・ グッドラックとやま 2024街づくりキャンペーン ・富山の観光名勝として松川に遊覧船を!

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富山の観光名勝として松川に遊覧船を!
– 「グッドラックとやま」 昭和62(1987)年9月号より再編集 –

 

 元日の能登半島地震では、毎年大勢のお花見客で賑わう松川べりにも深刻な被害が出た。
「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」との言葉があるが、松川一帯は神通川の面影を残す富山の歴史が詰まった重要な場所である。
今回は、この歴史的背景を持つ松川を活かし、県民市民が誇れる観光名所を作ろうとスタートした37年前の原点の座談会を振り返り、
改めてその役割の大切さを確認してみたい。

 

◇座談会出席者
[役職は昭和62(1987)年当時]

源 浩 さん(源 副社長)
高田 瑞夫 さん(大和富山店 取締役店長)
小俣 浩 さん(富山市商工労働部 観光課課長代理)
大神 敏明 さん(富山第一ホテル総支配人)
堀田 晃令 さん(日本交通公社 富山支店長)
島田 祐三 さん(立山国際ホテル常務)
◇司会/中村 孝一(グッドラックとやま発行人)

 

市民が街に誇りを持てる場所づくりを

司会 私たちは富山の観光について考える座談会を行ってきておりますが、結局、市民が自分の街の中に誇りを持って県外の人に勧められるような場所がなければいけないと気づきました。
 先日の座談会で、ある若い女性が「友人が富山に来た時、金沢や高山に行ってしまう。『市内でどこかないの?』と聞かれても、城址公園はなんだか見せるのが恥ずかしくて通り過ぎてしまった。そう考えてしまう自分が寂しいし、郷土愛がないのかな、と悩んでしまう」と言ったのです。この発言は、富山市民全員の声なき声ではなかろうかと考えさせられました。

高田 富山では他の場所と比べてどうだ、ということが多いでしょう。富山には富山独自のものでいいものはたくさんありますよね。問題は、それが生かされているかどうかなのです。

 富山は、第3次産業とかサービス業が弱いんですよね。形あるものを製造するのが仕事だと思っている。勤勉なのはいいんですが、遊んだり、楽しんだりということが少ないんです。祭りでも行政が主体で外から呼んで盛り上げる。中からの盛り上がりではないんですね。もっと観光に対する認識を高めることが必要だと思います。

 

富山に必要なのは観光に対するハート

堀田 富山県民は非常に人間味にあふれているんですが、表現力が貧しいと思うんですよね。富山の人が観光をどのように捉えているかはわかりませんが、あらゆる分野が観光なんです。富山で欠けているのは、観光に対するハートじゃないですかね。

 富山の市民性、県民性はビジネスにはいいんでしょうが、文化的、精神的な豊かさが表れてこないのではないでしょうか。
 「小東京」じゃつまらない、何か富山のにおいがプーンとするようなものの方がいい。観光と言っても、これみよがしのものをつくるだけではだめでしょう。気持ちの良い応対だとか、親切ということ、つまり私たち自身のハートが観光資源であるべきですよね。

高田 例えば、雪が降ったらさっさと家へ帰ろうではなくて、傘にサラサラと雪を受けて歩いてみたい、と思うような情緒面、ソフト面づくりが必要かと思います。

小俣 市民が親しめるというのも大切ですよね。

堀田 親しむという面では、人の集まる観光地にはどこにでも歌がありますよね。

大神 長良川のように、一曲、ワッとヒットしただけで、観光客は動きますからね。伊達政宗にしてもそうです。流れが向いてくることが大切ですね。

小俣 先日、松川にホタルを放しましたが、大勢の市民が集まってくれました。その時、笹舟を出して、かがり火を焚き、太鼓を叩いたんです。見ている人もワーッという感じだったのでしょうが、乗っている人たちにすごい感動がありましたし、行政側からも何ができるか見極めていきたいですね。

司会 2年前に発表された「とやま21世紀神通川水公園プラン」の中で、松川に水上交通導入の提案がなされました。そこで、私たちとしては、〝松川に遊覧船を運航させ、富山の観光の新名勝としたら〟というプランを持ったわけです。
 一昨日、関係行政機関である富山県土木部都市計画課、河川課、富山土木事務所河川課、富山市都市開発部公園緑地課の関係の方にご出席いただき、会議を行った結果、県としてもできるだけ協力したいとの同意が得られましたので、8月20日、管理運営会社である「富山観光遊覧船株式会社」の設立発起人会を開き、来春4月オープンを目指し、本格的に準備を始めることになりました。

島田 遊覧船の運航に関しては、イベント的な単発ではなく、継続することが大事だと思います。

 

観光資源として松川遊覧船の定着を

 松川というのは手間ひまのかかった川なんですね。それをただ見ているのだから贅沢だと思いますが、それをまた舟から眺めるというのもいいことですね。一時的では物珍しさだけ、奇をてらうだけになってしまいますので、観光資源として定着する方へ向かってほしいですね。

小俣 松川、いたち川べり、彫刻公園は56年から3年がかりで整備してきましたし、現在も5カ年計画で河川の整備中ですからね。

堀田 桜の時期や、ホタルの時期にはムードがあるでしょうね。津和野なんか側溝に鯉がいるだけでひとが集まりますし、まず松川そのものに美的感覚がほしいですね。松川と城址公園というのは一つの観光の目玉としてはいい素材ですから、舟だけじゃなく、観光客が寄ってみようと思うものをプラスしなくてはいけませんね。

島田 九州の福岡では歩道沿いに屋台がずらりと並んでいて、いつも行くのが楽しみなんです。松川沿いにもアピールできるような町並みがあるといいですね。

大神 松川べりに屋台というのは面白いですね。

司会 県知事が、花と緑については日本一にしようという大きな夢を発表されました。確かに護国神社前のいちょう並木、有沢のケヤキ並木などを見た人から、「富山って緑が多いんだね」という声が上がります。また、東洋一の黒四ダムを見てもわかるように、水の豊富さでも日本一だと思います。
 しかし、駅前に降り立って、誰が花と緑の日本一の県だと思うでしょうか。どこかに、3つの日本一を印象づける物が必要だと思うわけです。松川を下り、四季折々の花と緑で満ちているという印象が焼き付けば、富山のイメージアップになるのではと思います。高田 基本的には住民がいいなと思うことでしょうから、市民が楽しみだして、それが自然と人を呼び始めればいいですね。

司会 今回の企画の参考になればと思い、潮来の川下りに行ってきました。そこでお世話になった観光課の主任の方が、「舟に乗ったことがない」、と言うのです。一緒に乗って非常に感動されましたが…。つまり、身近な人は、なかなか評価しないもののようです。立山でも、利用するのはほとんど県外人だそうですから。

高田 立山に遊びに来る人の何割かでも、富山で楽しんでもらえたらいいですね。ちょっと時間のあるときに「じゃあ、ちょっと松川に行って舟にでも乗ってくるか」と言えるような、そういうところから始めたいですね。

司会 事業とするには採算が合わなければなりません。市民の利用があればいいのですが、潮来の例にもあるように、事業としては県外者を対象にせざるを得ないと思います。

堀田 他県からお客様を呼ぶには、ただ舟があるから、というだけでは難しいでしょうね。立山に来た人を引き止める要素の一つとして考えていくことが必要です。とりあえず来てもらって、「舟があるなら乗ってみようか」から「乗ってよかった」と繋げることだと思います。富山県全体の観光の一つとして捉えるということです。

 

▼笹舟でのスタートから今年2024年で37年。川の浅瀬の浚渫、船頭の高齢化など様々な課題を乗り越えながら運航を続け、着実に全国での認知度を高めてきた松川遊覧船。

 

高田 舟があれば、富山へ来た方は利用されると思いますよ。皆さんで協力して、観光客だけではなく、ビジネスで来て、1時間ぐらい時間のある人に勧めるとかね。

大神 富山は何カ月もの間、雪がありますが、正月に沖縄からツアーで雪を見に来るくらいですから、雪も一つの売りものにすべきでしょう。

 舟の上で雪見酒というのもいいですね。

高田 富山の味や富山の酒がゆったりと味わえるようなアミューズメントをプラスして、その上に桜とかホタルといったイベントを重ねるのがいいと思います。

 富山でも機運は高まっているんですよね。実現に向けて胎動しているというか。駅前開発そのものは、もう何十年も言われてきていることですし。土を掘り返したり、人々が忙しく行き交ったりすることで、なにかやっているなという精神的な盛り上がりになるでしょう。舟の話も実現させて、一つの突破口になるといいですね。

 

市民が自分たちの街を見直すきっかけに

小俣 市民が自分の街を見直す一歩になればと思います。例えば、松川といたち川の合流点に三角の地点がありますね。ただ見ていると通り過ぎてしまうのですが、市民がイベントを組んだり、発表の場にしたりすればいいと思います。橋の上から舟が来たことがわかって、それが人々の話題にのぼるような、市民の楽しめるものになればいいですね。

堀田 ビジネスライクではなく、皆で協力してやろうという姿勢が大切ですね。

司会 潮来の場合、農村で利用されていた舟を20年前に観光開発し、積極的にPRに努めて、今では120万人が訪れるそうです。今回の松川の舟についても、富山のイメージづくりに役立つよう、息の長い展開として育てていき、「富山っていいところなんだ」という市民の自覚に繋がればと思います。
 今日は皆様にご助言をいただき、実現へ向けて希望が感じられ、夢が膨らむ思いがしました。誠にありがとうございました。

―過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。 (ウィンストン・チャーチル)

 

松川遊覧船の歴史

昭和62(1987)年
8月、フランソワーズ・モレシャン女史を招いて、「松川遊覧船」の試乗会を開催。
10月、国、県、市、経済界の支援で「富山観光遊覧船株式会社」設立。

昭和63(1988)年
3月、松川丸・富山城丸・舟橋丸・滝廉太郎丸・荒城の月丸 就航、笹舟による遊覧船事業「松川七橋めぐり」運航開始。

平成4(1992)年
3月、富山観光遊覧船㈱駅舎(松川茶屋)城址公園内に完成。営業開始。

平成5(1993)年
10月、松川丸に環境問題に対応した電動船外機を搭載、松川の本格的しゅんせつ開始。松川を美しくする第一歩が始まる。

平成6(1994)年
3月、「松川遊覧航路」事業 許認可、旅客船「滝廉太郎Ⅱ世号」就航 。
4月、「お花見ビア宴会船」、7月「納涼ビア宴会船」(共にキリンビール協賛)運航開始 。

平成9(1997)年
6月、アメリカ・テキサス州サンアントニオの遊覧船会社「リオ・サンアントニオクルーズ社」と姉妹提携(平成18年再訪)。

平成11(1999)年
8月、旅客船「滝廉太郎Ⅱ世号」に環境にやさしい4ストローク機関を採用。「富岩運河遊覧航路」事業開始。「全国運河サミットinとやま」に、富山県のチャーター便として「滝廉太郎Ⅱ世号」就航。初の「富岩運河探検クルーズ」「ディナークルーズ」を1カ月間開催。

平成12(2000)年
6月、松川茶屋対岸に親水護岸・リバー劇場完成、「リバーフェスタ」開催。

平成15(2003)年
9月、神通川直線化100周年記念「リバーフェスタ2003・川と街づくり国際フォーラム」開催(後援/国土交通省、富山県、富山市)。サンアントニオ市公園管理者リチャード・ハード氏来富「夢のリバーウォークはこうして誕生した」を講演。松川を視察。「可能性は充分ある」と激励される。
11月、当社社長の案内で、県議、市議、元行政マン、総勢19名でサンアントニオ市を視察(リバーウォークでリチャード・ハード氏と再会)。

平成18(2006)年
9月、「富岩運河いたち川遊覧航路」事業許認可、富岩運河 環水公園〜富山港〜岩瀬運河(カナル会館)の視察運航実施(富山県の港湾行政担当者等も乗船)。
10月、「富岩運河チャータークルーズ」運航開始、「運河まつり2006」にて「富岩運河クルーズ」運航。

平成19(2007)年
4月、旅客船「神通」就航 (環境にやさしい4ストローク機関と、姉妹提携したサンアントニオの遊覧船のデザインを採用)。
12月、富山県のチャーターにより、環水公園スウィート・クリスマスで「ナイトクルーズ」運航。

平成24(2012)年
7月、富岩水上ライン業務委託(富山県・富山市)。 (〜11月)

平成27(2015)年
3月、北陸新幹線開業で、観光地の穴場として注目を集め始める。
4月、旅客船「神通Ⅱ」就航 (平成19年就航の神通と同型)。

令和3(2021)年
3月、「月刊グッドラック」による松川を活かした“水の都・とやま”再生への挑戦(中村孝一)が第23回日本水大賞「審査部会特別賞」 受賞。

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