畑中勇清さん(1934-2013) 心によって偉大であった人

文/中村孝一

 私は、畑中勇清(ゆうせい)さんが忘れられない。1月16日、彼は78歳で天国に召された。
 最初の出会いは、50年前にさかのぼる。私がフーラー・ドームの研究から、アーチ型の建物を考案し、地鉄本線沿いに建てたときのこと。この場所が電車の乗客にPRできる絶好のロケーションであることに気づき、彼に屋根いっぱいを使って広告文をお願いした。そう、彼は看板業「ハタナカアート」の社長だった。
 当時、アーチ型の建物は非常に珍しく、関心を引くために考えたキャッチコピーが、なんと、「私を研究してください」だった。そして、「その下に社名の『ユニメント』を小さく書いてください」とお願いした。彼は、大きな目をさらに大きく見開いて、「こんな広告文は見たことがない!」と驚いた。その様子がまるで子供のように純粋で、正直な人との印象を受け、いっぺんに親しみを持ったことを覚えている。
 その後、「グッドラック」を創刊。立山町から内幸町のテナントビルに移転し、市電通りに面した窓ガラスに大きく誌名を入れてもらった。丸の内のテナントビルに移転した時も、ガラス面と立て看板を依頼。さらに、現在地に移った25年前には、玄関に立て看板と社銘板、屋上に広告塔を制作してもらった。
 グッドラックの座談会で、富山の中心部に観光名所を創ろうと、松川に遊覧船を浮かべる話をすると、畑中さんは大きな目を輝かせて言った。「遊覧船があれば楽しい町になるね。それに、川の風情と舟は絵になるからね」
 本当は絵描きになりたかったという畑中さん。ベネチアに行った時、ゴンドラの浮かぶ風景にうっとりし、「帰りたくなくなった」のだという。またある時、私は彼が相手の気持ちを素早く理解するのに驚いて、「まるで藤吉郎※みたい!」と言うと、とても照れていたことを思い出す。
 10年前、神通川直線化100年を記念し、松川で川の祭典「リバーフェスタ」と「川と街づくり国際フォーラム」を開催した際、「水上パレード」や「絵画展」にいろいろアイデアを出してもらった。「滝廉太郎記念館」を開設することになり、その看板をお願いすると、「この文字だけは、やはり中村さんが書かないと魂が入らない」と、頑として譲らなかった。結局、私の文字を写し取って、彼が木板に書くことになった。そして、「滝廉太郎が少年時代、富山城から見た月が、『荒城の月』の名曲誕生につながったとのエピソードは素晴らしい」と、我がことのように喜んでくれた。この時、富山城の石垣の上に輝く美しい月の絵を描いてもらったことも忘れられない。
 ロマン・ロランは言っている。「思想と力によって勝利者になった人々を、私は英雄とは呼ばない。私が英雄と呼ぶのは、心によって偉大であった人々だけだ」
 畑中さんは、まさに心によって偉大な人であった。

※木下藤吉郎(豊臣秀吉の前名)


▲畑中氏が『荒城の月』をイメージして描いた、富山城の石垣と月。


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