夢のリバーウォークはこうして誕生した(「川と街づくり国際フォーラム」基調講演より)
2003年9月19日、神通川馳越線工事100周年を記念し、富山国際会議場で「川と街づくり国際フォーラム」が開かれ、アメリカ・テキサス州サンアントニオ市公園管理者のリチャード・ハード氏が基調講演を行なった。2003年11月号から、その模様を再掲する。
河畔に人々の笑顔、都心のオアシス リバーウォーク
アメリカ南部のテキサス州にサンアントニオという小さな川があります。ところがこの小さな川が、年間1400万人以上の来訪者で賑わう観光都市・サンアントニオの発展に巨大な影響を及ぼしてきました。中心部を曲がって流れる川辺りには、レストランやホテルやお店が並び、道路から5メートル下りると、それは別世界のように広がっています。緑豊かな河畔のこの公園は「サンアントニオ・リバーウォーク」と呼ばれ、世界有数のコンベンション都市となったサンアントニオの大きな魅力になっています。
現在、川辺りにあるアーネソンリバー劇場は1年を通して利用されており、夏の間は毎晩イベントが催されます。一週間のうち5日は「フィエスタ・ノーチェ・デル・リオ」というスパニッシュダンスと音楽が上演されます。クリスマスシーズンは12万5000ものライトが木に取り付けられ、合唱隊が水上でクリスマスソングを歌うなど大変ロマンチックな季節として、もともと来訪者の比較的少なかった12月が、今では人気のシーズンの一つになっています。
計画段階から愛情をもって関わってきた市民
リバーウォークの成功の鍵、歴史をひもとくと、サンアントニオ川とこの街に対する市民の深い愛情は、19世紀の終わり頃から顕著になりました。大きな洪水、そして悪化する川の外観から論争が起こり、河川美化への提案が多く出されたのです。
そんな中、地元の建築家ロバート・ハグマンは、保全委員会と市長にリバーウォーク計画を提出しました。商業の発展だけでなく、川をとりまく美しい自然の維持をも視野に入れた治水対策は、人々の興味をひきました。これが今日の〝川の街〟の始まりです。関心を持った市民は、計画段階から積極的に参加してきています。失敗もありましたが、議論の末の妥協案によって被害は最小限に留められてきました。時には資金もなく権限もなく、ただ行動を起こすため計画は模索されました。計画が正しいものであれば、お金は後からついてきます。夢が叶うまでには、時には10年、もっとかかるかもしれません。私の講演が、富山の発展に役に立つことを願っています。
●リチャード・ハード
テキサス大学で植物学学士号取得。’81−’98までサンアントニオリバーウォーク、市洪水対策の管理責任をとる河川管理監督官を務める。基調講演時は公園全体の管理者。