前田十万石の城下町・富山町を通った北陸道(富山市)

 かつての北陸道は、富山町のどこを通っていたのでしょうか?富山市郷土博物館ホームページの「博物館だより」第十五号をもとに西から見て行きましょう。
 北陸道は愛宕町で富山町に入りました。その後、64艘の舟を鎖でつないでその上に板をのせた舟橋(日本一の規模)で神通川を渡りました(藩政期には、神通川は図のように蛇行して流れていました)。県森林水産会館前と舟橋南詰に残る2つの常夜灯の間を歩くと低くなっていますが、これは旧神通川の川底であった名残りです。
 舟橋を渡ってすぐの助作川の手前で右折し、旧神通川にぶつかる手前で左折します。しばらく南下し、平吹町で左折。このあたりには、鉄砲町や宿屋が集まる旅籠町がありました。かつてのお堀とぶつかるあたりで右折し、平和通りで左折します。直進し、大和の前を通り、電車通りで左折し、中央通りへ。中央通りは戦前まで、西から中町、袋町、東四十物町という町名で、老舗の多い問屋街だったそうです。戦後小売商店街の形になりました。商店街が終わる少し手前で左折し、中教院通りへ。少し行って右折し、「砂町のだらだら坂」と呼ばれた緩やかな下り坂を通り、雪見通りに入り、雪見橋をわたり北新町交差点へ。斜めの道に入り、於保多神社、越中稲荷神社の前を通り、赤江川橋で赤江川を渡ります。この橋は、藩政時代、富山藩と加賀藩の境界線で、両藩折半で架けられました。

 


▲「越中之國 富山船橋之真景」松浦守美(1824〜1896) (株)源 所蔵

 


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