伝承ということ
須山ユキヱ
作家
話の大筋は子どもの頃からなじんでいる昔話を、首尾よく通した古典の中に見出すと、懐かしさが増し、思いも拡がる。
枕草子(二二六段)に「昔おはしましける帝のただ若き人をのみ思しめして四十になりぬるをうしなわせたまひければ…」と始まる和泉の里の、蟻通し明神縁起の説話もその類いである。
老人を殺してしまう帝に隠れて、70近い老父母を床下に隠したのは中将なる孝行息子。折しも唐土の帝が、この國の帝を謀って國を討ち取ろうといくつもの難題を持ちかけてくる。その度に答えられる人はなく、中将は父に尋ね、それによって難を逃れる。
その中に、「七曲がりに曲がりくねった小さい玉に糸を通すように」との難題があった。誰もが通せず、中将が父に相談すると、「大きい蟻を2匹捕らえて腰に細い糸をつけ、またそれにもう少し太い麻の紐をつないで向こう側の口に蜜を塗れ」と言う。
その通りにすると、蜜の香りをかいで、蟻は出て来た。細い糸に導かれてつながれた強い麻の紐は、七曲がりの玉を貫いたのである。
賢さに驚いて、唐土の帝は脅迫を止め、息子は老父母の命乞いに成功する。話の前後はまだあるが、伝承について思う時、私は細い糸に丈夫な麻の紐をつなぐ細心の知恵に頭を垂れる。途中で切れては何にもならぬから。
台風の翌日、H氏のお招きを受けた。片付けられた名園に名残りの落葉が4、5枚点描されていて、秋の風情を醸している。そこで「多羅葉」に出会った。この葉に便りを書いたのが、葉書の始まりだという言葉の面白さは心に残っていたが、それがこの木とは知らなかったし、書き方の作法も知らなかった。
H氏は落葉を取り上げて、肉厚の葉の裏に折り枝の尖りで文字を書いた。文字は見るうちに黒く刻み込まれて浮き出た。光る葉の裏に墨で書くものとばかり思い込んでいたので、驚きが大きい。ちぎって下さった数枚が、たちまち宝物に変わる。
人差し指の爪を立てて、「ノウキオミマイ」と片仮名を書き付けてみる。浮き出た黒文字が愛おしい。
H氏の母上は「子どもの頃、この葉の上に火種を転がしながら模様遊びをしたものですよ」と添えられた。すっかり、多羅葉に魅せられて帰宅。辞書を引けば、この葉に教典を書き写したとのインド(印度)の話が出ている。
葉書の始まりという情緒の前に、写経という物々しい歴史があったということを知ったのも1人感慨を増す。他に、お茶代わりになるともある。すると、書き跡が黒く変色するのはタンニンのせいであろうか。いずれにせよ、何によらず知っている方から次代に伝承してほしい。
笹舟、草笛、爪染め草、すもうとり草、朴葉の面、こんな遊びが途切れるのは残念である。そういう素朴な遊びを聞いたり伝えたりして、楽しむ運動がもっと盛んになってほしいと思う。藁細工などが伝えられているのを聞くと、楽しくなる。
せっかくの緑の地方都市富山なのだから、緑にまつわる伝承を大切にしていきたいものである。
※グッドラックとやま 平成2( 1990)年11月号「地域文化論」より・役職は当時のもの