姉倉姫(比売)神社(富山市舟倉〈船峅〉&富山市呉羽町)
越中神話・姉倉姫伝承の場所
江戸時代の『三州奇談』(堀麦水)や『肯搆泉達録』(野崎雅明)には、姉倉姫の神話が紹介されているという。
姉倉姫は船峅山(富山市舟倉の一帯)を本居とした女神で、能登石動山の伊須流伎彦と夫婦の間柄であったが、伊須流伎彦が杣木山(石川県中能登町の能登比咩社のあたりではないかと廣瀬誠氏は推測)の能登姫と通じたため、姉倉姫は激怒し、この三角関係のもつれから、越中・能登は戦乱となった。能登姫は海水を巻きおこして潮水を吹きかけ、姉倉姫はありったけの小石を投げつけたため、船峅の上野には小石が一つもなくなったという。布倉山(立山町横江集落背後の山。「尖山」)の布倉姫も姉倉姫に加勢して戦った。
この騒動を聞いて、出雲から大国主ノ神がやってきて、戦乱を鎮め、関係者を処罰した。伊須流伎彦と能登姫は海浜にさらして重く罰され、姉倉姫は呉羽の小竹野に謹慎させられ、機織の仕事で罪を償わされた。姉倉姫が機を織っていると、窓から蝶が舞い込んで、姫の仕事の手助けをした。この蝶は蜆ケ森のシジミ貝が変化したものだという。ちなみに、近くの水田の一隅に塚があり、これが蜆ケ森で、白髭神社がある。もともと縄文時代の貝塚だという。
数年後、姉倉姫が許されて故郷の船峅に帰るとき、無数の蝶が姫を慕って舞いながらついていったと伝わる。こうした由緒があることから、本居地の船峅にも、流謫地の小竹(呉羽)にも姉倉姫神社が祀られているのだという。
参考文献/「神通川と呉羽丘陵 ふるさとの風土」(廣瀬誠著・桂書房)
▼姉倉比売神社(舟倉)
看板の説明によると、舟倉の地一帯は神代の昔から拓け、古事記・日本書紀には、紀元前30年頃に姉倉姫がこの辺りの賊を征伐、統治され、後に農耕と養蚕を地元民に広め、特に機織りの神として尊崇されたと記してあるという。
▼姉倉比売神社(呉羽)
看板の説明によると、姉倉姫は姿かたちの美しい女神様で、故あって、故郷の船峅山から今の呉羽町へお移りになり、以後、その土地の人々と力を合わせて、開拓を進められたという。心やさしい姫は、娘たちに機織りを教え、村人達には仕事に精を出すよう励まされたので、誰もがお慕いするようになったという。
▼白髭神社