冬場に台湾からのお客様が増えました

髙桒正賢(しょうけん)

庄川遊覧船㈱ 取締役支配人
1951年、南砺市下梨(平)生まれ

 

 庄川遊覧船は、昭和6年に運航を始めています。庄川では古くから飛騨・五箇山から木材を切り出して川に流し、庄川町(現在は砺波市と合併)や高岡で引き上げて全国に売り捌くという商売が盛んに行なわれていました。ですから、小牧ダムが建設される時に、そういった木材関係を生業としている何百人という人々が大反対運動を起こしたので、ダムによって流れなくなる木材を船で引っ張って、責任を持って庄川まで届けなさい、という和解条件でダムの建設が認められました。
 大牧温泉旅館は、江戸時代から河原で自噴している湯治場でしたが、ダムを作ったら湖底に沈んでしまうので、土手に新たに建物を建てて昭和6年から営業を再開しました。「船でしか行けない秘境の1軒宿」ということで、人気を集めています。
 また五箇山地方の人たちは、冬に街に出ようと思ったら、それこそ命懸けで峠を歩いて越すしかなかったので、冬場の足として船を利用してもらうことになりました。
 以上3つの目的で運航が始まったわけですが、昭和9年頃に大雨で木材を引っ張るための施設が全部壊されてしまい、もともと真冬の12月から1月にかけて行なう物理的に非常に無理のある仕事だったため、電力会社は陸上輸送に切り替えました。また、50年代にスノーシェッド(雪崩避け)ができてから、冬場の足としての役目も終わり、その後は大牧温泉のお客様の送り迎えと、関西電力さんが近くの大牧発電所で冬場に月1回行なう保守点検のために船が利用されるようになりました。そして、平成20年に、船の運航が関西電力さんから大牧温泉に事業譲渡されることになりました。
 最初は、観光のことも船のことも全くわかりませんでした。関西電力さんの時は旅行会社への手数料がなかったので、手数料を出すことにして営業を強化しました。交流サイト(SNS)に遊覧船の写真が投稿されたことも、知名度アップにつながったと思います。
 その他、ラッキーだったのは、県がインバウンド誘致に本腰を入れ始めて、冬場の観光資源として立山山麓スキー場や相倉合掌造り集落と共に、庄川遊覧船をピックアップしてくれたことです。私も台湾でのプロモーションに何度か参加し、今では、台湾のお客様を中心に多くの方が冬に訪れるようになりました。(談)

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