A Dream Come True ! 夢を現実にした街 ―サンアントニオ 「サンアントニオ水都物語」の著者/バーノン・G・ズンカー氏に聞く

グッドラックとやま500号記念・街づくりキャンペーン

・インタビュアー 中村孝一 (グッドラックとやま発行人)

 市内中心部を流れる川べりの一帯を、自然と緑とお洒落なカフェテラス、ブティックなどが混在する美しくもにぎやかな空間に整備し、世界中からコンベンション客や観光客が訪れている、アメリカテキサス州のサンアントニオ市。
 サンアントニオ川一帯を公園化するというそもそもの発案者はロバート・ハグマンという地元の建築家だが、彼の業績をまとめたのが今回ご登場いただくバーノン・G・ズンカー氏である。1985年に、富山市が姉妹都市の申込みも受けたというサンアントニオの街づくりの秘密について、ズンカー氏に伺った。


 

アメリカのベニスを目指す―ハグマンの夢が現実に

中村 建築家・ハグマンの業績を書かれた著書「サンアントニオ水都物語―一つの夢が現実に―」(原題/A DREAM COME TRUE ROBERT HUGMAN and SAN ANTONIO’S RIVER WALK)の序文で、「ハグマンが成し遂げた仕事は、日本にいる皆さんの心をも動かし、皆さんを自分たちが住む生活環境の改善や水路の美化の為に貢献したいという気持ちにさせるでしょう。この本を読んで、近い将来、是非ともサンアントニオのリバーウォークを訪れる気になってもらいたい。私は皆さん一人ひとりとお話ができる日を心待ちにしています」とありましたので、訪ねてきたんですよ。

ズンカー そうでしたか。ようこそいらっしゃいました。

中村 ところで、「サンアントニオ水都物語」を書かれたきっかけは何だったんでしょう。
ズンカー ある時、川沿いを散歩していたら、ひとりの旅行者から「こんなにすばらしいリバーウォーク(川沿いの散歩道)ができると見通したのは、いったい誰だったんですか?」と、まことに興味深い質問を受けたんです。
 そこで初めていろんなことを考え始め、散歩道沿いのレストランの経営者の方と話をしていた時に、「あなたは、大学の本などいろいろ書いておられるので、この川に貢献したロバート・ハグマンについても書かれたらいいんじゃないですか?」ということで、そこから始まったんです。

中村 それはロバート・W・フェルプス夫妻ですね。

ズンカー そうです。

中村 もし、そのフェルプスさんが言われなかったら、この本を書くきっかけはなかったと。
ズンカー なかったかもしれないですね。当時、私は大学の教授でして、大学の教科書を書いたり、心理学者としても忙しくて、時間がなかったですから。フェルプスさんたちが経済上など、様々な面で援助してくれたんですね。もちろん、私が書くために使った時間に関しては全くのボランティアですが。

中村 そうでしたか。
ズンカー ところで、実際にいらっしゃってサンアントニオの雰囲気はいかがですか。

中村 すばらしいですね。昨夜、アーネソン・リバー劇場(注/川沿いにある劇場)でスペインのショーを見たんですが、ディズニーランドのエンターテイメント以上に感動しました。
ズンカー ここは、ディズニーランドのように架空に作られたものではなく、自然と全てが調和していますので、感動されるのも無理はないでしょう。

 

水位の一定化が最優先課題

中村 さて、あなたの本を読みますと、ハグマンはまず水位を一定化することが一番大事で、そうしないと何も始まらないと。リバーウォークも作れないし、お店も作れない、と書いてありましたね。

ズンカー その通りです。水のレベルが一番大切ですね。

中村 このサンアントニオ川の開発にあたって、ハグマンは、「単なる小川として開発するのではなく、アメリカのベニスを目指す」というはっきりした考えを持っていましたね。

ズンカー そう、ゴンドラを浮かべ、それに乗って楽しもうと。

中村 それは、すごい考えだと思いますね。

ズンカー そういった彼の情熱に心動かされて、私は本を書く気持ちになった訳なんです。開発に携わった他の方々のほとんどは、利益のためとか、見返りを要したんですけれど、ハグマンに関しては、ただ単に純粋に川に対して情熱を注がれたんです。

中村 ニューオーリンズで若い頃3年間過ごし、歴史的な街並みであるフレンチクォーターの魅力溢れる保存事業に影響を受け、サンアントニオ川の保存と開発計画を思い描いたと。

ズンカー そう、彼は、専門家として大いに影響を受けました。

中村 また、河畔沿いに店舗やレストランを提案し、詳細な図面も描いていますね。

ズンカー ええ、ハグマンは「スペインの古い案内書を読んだ」と述べていますが、地中海に浮かぶマリョルカ島から、「アラゴンとロミュラの商店街」というロマンチックな名称を借用したそうです。島の中でも最も大きなパルマ市には、車に煩わされることなくブラブラと買物のできる、狭い曲がりくねった歩行者専用地区があり、道に沿ってカラフルな店舗もたくさんあって、それがリバーウォーク沿いの「リバーショップ」や、「世界の料理店」のモデルになったようです。
 〝自然の美しさと商業的活気〟、そして〝川の特色と魅力、歴史性、古い界隈性の保存〟といった事が、彼のリバーウォークのテーマでした。〝他に例のない雰囲気を創造する〟のが彼の夢だったのです。

中村 確かに、ベニスとくらべて、こちらのリバーウォークの方が、自然の美しさと、レストランやホテル、お店の賑わいといったバランスが素晴らしいですね。

ズンカー そう、それがハグマンのアイディアだった、ということですね。

中村 ベニスの場合、歴史的建造物や古い界隈性の保存という点では大変優れ、〝旅情〟が漂っているんですが、運河沿いに木がないので、自然の美しさとの調和という点では物足りないですよね。

ズンカー 海水ですから、木も育たなければ植物も育ちませんし、海水が増えると教会が沈んだりすることもありますしね。

中村 ハグマンは、リバーウォークの利用をうながすため、川に正面を向けた事務所を開き、自らのポリシーを実行したそうですね。

ズンカー そうです。

中村 ということは、その頃でもまだ川側を正面にするという考えは一般にはなかったわけですね。

ズンカー そうですね。1946年時点でも、私がリバーウォークに行ったら、お巡りさんに、「危ないから早く帰りなさい」と言われましたね。その後、1960年代までは、何もないというか、人を魅了するようなものは何もなくて治安の悪い場所でしたね。

中村 お店を川に向けた街ができるまで、働きかけがいろいろあったんでしょうか。

 

世界万博を契機にリバーウォークが発展

ズンカー 決定的な理由というか動機は、1968年の世界万博がここで開かれたことでしょう。6カ月間は川に向けてお店が並んでいたんですが、万博が終わると撤去してさびしくなったんです。それを見て、川を開発していく上では、お店を川に向けた方がいいと。みんながそう思うようになり、関係者に働きかけをして、今のようになってきたんですね。

中村 サンアントニオの一帯は、もともと砂漠地帯でしたよね。

ズンカー そうです。サンアントニオに一番最初に入ってきた人たちは、まず最初に水探しをしたんです。水を探すプロも何人か送り込まれていて、その時にサンアントニオ川を見つけ出したそうです。そして、アラモもその一つですが、5つのミッション(伝道所)を建てたんです。こうして川沿いに町ができていきました。

中村 リバーウォーク誕生の物語は、大洪水に始まるんですね。

 

一時は埋め立ての話も

ズンカー そうです。1921年の集中豪雨による洪水が、サンアントニオ川の堤防を越えて都心部を襲ったんです。この時、50人以上も死者が出たため、住民たちがなんとか洪水対策をと市に働きかけて、バイパスが出来たんです。
 しかし一方で雨は3カ月も降らないことがあり、水門ができるまでは川に水がなくなる、というひどい状況でした。臭いもしたし、汚いところだったものですから、サンアントニオ市でも、見たくないということで、バイパスを通したあと廃川地となったこの馬蹄形の大湾曲地帯を埋め立てて、道路を作ろうとしたんですね。その話が市民グループの耳に届くと、大論争が巻き起こったんです。
 婦人団体やサンアントニオ保全協会は「親しみのある曲がりくねった自然のままのサンアントニオ川」が、洪水対策のためだけに埋め立てられ、道路にされることを強力に反対したのです。

 

水門がリバーウォークの〝命〟

中村 富山も、神通川をバイパスにした後に誕生した松川にフタをして、駐車場や道路にしようという計画があったんですよ。
 サンアントニオ川のリバーウォークは、上流側と下流側にそれぞれ水門があり、バイパス側が増水した時には、水門を閉め流入を完全にストップできる。この水門を作ったことが、リバーウォークの開発につながったんですね。

ズンカー そうです。私の本に絵が載っています。

中村 富山の松川の場合は、上流の水門でゼロカットできるのですが、下流側でいたち川と接続しているため、大雨でこの川が増水すると、松川へ逆流するんです。
 そこで、松川といたち川の接続部分に、サンアントニオ川と同じように水門を作れたら、いたち川から水が逆流しそうになったらストップできるんです。

ズンカー お話を伺っていますと、松川・いたち川はサンアントニオ川に非常に似ていますから、参考にされたらよいですね。

中村 そうですね。いたち川は洪水対策からも、もっと浚渫して深くしなければなりません。サンアントニオ川の場合、下流の水位調整堰から上流の大湾曲部(リバーウォーク)までの川底は高低差が少ないですが、はじめからそうだったのですか?

ズンカー いいえ! 高低差を少なくするため川底を深く掘ったんですね。河川修景事業の最重要点は、川底を浚渫して深くすることでした。そうすることによって、下流の水位調整堰1カ所だけで、リバーウォークの水位は3キロ上流まで最低1mに保つことが出来るのです。増水時にはこの堰を倒しますので、洪水にも安心というわけです。その場合、リバーウォークの水が流れ出さないよう、水門で堰止めしています。

中村 なるほど、人間の知恵ですね。あなたの著書には「A DREAM COME TRUE」とありますが、〝夢を現実に!〟にするため、私たちもベストを尽くしていきたいと思います。

バーノン・G・ズンカー氏の著書
サンアントニオ水都物語〜ひとつの夢が現実に〜
三村浩史/監修 神谷東輝雄/共訳 都市文化社 1990年

 1920年代から始まったサンアントニオ川開発の経緯と、その時に最も大きな役割を果たした新進の建築家、ロバート・ハグマンについて詳しく述べている。ハグマンは、子どもの頃から慣れ親しんだサンアントニオ川を心から愛し、世界に一つしかないユニークな空間を作ろうと大きな夢を描く。しかし、その道のりは険しく、様々な困難が待ち受けていた。

 

 


▲サンアントニオのリバーウォークでは、自然の美しさが大きな魅力となっている。

 


▲ハグマンが川への夢を膨らませた事務所の前を、観光客を乗せた遊覧船が通り過ぎる。


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