舟見城址館(入善町)

源平合戦に勇名を馳せた越中宮崎一族の祖の末裔が入善町に寄贈

 黒部川扇状地や富山湾が一望でき、散居村と富山湾が織りなす四季の絶景を見ることができる舟見城址館。平成3年、初代城主・入善小太郎の末裔の宮﨑氏により築造され、入善町に寄贈された。館内には宮﨑家の所蔵品の掛軸、絵巻、古文書などが保管、展示されている。
 舟見城の築城の年代はわからないが、宮崎城主太郎の嫡子である入善小太郎が舟見城を構築したとの伝承がある。その時期は源平合戦(1183)から承久の変(1221)の頃と推定され、北条軍を迎え撃つ一環として構築したと考えられている。
 弘治年間(1555〜78)には上杉謙信に攻められ、当時の城主・飛騨守左近尉が防戦したが敗れた。この時、黒部川断崖より飛び降り最期を遂げたといわれる「飛騨が渕」の地は、現存するという。
 江戸時代となり、黒部川にも橋梁が架けられるまで、舟見城は宮崎城と共に戦略上の重要な山城であった。舟見宿を加賀藩、富山藩、大聖寺藩の参勤交代の行列も通ったという。

参考/案内板、他

 

 

 

 

 

 

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