神通川の歴史を活かした“水の都とやま”の創造を!

グッドラックとやま創刊42周年記念・街づくりキャンペーン
平成20(2008)年11月号座談会を再編集

 
座談会参加者
(役職は2008年当時のもの)

吉田 榮一 さん(月世界本舗 社長)
今井 清隆 さん(立山カルデラ博物館 館長)
木本 隆久 さん(木本佛具店 社長)
小竹 和博 さん(サンヨウ 社長)

 

司会
中村 孝一(グッドラックとやま発行人)

 

 

司会 本日のテーマは、松川と城址公園の魅力アップについてです。まず昨年、サンアントニオを視察された月世界本舗の吉田社長からお願い致します。

 

【水辺空間の魅力  】

吉田 とにかくあれだけの人を集めるというのは、どこに魅力があるのかなぁと思えるくらい人が多かった。川幅だって松川とほぼ同じくらい。そこの河畔を開発して、人が楽しんでいる。あそこに来てる人達っていうのはいろんな国から来ている。ほんとに万博でもやっているかのような。そこで皆ゆっくりのんびり過ごしているんですね。
 グッドラックに連載されていたサンアントニオ開発の歴史※を改めて読みましたが、やはり非常な努力をされていますね。あれだけの努力をされる人がいないとね。富山では、やはり中村さんがそれになってもらわないとならんのですけど。やはり、それにかける情熱が素晴らしいと思いますね。
 サンアントニオは始めから恵まれた環境があるわけではないんですね。周りを見ると砂漠だし、その中にオアシスがあるような感じなんです。アラモの砦も離れているのかと思ったら、すぐ近くでしたし…。そこへも人が来る。子供が遊ぶような施設は無いんですが、親子で散歩したり、話をしたり、一緒に食事したりね、それらのことが、何か自然にその場の雰囲気に溶け込んでしまっている感じです。そこに遊覧船に乗った人たちが来ると、ワ〜と手を振ったり、川と遊覧船と川沿いにあるお店が一体化している。あのへんはビックリしました。
 あと、楽しいのはもちろんなんですが、サンアントニオはダムで完全に洪水対策がされている。あの考え方ってのは素晴らしいね。感心します。
今井 私も5年前に行きましたが、なぜ人が集まるんかなぁと。遊具があるわけでもないし。けど、考えてみると水辺ってのは人間の集まる源なんですね。水は濁っているけどキレイに見える。なぜかと思ったら、ゴミがない。朝早く歩くと、市の職員がゴミを拾っている。ああいう努力をしないと人は集まらないんですね。それが一番強烈に印象に残っています。

小竹 私は20年程前、タイのバンコクで水上マーケットに行きましたが、生活感がものすごくありまして、やっぱり汚いとまた行こうという気にならないですね。

今井 それともう一つ、サンアントニオは水が少ないのに、工夫して満々と水が流れているように、見せているんですね。

司会 遊歩道と水面の差が10センチほどだとキレイに見えるし、水に触れられるのもいいですね。

 

▼立体的に水辺空間を楽しむことができるアメリカ・サンアントニオの賑わい。

 

【松川の課題と夢  】

木本 京都の高瀬川や鴨川は、完全に水をコントロールしてますよね。富山も水を克服することにすごく時間がかかったけど、これからはもっと水に親しむことが大切です。もう一つ水路を作って、松川の水を完全に春夏秋冬一定にできればね。

今井 この前は西町で水害がありましたけど、地下水路を掘ればね、雨が降ったときはそこに流して水位を保てる。それと、降雨で増水するといたち川の水が松川に逆流してきますから、逆流止めの水門を造ることね。そうすれば水位を一定に保てる。

司会 やはり大きい貯留管を作るしかないですね(2018年5月に、松川雨水貯留施設が完成した)。サンアントニオの場合は直径8メートル、長さ6キロの貯留管で水位を一定に保っています。

今井 川幅が気になるんですが、こんなに狭くてもいいんですか?

司会 松川は、川を一部埋めたために川幅が狭くなっていますが、サンアントニオは土手の斜面部分を垂直に切って歩道を作り出しています。本当に美しい環境を考えると、リバー劇場のように土手を垂直に切ったほうが良いですね。

木本 私は、船に乗った若い2人が、市役所前の船着場で降りて婚姻届を出す。そこからまた船に乗って、近くのホテルに行ってそこで食事をする…といったようなイメージをいつも持っているんですけどね。

司会 リチャード・ハードさん(サンアントニオ市公園管理者)も、松川から水路を掘って市役所の中庭に入れたら、船で横付けできて素晴らしいですね、とおっしゃっていました。

吉田 掘削して地階にレストランやお店が作れたらすごくいいね。

司会 花嫁花婿が結婚式のパレードを遊覧船でやっていますしね。

吉田 そういうのをやってみたい、っていう若い人が結構いるはずなんですよ。

司会 貯留管を作って、水位を一定に保てると夢が広がりますね。

今井 水位の一定化が大切だね。

吉田 市立図書館が移ったら、そこから掘削して松川の水路を延長すれば、城の周りをぐるっとまわれるでしょう。ものすごくいい雰囲気になると思いますよ。

今井 昔のお堀の再現ね。

木本 昭和30年代に消防署を作るんで、掘を埋めたんですよね。38豪雪の時は道が通れなくって、笹舟で松川を利用して食料を運んだんですよ。そういうのをもう一回イメージできないかな。

司会 県庁を建てる骨材も神通川から笹舟で運んだそうですね。

吉田 昔は水路を利用して物を運んだからね。水路をもう少し伸ばせば、鱒寿司屋さんが喜ぶと思いますよ。

司会 松川の場所に、実は神通川が流れていたって知らない市民が多いですね。

今井 学校で教えてないんだよね。松川が神通川だったことをもっと教えるべきだね。

司会 ここが神通川だった頃、川でとれた鱒で鱒寿司を作っていたのが、現在の鱒寿司屋さんですからね。遊覧船で由来についてガイドしていますが、歴史や伝統文化を伝えることが大切ですね。

木本 そういうことを地元の人はほとんど知らないね。

吉田 親子で乗せて、親子での触れ合いの機会をもっともっと作ればいいね。

小竹 市街地の活性化と繋げて、いかにして県外から人を集めるか、が課題ですね。

 

▼「神通川 船橋の図」 松浦守美(1824〜1896)

 

【松川の歴史を見直す 】

今井 私は、アラモの砦が観光客を集めていると思うんです。人が来るっていったら歴史、人は歴史を見に来る。このへんの歴史といえば富山城。いにしえのものを集めて、その一環として松川の整備を進めることが大切。せっかく歴史を見に来たのに、何もなくちゃ困りますからね。

木本 港町は作れても、城下町は作れない。富山は城下町を持っていること自体、もっと自信を持っていいし、もっと大事にしなきゃいけないと思います。

今井 千歳御門を持ってきたのは良かったね。ああいう発想で、それを繰り返して発展させる。城址公園の整備を期待したいですね。その中でお掘の復元ね。

小竹 小さい時から富山市の中心部で育って、よくいたち川で遊んだものです。中央通りもなんとかできんかなぁと思っていますけど。昔と今は全然違いますからね。

吉田 新幹線が来たとき、中心商店街と結ぶとしたら、ちょうど松川は中間点にあるので、観光の名所であってほしい。そうすれば、中心商店街まで人が流れてくると思います。

司会 先日、九州からの観光客が「富山の松川の景色は、世界に誇れる美しさですね」と、すごく評価しておられた。我々は身近過ぎて、その良さに気付いてないようです。
 また、城址公園が「富山城公園」でないことにビックリされていました。石垣やお堀、城内の敷地も当時のまま…これだけの城郭が残っているなら、「富山城公園」とすべきだと。

 

【富山城と神通川のつながりを大切にする】

今井 神通川を外堀として、富山城が築かれたことをもっと強調すべき。そうすると歴史が蘇ってくる。松川は本当は神通川であって、お城とは一体のもの。その意識がなかったのではと思います。

司会 自ら富山の歴史を断ってしまっていた。欧米諸国は、もともと流れていた河川は名前にオールドをつけて、その歴史を大切に保存していますね。日本語だと「旧」。ゆえに松川は「旧神通川」。それを神通川の名称をやめて、松川と名前を変えてしまったところから、戦後の短い歴史にしてしまった。神通川だった頃の江戸、明治、大正、昭和初期までの素晴らしい歴史を断ち切ってしまった。旧をつければ、何百年の歴史が蘇るわけです。
 われわれの目の前には満々と水をたたえた神通川が流れ、富山城から富山港への舟運が発達し、最大の通商路だったこの川を帆船が往来していたんですね。

木本 魚や昆布、材木などを積んでね。江戸時代は、えらい経済力があった。人材も資金力もあった。源泉は、神通川が船の通商路だったからなんですね。

司会 神通川だったという歴史を断ったために、富山の歴史まで断ってしまって薄っぺらい新興の街になってしまった。そこに住んでいる人たちが、しっかりそれを意識してこなかったんですね。昔ここを流れていた神通川を外堀として富山城が築かれ、富山城が築かれたことで城下町が誕生して、売薬も、かまぼこも、ます寿司も、富山の伝統文化が誕生することになる。原点は、全部その神通川が流れていたからなんですね。まず、こういったところから思い起こすことが大事ですね。

今井 神通川がここを流れていなかったら、富山城はないですね。

司会 我々が「松川は旧神通川、富山の心臓だから、そこに行ってこられ」と言えるようになりたいですね。

木本 「旧神通川」と「富山城公園」ってことを、これからもっと意識していきましょう。

司会 今日は、歴史を深く洞察する座談会になりましたね。大事なことを忘れていた。市民から盛り上げていかないといけませんね。本日はどうも、ありがとうございました。

 

※サンアントニオ開発の歴史は、2008年3月号から10月号まで全8回連載された。(こちら

 

 

 

 


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