池田武邦さん(1924-2022)富山市庁舎は神通川に浮かぶ帆船をデザイン!

文/中村孝一

 富山市の庁舎を設計された池田武邦先生が、98歳で天国に召された。池田先生は、日本初の超高層ビルとして知られる霞が関ビルを設計され、1968年、44歳の時に完成させたことで話題になった人だ。
 1987年、富山観光遊覧船㈱が設立され、松川に遊覧船が浮かんだ同じ年に、池田先生が設計した長崎オランダ村が開村。また、1992年、松川茶屋と富山市の新庁舎が完成した同じ年には、同じくハウステンボスがオープン。こうした偶然が、池田先生に親しみを感じた第一歩だった。
 1996年9月、「第11回国民文化祭’96」が富山県で開催された折には、フォーラムのパネラーとして出席されることを知り、早速インタビューを申し込んだ。
 来県された池田先生には、自然あふれる緑の松川を遊覧船から楽しんでもらったが、同乗された奥様と共に大喜びだった。
 その後、富山第一ホテルのルミエールでインタビューとなったが、「富山市から新庁舎の設計依頼があった時、インスピレーションがひらめいたんです。それは新庁舎が、かつての神通川の上に建つ、それなら神通川を行き交った帆船の姿をデザインに取り入れよう、そうすれば、神通川によって生まれ、その名残を残す松川と共に育ってきた〝水の都とやま〟の歴史と文化と伝統を後世に残すことができる」と。
 「実は、富山の街の生い立ちは、パリと非常に似ているのです。セーヌ川によって生まれ、セーヌと共に育ってきたパリ。そのパリ市の紋章は、その川と船をかたどったもの。『たゆたえども、沈まず』と記された言葉には、パリが歩み続けてきた2000年の歴史があります」と。
 そういえば、1970年代に、松川をコンクリートでフタをして、駐車場にしようという無謀な計画が発表された時、当時の改井市長と佐藤助九郎氏が、「松川は富山のセーヌ川!」と訴えて、松川を救ったといわれる。また、戦後復興のシンボルとなった都市計画では、駅前から南に伸びる城址大通りの両側に幅の広い歩道が設けられたが、これもパリのシャンゼリゼ通りをモデルに設計されたというから、不思議な話だ。
 神通川から誕生し、その名残を残す松川を中心に、〝水の都〟を創ろうと、「〝水の都とやま〟推進協議会」を発足したい、と相談したところ、「成功するための知恵を授けたいので、是非お会いしたい」と招待され、東京の自宅を訪問することに。あれから5年、「〝水の都とやま〟推進協議会」の総会が開催された5月15日、「富山市にとって松川は大切な宝物です!」との遺言を残し、あなたは旅立った。


パリ市の紋章

セーヌ川と船をかたどったもの。セーヌ川によって生まれ、セーヌ川とともに育ってきたパリの歴史を表している。


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