松川べりを県都・富山のシンボルゾーンに!

「川と街づくり国際フォーラム」開催15周年記念
グッドラックとやま2018街づくりキャンペーン

松川べりを県都・富山のシンボルゾーンに!

 

富山市中心部を流れ、神通川本流の名残をとどめる松川。グッドラックの座談会ではこれまで様々な有識者を招き、“水の都・とやま”にふさわしい松川のありかたを探ってきた。今回は1998年9月号掲載の座談会を振り返りながら、これからの未来像を探ってみたい。

 

座談会参加者
(役職は1998年当時のもの)

今井清隆 さん(富山土木事務所所長)
金谷英明 さん(富山県河川班技師)
笹倉慶造 さん(元・富山県自然保護協会副会長)
北山直人 さん(北山ナーセリー社長)
林澄子 さん(年をとらないための生活講座世話人)

司会
中村孝一(グッドラックとやま発行人)

 

大きな可能性を秘める松川一帯

中村 今回は、県都富山市の中心部を流れる松川の一帯を「花と緑の日本一」のシンボルにできないか、というテーマです。

今井 松川は、まさに「水の都・とやま」のシンボルにふさわしい歴史を持っています。かつては神通川が磯部の付近から直角に曲がって、現在の松川のところを通り、大きく西側に蛇行して、また現在の神通川に戻っていた訳です。
 このため、天正8年からの記録に現れただけでも、100回以上の洪水に見舞われています。明治34年から36年にかけて、神通川本流の直線化「馳越(はせこし)工事」を行い、蛇行していた300メートルほどの神通川河川敷は廃川敷になりました。その後、区画整理事業で富岩運河の掘削土で埋め立てられ、県庁、市役所、電気ビルに至る官庁街に生まれ代わり、今の松川が神通川の名残として整備されたのです。
 松川の桜は改修工事に合わせ、昭和9年、風雅会の記念事業として植えられましたが、空襲ですべて焼けてしまい、昭和24年以降に各種団体や市民の協力で植えられたものです。

中村 当時、改井市長は、「松川は富山のセーヌ川」と、そのシンボル性を強調し、高く評価しておられたのですが、当時の商工会議所の幹部は松川の価値が理解できず、コンクリートでフタをして駐車場にしようと企てていたんですね。本当に危なかったんです。セーヌ川のないパリが考えられないように、松川がなかったら富山でなくなってしまいます。もし、神通川(現・松川)を天然の外堀に、富山城が築かれなかったら、城下町も誕生しなかったし、現在の富山の街もなかった。まさに富山の歴史が松川から始まっているわけで、松川は富山発祥の地なんですね。
 そう考えると、市民の皆さんが松川をもっと大切にしないといけないし、それにふさわしく美しく整備しなければならないと思います。富山の人は気づいていませんが、街の中央を松川のようにヒューマンスケールな川が流れ、遊覧船が行き交っている街は、日本中どこにもないですからね。

 

セーヌ川の遊覧船も、松川遊覧船のように街に不可欠なものとなっている。

 

川を生かして新しい価値を創造する

北山 水辺を活かした空間が世界中にできていますが、ちょうど富山の場合も、この松川が富山県の県都・富山市の中心であり、政治・文化すべての中心地が松川をはさんでその両側にある。ロケーション的に一番富山のシンンボル的な場所で、どのように様々な価値を見いだしていくか——。観光、人の潤い、文化、歴史…。松川はこれらの価値を総合できる場所であり、広さも十分あると思うんですね。
 川だけではなく、川の周囲をすべて使って、川を生かし、水を生かし、緑を生かし、花を生かし、最高に誇れるような場所をつくっていく。それが、新しい時代の価値観を生み出すのです。松川一帯は、磨けばどうにでも変わるような「宝」的な場所。ここを中心に、人が集まる、楽しめる、いろんなものが見れる、語れる。そんな場所になってほしいなと思います。

 

松川の史実を整備に生かす

笹倉 松川の歴史的事実を、何らかの形でもっと強調するべきですね。神通川の馳越工事の話も、知らない人が多いんです。そういう歴史的事実を、今後の整備計画の重要なコンセプトとして取り上げる。神通川と富岩運河の結びつきもわかるようにする、ということが大切だと思います。
北山 一貫した考え方や、テーマ性——。それに乗っとって計画が全部つながっていることが大切。これだけいいロケーションなのですから、新しい時代、新しい世代の人たちに受け継いでほしいものを、今から一つのプロジェクトとしてやっていくべきです。

金谷 私は松川を担当して3年ですが、松川の水について一時、だいぶん勉強したことがあります。上流の土川から浄化用の取水をするため、昭和59(1984)年に建設省がダムを建設し、水量は増やすことができたのですが、ヘドロが堆積して、平成6(1994)年の春に大型船「滝廉太郎Ⅱ世号」の試乗会の時、橋の下の浅い所で立ち往生したため、平成7(1995)年にブルドーザーを入れてヘドロを除去しました。
 それから、水草がかなり生えており、ゴミがひっかかったりしますので、市とも協力しながら刈り取っています。

中村 ありがとうございました。いろいろ努力しておられるということですね。

 

ブルドーザーによる松川浚渫の様子。
〈平成7(1995)年3月〉

 

城址公園と一体化した整備を

 私は、城址公園が顔であり、松川べりが額縁じゃないかと思います。公園をもっと良くして、それにあった松川べりをつくったほうが調和がとれると思います。中心部が空洞化してきたのなら、いっそのこと、もとの富山城址に作り替えて魅力ある公園にすれば、たくさんの人が集まってくるようになると思います。

中村 今、市としてはお堀を復元し、一帯を公園化できないか考えているようです。

 

水辺の遊歩道をつなぐ

今井 松川を「水の都・とやま」のシンボル空間にするには、まだまだ知恵を出さなければならないと思っています。県では、昨年から松川を中心として富山市全域を対象に「水と緑のネットワーク構想」というものに取り組んでいます。松川、いたち川沿線にはいろんなお寺や地蔵さんもありますから、それらをつないで面白い物語をつくれないかと思っています。
 今、考えているのは、松川の中にある遊歩道をつないでずっと下って、神通川へ行って、日赤のほうまで回る。こういったネットワークを考えています。それも、ただ単に結ぶんじゃなくて、前から中村さんが言っておられる川の中の遊歩道に泥が上がると汚いですので、美しくて気持ちよく散歩できるようにする。そういった大構想を立てて、そうやるんだと。 その時にどういった問題があるか。それを一つ一つ消していけば、必ず「夢が現実に」なるんじゃないかと確信しています。

中村 素晴らしい構想ですね。遊歩道がつながると面白いと思うんですね。道路面に上がらないで、川べりを歩けると全然雰囲気が違いますからね。車も見えないように生け垣などで工夫すれば、自然公園の中を歩いている気分になれると思いますよ。峡谷の中の川べりを歩く、まさに街中に非日常の空間が生まれる訳ですね。

身近なものから順に整備を

今井 そうですね。よくサンアントニオの話が出ますけれど、確かに下がってしまえば世界が違うんですね。まずそこからやってみる。その時に、先ほどから問題となっている遊歩道の冠水を防ぐにはどうすべきか。ヘドロの堆積をどうするか。石積みをもう少しセンスの良いものにできないか、あるいは植栽などでカバーできないかなどを、この事業で考えていきたいですね。

北山 やってみると全然違いますよ。やって人に歩いてもらう。そしたら、そこから見えてくるものもまた違ってくると思います。

 

自然が美しく保たれている、アメリカ・サンアントニオのリバーウォーク。

 

今井 この問題をもう一つ先に進める時に、避けて通れない問題は、市民のコンセンサスをどう得るかということ。
 現在の松川は、郷土の先人達が知恵を絞ってつくってきたものです。この川を次代に引き継ぐためには、これからの川づくりをどうすべきかをこのような座談会等で大いに議論していただき、誇りと親しみを感じる、富山らしい川づくりの実現に努めていきたいと思っています。

中村 今日いただいた貴重なご意見を具体化していけば、神通川から生まれた松川を「県都・とやまのシンボルに!」できる日も遠くないと思います。

 

“人間、志ほど世に溶けやすく、壊れやすく、砕けやすいものはない”——司馬遼太郎

 

 

松川周辺の動き 1998▷2017

2000年(平成12年) 松川茶屋の対岸に、リバー劇場完成

2003年(平成15年) 神通川直線100年を記念し、「川と街づくり国際フォーラム」を開催

2005年(平成17年) 松川茶屋カフェテラス完成

2012年(平成24年) 富山市が、松川の水質保全」と「浸水被害の軽減」を目的とした松川雨水貯留施設建設に着手(平成30年3月完成予定)

 


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