富山市中心部に情緒のある場所を

マンパワーセキュリティー株式会社 代表取締役社長
尾山 謙二郎 さん
Kenjiro Oyama

 

 一度倒産を経験後、29歳の時に今の警備の事業を始め、今年で22年目を迎えた。
 「おかげさまで、いろいろな方に助けて頂いて。本当に不思議なご縁の中で、奇跡的な手を差し伸べて頂いたことが何度もありました」
 戦後、公選初の富山市長に選出され、戦災復興に尽力した尾山三郎氏は、曾祖父に当たる。現在、呉羽山の「桜の広場展望台」には、建立委員会により建てられた銅像がある。
 〝先生は明治二十一年十二月富山市手伝町に生れ資性温厚にして篤実強い義侠心に燃え温い抱擁力と美しい人情味に溢れ公私の生活を通じ奉公の一念に貫かれた〟で始まる裏面の説明文から、多くの人から尊敬を受けていたことがわかる。
 「三郎は大野家から尾山家に養子にきたんです。当時、尾山家は莫大な財産があった家らしいのですが、三郎はそれを全部人のために使ってしまって、残ったのは僕が生まれた千石町の家1軒だったらしいです。逆に言うと、それだけ人のためにお金を使わせて頂き、人のお世話をさせて頂いた人生だからこそ、多くの方に心を寄せて頂けることもできたんでしょう。僕にそれだけの財産があったら、一緒のことをしているかもしれません。自分の性格を考えた時に。あ、これが〝血〟なんだなと思いますね」
 これまで、人生の転換期や停滞期には、銅像を訪れたという。
 「ああ、やっぱり腐っちゃだめだよなと。支えですよね。ありがたいものを建てて頂いたと本当に思いますね」
 富山市中心部の活性化にも関心を寄せる。
 「県外からいらっしゃった方を富山市内のどこにお連れするかといった時に、空襲で燃えてしまっているからなかなかお見せするものがないのが事実ですよね。金沢は、燃えてないだけあって情緒があります。富山はきれいな街並みではあるんですが、やっぱり情緒がないですよね。新幹線が開通して、富山駅前は高級ホテルが立ち並ぶようになりましたが、以前あった須田ビルやシネマ街のような、ごちゃごちゃした裏路地みたいなところを残していかないと、非常に人工的で無味無臭の空気感を生み出す街になってしまいます。国際社会の中で生きて行く術として一定程度の受け入れは必要ですが、日本古来の伝統文化や価値観に根付いた経済の形、地域の作り込みが大事だと最近すごく思いますね」

 

プロフィール ●
1970年(昭和45年)2月7日生まれ。富山市千石町出身。AB型。富山第一高校卒。イギリスに1年、アメリカに1年半語学留学。その後、貿易会社を設立するが倒産。1999年11月、総合警備会社を設立。2009年から慶応義塾大通信教育課程で政治を学んだ。2012年度には、日本商工会議所青年部の会長を務めた。公選初代の富山市長、尾山三郎氏は、曾祖父。
○座右の銘…「独立自尊」 ○好きな言葉…「仲間」

 

おすすめ