境がいいですからね。土手は平地より水はけが良くて、空気が土の中に入りやすいので、何を植えてもよく育つんです。富山では魚津の天神山あたりのソメイヨシノが古くて、もう100年程ですが、松川べりに植えられたのは戦後ですから、あと20年位は大丈夫だと思いますよ。

中村 サンアントニオの大きな特徴は、車の騒音がなく、日常と別世界を作り出していることです。以前、県の出納長をされていた澤合敏博さんは、一緒にサンアントニオへ視察にも行かれましたが、市民の合意を得ることができれば、松川沿いの道路を公園化したら良いと言っておられました。

北山 ニューヨークで鉄道の廃線跡をすべて植栽して公園化し、大人気の観光地になった場所がありますが、重要な提案ですよね。

川田 静岡県三島市の源兵衛川では、川辺にカフェなどがありますが、松川でも水面に近い場所にお店があるといいんでしょうね。

中村 サンアントニオも川のすぐそばにお店が並んでいますが、これは大雨が降っても増水しないような仕組みがあるからなんです。富山も2018年に松川雨水貯留施設が完成し、めったに増水しなくなりました。しかし、下流で合流しているいたち川が増水すると、バックウォーター現象が起こり、松川も増水しますので、これを解決することが重要な課題です。

 

市民の意識を高めさらに魅力アップを

北山 松川の周辺整備には長い年月がかかっていますが、一つ一つ着実に進展しているように思います。これだけの素地ができてきましたし、これからはいかに活かしていくかという段階に入ってきたのではないでしょうか。

川田 サンアントニオへ議員や県の担当者などが視察に行った2003年頃が、松川に行政関係者の関心が最も高まった時期だったんでしょうが…。トップの意識が重要とは思いますが、その意識を変えるのは市民の力ですから、粘り強く提案していかねばなりませんね。

北山 先頃のチューリップフェアには海外からの観光客も多かったですが、これからはまたインバウンドのお客様も増えてくると思います。その時に、富山市内の観光もツアーに入れてもらって、ぜひ松川遊覧船に乗っていただいたらいいですね。日本人の声より、外国人の声の方が影響力があるという面もありますから。

川田 富山の旅行ガイドには市内観光はあまり載っていませんが、まちなかの見所についてもっと情報を発信していくといいですね。

北山 最近は個人客やファミリー客が多いですから、1〜2時間で市内を観光したいという方に、ホテルなどを通じてうまくアピールできたらいいのではと思います。松川と富岩運河をつなげることができれば、遊覧船で半日コースも楽しめますしね。

中村 富山の歴史や文化を知っていただくツールとしても松川遊覧船を多くの方に活用いただき、〝水の都とやま〟のシンボルとして市民が誇れるよう、さらに魅力アップできればと思います。本日は誠にありがとうございました。

 

▼神通川から誕生した“水の都とやま”を松川を中心に市民が誇れるよう、魅力アップしていきたいですね。(2017年撮影)

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