歴史が凝縮した旧神通川エリア(松川べり)に夢を描こう

富山県富山土木センター 所長
酒井 信久 さん
Nobuhisa Sakai

 

 「富山市を水害から守るため神通川を直線化した馳越線工事は、富山市が今のように発展する本当に象徴的な大事業でした。先人達は、その物語を松川としてしっかり残しながら、昔の流れの跡である廃川地を埋め立てて、そこに、学校、県庁、富山電気ビルが、その後、富山県を代表する多くの企業等が立地していきましたが、これは都市計画事業として行なわれたものです。松川は上流に神通川に排水できる水門をつけて水を入れなくすることができるようになっていて、
いわば“治水機能を神通川に委ねて多様な機能を発揮できる河川”ですから、洪水対策を中心とした河川管理者の発想で捉えるのではなく、県都富山市の礎を築いた歴史ある主要な都市施設として考えるべきです。今、県庁周辺エリアの絵を描くお話もお聞きしますが、歴史的経緯から考えると、大本に据えるもののひとつに松川(旧神通川)があるだろうと思います」と熱く語る。
 「とはいえ、松川はいたち川が増水すると逆流して水位が上がりますし、集水エリアに降った雨も入ってくるし、道路の側溝からの流入もあります。流速はないので池のような感じになるわけですが。ですから、これまで提案されているサンアントニオのような水際のレストランなどを作りたいという場合には、松川がどういう川なのかをしっかりと捉えておかなければいけないと思います。つまり、合流するいたち川なども含めて、市中心部の水の収支をトータルで把握するということです。それができて初めて、大雨の時の水位上昇とどのように共存していこうか、といったイメージが描けるようになってくると思います」
 「松川は南側には富山藩の富山城跡の城址公園があり、北側には行政の中心施設があり、富山駅からも近く交通の便も問題ない。魅力ある夢を描く場所として、何の問題もありません。気運を盛り上げるには、まずは歴史を拠り所として、例えば、“旧神通川右岸” “旧神通川左岸”という石柱を立ててみるのも一つだと思います。3年後の2028年には、馳越線工事が完了して125周年の節目を迎えますので、それに向けてさまざまな取り組みをしていくというのも良いのではないでしょうか」

 

プロフィール ●
1964(昭和39)年10月23日生まれ。富山県上市町出身。
1988年、新潟大学工学部卒業、ゼネコン就職。1992年、富山県入庁。2008年、富山土木道路改良第一班長。2009年、建設技術企画課技術指導係長。2011年、道路課雪対策係長。2013年、立山町建設課長。2015年、建設技術企画課課長補佐・主幹。2017年、港湾課主幹。2019年、建設技術企画課長。2021年、富山県企業局次長・水道課長。2024年、富山土木センター所長。

 

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