県都富山の歴史を生かした観光都市に!

富山城址公園整備懇話会 設立 27周年記念
グッドラックとやま2018街づくりキャンペーン

県都富山の歴史を生かした観光都市に!

◆2006年9月号掲載座談会を再編集


 観光を成長戦略の大きな柱の一つとしようと、日本政府は2020年までに4000万人、2030年までに6000万人の外国人観光客を呼び込むという大きな目標を掲げている。この時、集客の鍵と言われているのが、地方都市の多彩な観光資源。国内外に向け、富山の歴史・自然・文化に基づいた魅力をアピールしていくことが求められている。2006年9月号の座談会では、まさにそのテーマが話し合われていた。

 

 

司会
中村 孝一(グッドラックとやま発行人)

 

足下の観光資源を見直す

中村 富山は、神通川を外堀に富山城が築かれ、城下町として発展してきた街です。こうした富山の歴史、伝統、文化を生かし、市内に観光客を誘致しよう、というのが、今日のテーマです。

髙木 私は、県外の旅行会社へ富山市のPRに行くんですが、富山市に何があるのかを、ほとんど把握しておられないですね。

太田 今年、新しい交通システムができ、多少変化が出てきましたが、富山で泊まって頂けるようにし向ける事が、一番肝要です。せっかく中心街を松川が流れ、遊覧船も行き交っており、立派なお城もあり、そのへんの結びつきをもっとやるべきです。

小竹 随分前、定期観光バスのお客様にアンケートを取りましたら、「富山というのは、見る所がない」と。しかし、足許に本当に観光資源がないのか、今一度見直してみるべきです。

中村 松川の遊覧船がコースに入っていれば、満足いただけたのにね。ライトレールの方は?

金井 おかげさまで、たくさんの利用者に大変喜んでいます。とかく、富山の人は、「見っとこ、なぁんないわ」と(笑)。富山の人は自慢するのが苦手なようですけど、自分達が誇りに思うものをいろんな機会を通じて、いろんな所にアピールすることが大切ですね。

中村 以前、大阪城の近くに住む人たちが、「富山城を見に来たんだけど」と。「大阪城を見てる人が富山城を見られるんですか」って、言いましたら、「そりゃ大阪城は天下の城だけど、富山城には富山城の歴史や伝統がある」と。おっしゃるとおりだと。もっと、自分たちの町の歴史を誇りに思うことが大切だと、教えられましたね。

野入 富山城は、本丸に御殿づくりの建物があり、そこが富山藩の事務方でした。今のような天守閣は、戦後復興のシンボルとして、昭和29年に、犬山城や彦根城という、国宝の城を参考に築いたんですね。ただし、石垣は江戸時代の初期からのものです。富山市民の心の中では、富山城と言えば天守閣を指していますが、50年経って、国の登録文化財に指定されたんですね。今となれば、非常に貴重なものです。お堀の工事も終わって、水を張ってきれいになりましたが、あれがかつての内堀で、外堀まで入れると、富山城は広大なものでした。

中村 そうですね。世界一の観光都市と言われるパリにしても、セーヌ川を中心に、ルーブル宮やノートルダム寺院が築かれ、そうした史跡を遊覧船でめぐれるようになっています。松川の遊覧船も、富山城や、越中富山の舟橋、桜橋など7つの歴史的な橋をめぐりながら、鱒の寿しがここで誕生したことや、明治時代、滝廉太郎がここで育ち、のちの作曲に大きな影響を与えたことなどを、ガイドしているんですよ。さて、池田社長には、富山の薬の伝統を伝えていただいているのですが。

 

富山の知名度を上げる取り組みを

池田 今から11年前に観光客の誘致を始めましたが、その前は不思議なくらい、観光バス1台も来ませんでした。今まで、誰も本格的に取り組んだことがなかったんですね。今は営業をして、是非いらしてくださいと無理矢理連れて来ている状態で(笑)。知名度が低いことが大きいですね。例えば北陸を紹介した雑誌を見ても、5分の4ぐらいが石川県で、その半分以上が金沢。最後に黒部と宇奈月が少し。富山市内の名所が紹介されていない。

 

富山の印象を強める仕掛けづくりを

中村 全国から毎年タウン誌を招待し、取材してもらっていますが、みんな驚いているんですね。北陸にこんな素晴らしい街があったのか、と。「水と音楽の都」とか、「薬の都」とかタイトルで紹介してくれていますが、これは金沢にはない魅力です。いや、全国にもない富山の特徴です。ところが、いま池田社長がおっしゃったとおり、北陸どころか、富山を紹介したガイドブックにさえ載っていない。大手の旅行社が発行する情報誌に、なんと富山市中心部の観光名所がほとんど載っていない。これでは、観光客が富山市内に入ってくるわけがないですね。魅力があるのに、知られていない、それが富山市の現実です。

髙木 あと、私達が見せ方を知らないんじゃないか、と。今、テレビの番組でも「へぇー」とかいう番組が流行ってますけれど、やっぱり、来て、そこで「へぇー」と思えるような情報なり、知識を自分の頭の中に入れる事ができれば、
非常に印象深く富山が残っていくと思います。

太田 岩瀬の方では、ボランティアを育成されて、昔の加賀藩の森家の話をされたり、参勤交代に行った時の話をされたりしています。富山はこうですよ、と訴えれるといいですね。

池田 富山市の回りには、立山アルペンや瑞龍寺、五箇山があり、その拠点都市であるべきです。夜の楽しみというか、魅力的な施設が少ないですね。夜、泊まるか泊まらないかによってお金の落ち方が違いますよね。

太田 昨年、呉へ行きましたら、こういう水辺の所に、行政が下水管、水道をセットして、一杯飲み屋、屋台の通りがありまして、十何軒かな。で、行政が業者をきちんとチェックして。観光客も結構来てましたよ。

金井 ライトレールや路面電車をきっかけに、歩いて街を見るという視点が復活し、それが自然に県外の人達にも広がって行くと。

中村 意識を変えることが大切。国も観光立国をうたっています。

髙木 観光客を2010年までに、1000万人に増やす働きかけをしています。その中で、私たち独自のお客様の迎え方や、売り方を考えるべき。旅行者のニーズにしっかり目を光らせてね。

太田 それと同時に、県全体でも話し合う機会が必要です。

 

従来の観光地とは異なる新たな魅力を

小竹 大手のエージェントの切り口も、団体型から、個人型に移行してくると、昔のように、誰でも知っている観光地はもういいと。シルバー世代をターゲットに、街なか観光というか、手あかのついてない観光地を目指す。

中村 「城下町」「水と音楽の都」「薬都」といった富山の歴史や特徴をアピールする。

野入 岩瀬に行って、森家周辺の街並みには大変驚きました。例えば木一本、石の置き方でも、観光なり、街の景観を意識して植えるのと、全然意識しないで、とにかくこのへんに木があればいいやと植えるのとでは全然違う。人間心惹かれるものというのは、その場所が広いとか狭いとか、大きいとか小さいでなくて、ちょっとした瞬間と言いますかね。そういう連続が、例えば街の中に、有機的に散らばっておれば…。

中村 伝統にしても、それを生かせば自分たちも生かされる。薬のパッケージ日本一の朝日印刷さんも、根っこは、富山の「薬都」という伝統から生まれている。神通川だった時代、東岩瀬港からいたち川、松川を帆船が魚や昆布を運んで来て、それを使ってかまぼこ屋さんが生まれたり、舟橋の近くの鱒寿し屋さんも神通川でとれた鱒を使って誕生し、富山の食文化の発祥の地となっている。そういう見方をすると、富山ってすごい歴史、伝統があるんだと。
 文化面でも、日本を代表する作曲家・滝廉太郎が、明治時代に富山城址で遊び、のちに日本人の魂を歌ったともいわれる、「荒城の月」誕生へとつながっていく。

太田 言われてみると結構、観光資源はいっぱいあるんですね。

池田 物作り的には富山はかなり好調なので、観光に頼っているのは、宇奈月温泉とか一部だけで、必死さがない。石川県あたりですと、温泉もたくさんあるし、金沢も必死なんですね。

中村 富山は観光の方がお留守になっていた。

池田 我々は、中心街にあって、中心街の活性化に絡めて、賑わいを取り戻していかないと。郊外に観光向けの施設を作っても、必ずしも旅行者が行くかわからないし、自分たちが行って楽しまないものは、今は見向きもしませんから。我々自身が、食にしろ、遊ぶゾーンにしろ、親しんで楽しめるものを生活の中で作り出さないといけない。
 あと、街なか観光を考えるとき、マンションラッシュをどうかしないと。秋から春にかけ、立山連峰がきれいに見える街。その魅力は、住む人にとっても非常に魅力的な街。それを壊さないようにして開発することが大切です。

髙木 いろんな国で日本を紹介するガイドブックを見ると、各県の紹介欄で、富山が何も書かれていない。しいて言えば城址公園。それだけの表記なんですよ。一番多いところでも5行の説明のみで、本当に悲しかったです。

中村 観光をおろそかにしている街は、世界からも消されてしまうという現実。郷土愛をもった人をもっと増やし、この現実を変えていく力にしたいと思います。今日は貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。

 


◎岐阜のタウン誌に当時掲載された富山紹介記事

 


▲富山の薬製造の技術を今に伝える、和漢薬種問屋の老舗・池田屋安兵衛商店の風格ある店構え。

 

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