滝廉太郎を育んだ富山その歴史を感じられる城址公園に!

グッドラックとやま街づくりキャンペーン
– 「グッドラックとやま」平成4(1992)年6月号座談会より –


▲富山城址に現存する石垣は、慶長10(1605)年に加賀藩前田藩主・前田利長が整備し、寛文元(1665)年以降に富山藩主・前田利次が改修したものである。

 平成3(1991)年11月、市民有志により「城址公園整備懇話会」が設立され、翌年の平成4(1992)年4月に第1回例会が行われた。この時、懇話会のメンバーが城址公園内を実際に徒歩で回って視察。整備の必要性を再認識した後の会合では、城址公園の理想像について具体的な意見が出されていた。
 「城址公園整備懇話会」設立から今年で約30年となるが、当時の意見を改めて振り返ってみたい。

 

◇座談会出席者
(役職は1992年の座談会開催当時)
新田嗣治朗氏(日本海ガス社長) 
諏訪 求氏(JTB富山支店長)
森田 明氏(トラヤ社長)
吉田友裕氏(大黒や社長)
山崎佐和子さん(竹林堂専務)
関口静子さん(画家)
市井啓子さん(フリーアナウンサー)
豊崎智子さん(NHK主婦レポーター)

◇コーディネーター
 中村孝一(グッドラックとやま発行人)

 

市民有志で「城址公園
整備懇話会」を設立

中村 今日は皆さんと一緒に城址公園を歩いてみたわけですが、これだけ園内を隅々ご覧になったというのは、多分初めてじゃなかろうかと思います。視点を変えてあちこち眺めてみると、けっこう歩きがいもあって、発見も多かったことと思います。
 さて、最初に役員の選出ですが、案をご覧下さい。

 会長 新田嗣治朗
 副会長 金尾力松
 副会長 緒方 裕
 副会長 橋本敏宏
 事務局長 中村孝一

全員 異議ありません。

新田 力不足ですが、年長の意をもってやらせていただきたいと思います。(一同拍手)

中村 どうもありがとうございました。それでは、会長に司会をお願いしたいと思います。

新田 それでは中村さんより、設立総会以後の経過報告をしていただきましょう。

中村 実際、ここまで来るのに9年経過しております。城址公園に関する市民アンケートを基に、市民の約82%が不満を持っていることを市当局に報告するとともに、提案させていただいて以来、大変な年月をかけてきているわけです。県都である富山市に顔になるものがない、富山のシンボルになるもの・顔になるものを造ってほしい、という意見が年々強くなってきているんです。


▲“城址公園を『荒城の月』をモチーフにした公園に!”をテーマに話し合われた座談会(1992年6月号より)。

 これまで城址公園の歴史を調べていましたところ、明治19年から21年にかけて滝廉太郎が富山城址に住んでいた、ということがわかってきました。現在の約6倍の広さで、その横を流れていた神通川(今の松川)は約300メートル近くの川幅で流れていたそうです。廉太郎は7〜9歳という多感な少年時代を富山城址で過ごし、後の名曲『荒城の月』も富山城をイメージして作曲されたのでは、との夢のある話もあるようです。そこで、『荒城の月』誕生のロマンを秘めた富山城址の歴史を活かした、夢のある日本庭園化を図っていけたらということで、設立総会で委員の皆さんに設立趣意書の承認をいただいたわけです。
 昭和58年に福井県の武生市に「紫式部庭園」(約3000坪)ができ、グッドラックのキャンペーンでも取り上げました。実際、紫式部は武生に10カ月しかいなかったそうですが、庭園ができたことによって、紫式部がまるで武生に生まれ、武生で育ったような錯覚を受けるから不思議ですね。
 懇話会ではこういったことも参考にしながら、型にはまらない、自由な発言や意見を積み重ね、形にしていければいいと思います。


▲「源氏物語」の作者・紫式部が、父とともに10カ月過ごしたことを記念し、昭和58(1983)年に整備された「紫式部庭園」。(福井県越前市武生)

 

城址公園を
富山市のゲストパークに

新田 どうもありがとうございました。金沢の兼六園を見てもわかるように、公園というのは〝都市の顔〟なんですよね。富山には顔がないから、観光客は素通りが多いんですね。富山へ来て、富山に泊まる、そういう観光客を誘致できる街になってほしいと思いますね。城址公園は富山市の真ん中にあるのに、年数回の単なるイベント広場ではもったいない。幸い、稲荷公園がイベント広場として使えるようになりましたので、ここはぜひ街のゲストパークとして、全国に誇れる日本庭園をぜひともつくりたいと思いますね。
 それにはテーマというかイメージが必要だということで、今ほどお話にあったように、滝廉太郎の『荒城の月』をモチーフにした公園を提案しているわけです。ところが、県議会で「なぜ、富山と滝廉太郎が関係あるのか」と質問をした議員がいたりして、滝廉太郎のブロンズ像建立についても行政の許可が受けられないため、場所が決まらないという状況です。
 しかし、廉太郎が富山に2年間住んでいたのは事実な訳で、彼が富山城址に住んでいたことと、「荒城の月」を結びつけることは、どこにも遠慮する必要はないわけです。そして、そのテーマを基本にして、現在の造園技術、土木技術を持ってすれば、素晴らしいものができると思うんですね。
 私は、この間、水戸芸術館を見てきたんですが、演劇と絵画、そして舞台が鑑賞できる、素晴らしいものでした。水戸は富山よりはるかに小さい街なのに、100億もかけて作られたそうです。ここへ東京から有名な演奏家がやってくるので、聴衆も東京からどんどん集まるんです。そうすると街が発展する、人が集まらないと街は発展しませんね。

森田 私はこの間、先ほど紹介されました武生の紫式部庭園に行ってきました。街の郊外にあって、ちょっと大きな箱庭のような感じでしたね。私も紫式部が武生にいたなんてことは知らなかったのですが、ここへ行くと市長さんを始めとして、大変力を入れておられるのが印象的でした。庭園の横には藤公園があって、遊歩道の上に藤棚がありました。シーズンになると、紫の花がいかにも紫式部のイメージに合って、美しいだろうと感心しました。

豊崎 先日、環境問題に関する視察で、マレーシアとシンガポールに行ってきました。各都市を回って気づいたのは、街がすごくきれいだということです。ゴミや空き缶、タバコの吸い殻が落ちてないんですよ。日本もこれから街の美化ということに気を配っていかなくちゃならないと思いますね。

新田 シンガポールはゴミを捨てると、罰金を取られるそうですね。ところで、城址公園を見て回った感想はいかがですか?

※現在は、富山城址公園内の松川茶屋にある「滝廉太郎記念館」に設置されている。

 

富山らしい公園に

吉田 これまで、城址公園は身近にありながら、なかなかゆっくり歩いてみる機会がなく、何かイベントがある時に少し顔を出す程度で…。視点を変えると、また違った新鮮さがあるものですね。
 城址公園は多目的広場ですが、最近はホールでも、多目的ホールは少なくなってきて、専門ホールが主流になっていますよね。時代の流れからいっても、富山の顔を作るためにも、富山市に最後に残された大きな空間を、富山らしいものとして活用していくべきだと思います。行政を動かすためにも、市民運動化していくことが重要ですね。

山崎 先ほどからこうして眺めていますと(松川茶屋から松川を)、とてもいい景色なんですね。本当にここは富山の顔だなあと思います。富山をもっともっと発展させるためにも、城址公園をさらに美しく、豊かなものにしていけたらと思っています。

関口 富山は四季の移り変わりが特に見事ですからね。廉太郎が受けた影響は大きいと思いますよ。どんなことでも反対する人はいるものですが、やはり将来、21世紀に向けて、富山市民が一体となって、一気にやるといいですね。

市井 私は今日、城址公園を歩いてみて、今まで見ていた城址公園は一部だったな、ということを痛感しました。もっともっと利用価値があるはずだということを…。整備にあたっては、四季を通していろんな方が楽しめるといいなと思いましたね。

中村 日本文化の根源とも言われる、春夏秋冬の四季の移ろいの中に、『荒城の月』に謳われている〝栄枯は移る世の姿〟があるんですね。 ですから、おもいっきり四季のはっきりした自然あふれる庭園を造る。イメージとしては、四季折々に小川が流れ、滝が落ち、池がさざ波をたて、都心にあることを忘れさせる自然が、訪れる人を感動させてくれる。春には満開の桜が咲き誇り、思わず〝春高楼の花の宴〟と歌いたくなる。また、散り始めた桜の花びらが小川を流れる様も見事。新緑の若葉が目にまぶしい頃、夏が訪れ、園内は清らかな水と緑に包まれる。木々が色づく秋の終わりに、人々は哀愁を帯びた気持ちで落葉を踏みしめ、〝秋陣営の霜の色〟〝むかしの光いまいずこ〟と歌う。そして冬、張りつめた空気があたりを覆い、新雪で化粧した園内の木々の佇まいを目前にして、ハッと我に帰る。
 そういう日本人の心のふるさとでもある『荒城の月』をテーマとした、日本に、いや世界にも一つしかない庭園を造りましょう。

 

富山の歴史を感じる
観光的要素が必要

諏訪 我々旅行会社の立場からすると、冬こそ富山だというイメージなんです。雪景色、特にここの松川に雪見船が行く様なんて、本当に感動的ですよ。
 今日は、たまたま雨降りですが、しっとりして緑が映えますね。この辺一帯は、第一ホテルなんかの最上階から見ると、緑一色なんです。新庁舎のタワーができ、今後ますます高層建築が増えれば、上からの景観という点でも城址公園は注目されるでしょう。
 また、公園の中に何か、江戸や明治の頃の富山を彷彿させる建物があったらいいと思うんです。例えば、滝廉太郎の父親が赴任した県庁を復元させるとか、金岡邸のようなものをもって来るとか…。要するに、県外客に富山の歴史を感じさせるものが、観光的要素として必要だと思いますね。1年でやってしまおうというのではなく、20年計画ぐらいの気持ちでやっていくといいでしょう。そして、でき上がった公園はぜひ有料にしていただきたい。無料にすると、どうしても荒れるんです。兼六園も、有料化によって美観が保たれるようになったそうです。
 さらに、婦中町で「曲水の宴」をやっているように、ここ城址公園でも「廉太郎の宴」なるものをやるといいと思いますね。

中村 実は今、市民の間で、8月23日の滝廉太郎の誕生日の前日に、「滝廉太郎祭」をやろうという声が高まっているんです。

諏訪 「曲水の宴」で感心したのは、小中学生が参加していた点です。滝廉太郎祭をやるにしても、学校の先生方の評価が得られるといいと思うんですが…。

中村 昨年は附属小学校が創校記念祭で、滝廉太郎を取り上げられました。ご存知のように滝廉太郎の母校であり、毎年の行事として、今後やられるそうです。その指導に当たった先生が、この滝廉太郎祭に生徒を参加させても良いと言ってくださっているんです。

一同 それはいいですね。

新田 私は昨年、ベルリンに2週間ほど滞在して、ドイツの芸術を見てきたんですが、外国のコレクションは本当に素晴らしいものです。日本ももっともっと、文化的なものを大切にしていかなくてはならないと思いますね。また、たまたまポーランドへ行った時にホールでイベントがあり、私が日本から来た客ということで何か歌えと言われまして、とっさに『荒城の月』を歌いました。おかげさまで拍手喝采、大盛況でしたよ。
 今後も、城址公園整備について皆さんとさらに議論を深めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

▼富山の雪景色を楽しもうと企画された、松川遊覧船のウィンタークルーズ。(2020年2月)


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