滝廉太郎少年像(富山市/マンション堺捨前)

 近代日本の生んだ代表的作曲家、滝廉太郎(1879〈明治12〉年8月24日、東京生まれ)は、内務省官僚の父・吉弘氏が1886(明治19)年8月に富山県書記官(現在の副知事に相当)として赴任したことから、明治21(1888)年5月までの1年8カ月あまりを富山市で暮らし、富山城内「赤蔵跡」にあった富山県尋常師範学校附属小学校(現在の富山大学人間発達科学部附属小学校)に通いました。
 ちなみに、父・吉弘は、豊後国日出藩(現在、大分県速見郡日出町)の家老職を代々務めた上級武士の家柄でした。
 こうしたことから、1978(昭和53)年の滝廉太郎生誕100年を迎えた際に、富山県在住の九州人会「おきよ会」が、第二の滝廉太郎が生まれることを願い、小学校跡付近に建つ堺捨旅館(現在のマンション堺捨)の前庭に少年像を建立し、6月30日に除幕式を行ないました。当日は、富山大学附属小学校児童による『荒城の月』の合唱があった他、来賓の改井富山市長からは「こどもたちに大きな夢を抱かせてくれる」との祝辞があったと当時の新聞は伝えています。
 裏面の発起人を記した銘版には、「おきよ会」会長の西泰蔵氏(鹿児島県出身)、森岡政治副知事(熊本県出身)、植木忠夫富大名誉教授(大分県出身)ら15名の名前が並んでいます。
 また、横の案内板には、〝滝廉太郎の一連の作品の中でも「お正月」や「雪やこんこん」などは、後年富山の生活をしのんで作曲したものといわれている。〟と紹介されています。

※「雪やこんこん」は、その後に作られた一般的に歌われている文部省唱歌「雪(雪やこんこ)」とは異なる曲です。


▲発起人名簿。

 


▲「荒城の月」の歌詞も

 


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