富山に滝廉太郎顕彰活動を定着させよう

・ 滝廉太郎祭開催30周年記念 ・
– 「グッドラックとやま」 平成5(1993)年6月号座談会より –


▲令和元(2019)年6月16日に開催された滝廉太郎研究会コンサートで演奏する、呉羽高校弦楽四重奏団

 平成4(1992)年6月に、第1回滝廉太郎祭を開催して今年で30周年。6月20日(日)には、松川茶屋にて滝廉太郎研究会主催の記念コンサートを開催する(感染症対策を講じて開催予定、プログラム等変更の場合あり)。富山の歴史・文化を掘り起こす活動の一環として、地道に続けてきた滝廉太郎の顕彰活動だが、今回は「第2回滝廉太郎祭」を前に開かれた座談会を掲載する。

 

◇座談会出席者
 [役職は平成5(1993)年の座談会開催当時]
 長尾竜郎さん 富山県リハビリテーション病院副院長
 宮崎新悟さん 富山大学教育学部附属小学校教諭
 高沢規子さん 富山商工会議所婦人会会長
 渡邊直光さん 富山放送劇団専務理事
 中沖 敏さん 富山放送劇団
 松岡秀子さん 松岡ダンシングカンパニー主宰
 赤江 弘さん 富山地方鉄道吹奏楽団 常任指揮者
 田中政明さん サウンド・クッキー代表

・司会/中村孝一

司会 昨年は皆様のお力添えで、市民の手による第1回「滝廉太郎祭」を開催することができ、誠に感謝しております。
 大分県を訪れて痛感したのは、廉太郎が富山とほぼ同じ年月しか過ごしていないのにも関わらず、彼に対する市民や県民の意識が非常に高いということでした。残念ながら富山は、偉大な作曲家を育んだという事実に、今まで全く目を向けてこなかったわけで、歴史的にも大きな空白があったと言えます。この点からも昨年の「滝廉太郎祭」は、非常に意義のあるものでしたね。
 今年は滝廉太郎の没後90年、命日が6月29日であることから、日取りを6月27日(日)に決定。会場も城址公園内の「親水のにわ」とし、より広がりのあるイベントにしたいと思っております。野外ですと天候の問題もあると存じますが、「滝廉太郎」を長い目で見た場合、実験的にやってみることも必要ではないかと思います。皆さんのご意見をお願いいたします。

松岡 昨年、第1回の「滝廉太郎祭」に出演させていただき、富山と滝廉太郎の関わり、「荒城の月」のことを知り、私自身、大変感動いたしました。このことを市民の皆さんにも知っていただくためにも、いかに多くの人に見ていただくかということを考えていかねばならないと思います。

渡邉 私どもは高岡の野外音楽劇「越中夢幻譚」にも参加していますが、市民の意識がすごいですね。大伴家持は国司として短い期間いただけなのに、すっかり定着しています。この野外劇は市民参加型ということで、いっそう身近に感じられるのではないでしょうか。 「滝廉太郎祭」も、市民をどんどん巻き込んでいけば、もっとすごいことになると思います。


▲平成5(1993)年6月27日、松川沿いの「親水のにわ」で開かれた「第2回滝廉太郎祭」

 

滝廉太郎は富山市民の誇り

司会 先日、松川遊覧船のパンフレットを見て、滝廉太郎と富山の関わりを知り、非常に感動したという方がいらして、「滝廉太郎の全曲集はありませんか?」と熱心に聞いてこられたのですが、その方は高岡の方でした。今のところ、富山市民からそういったお話はお聞きしていないので、富山と高岡では文化に対する意識が違うように感じられます。
 また、富山市では毎年、「桜まつり」と「富山まつり」が行われていますが、実行委員会では市民参加が弱いということに非常に頭を悩ませていらっしゃるそうです。それが富山の市民性であると言えるのかもしれませんが、文化的なイベントには積極的に参加していただきたいですね。

渡邉 自分たちの街にゆかりのある人物を良心的に捉え、一人でも多くの市民に認識してもらうことは、とても大切なことだと思います。ましてや滝廉太郎は、日本人なら誰でも知っている有名な人物。富山市民はもっと誇りに思うべきですね。


▲通っていた附属小学校跡に建つ滝廉太郎少年像(富山市丸の内)

 

高沢 滝廉太郎が少年時代を過ごし、数々の楽想を得た街ということになれば、富山の文化的イメージがぐっとアップするように思います。彼が富山に住んでいたことをPRしていくのは、当然のことではないでしょうか。

長尾 私事で恐縮ですが、家内の里が大分県、私自身が5歳まで隅田川の近くに住んでいたということもあって、滝廉太郎とは不思議な縁があるように感じています。今、「荒城の月」誕生のロマンを秘めたこの富山に住み、「滝廉太郎祭」に参加できることは、私にとっても非常に意義があるわけなんです。
 今回は野外ステージということですが、滝廉太郎の最後の曲はピアノ曲。松川沿いでピアノの調べが聞こえるというのも、面白いのではないでしょうか。

 

音楽の街のムードづくりを

司会 音楽の都と言われるウィーンでは、街の至る所から音楽が流れ出ているような雰囲気があるそうです。富山でも滝廉太郎の命日には、街のあちこちから音楽が聞こえてくると素晴らしいですね。

渡邉 野外のイベントは、通りすがりの人をいかに魅きつけるかということが重要なポイントです。これは理想論かもしれませんが、舞踊・音楽・演劇を一つのストーリーの中に取り入れ、ジャンルを超えた構成にするということも考えてみたらいかがでしょうか。

田中 一つのイベントとしてストーリー性を持たせることは、非常に重要な要素だと思います。特に野外ではそれが散漫になりがちですから、滝廉太郎をイメージさせる絵を設置するとか、看板を立てるということも必要になってくるでしょうね。

司会 富山地方吹奏楽団さんは、昨年のジャパンエキスポで野外コンサートを開かれましたね。

赤江 野外の場合、ある程度観客のために椅子を並べたりしないと、人が散ってしまうということがありますね。

宮崎 やはり通りすがりの人を参加させるというのは、なかなか難しいですから、ある程度の後押しが必要になってくると思います。滝廉太郎の曲を一緒に歌いませんか?というポスターを、最も人目に触れやすい所、例えばスーパーなどに貼ってもらうのも一つの手ではないでしょうか。

松岡 滝廉太郎に関する詩や作文、そして曲を県内の小中学生に公募するというのも、イベントを浸透させる上で有効かもしれませんね。

 

一回一回の積み重ねを大切に

田中 富山と滝廉太郎の関わりについては、過去何度も新聞に掲載されましたし、グッドラック誌上でもキャンペーンを組んでおられますが、まだまだ市民の意識は低いですね。滝廉太郎が富山にいたというのは純然たる事実ですから、もっと教育委員会レベルでのご理解をいただけたらと思いますが…。

赤江 「滝廉太郎祭」を民間レベルで押し上げ、皆さんが認めざるを得ないという状況にまで持っていかなければなりませんね。

渡邉 こういったイベントは軌道に乗せるまでが大変です。1回1回、実績を積み重ねていくことが大切ですね。

高沢 「滝廉太郎祭」を継続することによって、市民の意識も徐々に変わってくるのではないかと思います。文化の街・富山を代表するイベントとして、年を重ねるごとに盛り上げていきたいですね。

司会 毎年夏に行われる富山の花火大会は、宣伝しなくても市民の生活にすっかり溶け込んだイベントとなっています。「滝廉太郎祭」も、1回1回積み上げていけば、何らかのかたちが現れてくると思います。本日はありがとうございました。


▲平成28(2016)年6月26日、市民プラザで開催された滝廉太郎研究会設立記念コンサート(指揮/浅岡節夫氏)

 

― 滝廉太郎 年表 ―

1879(明治12)年 8月24日
 東京都芝区南佐久間町に生まれる。

1882(同15)年
 11月 父が神奈川県書記官となり、横浜に転居。

1886(同19)年
 8月  父が富山県書記官となり、富山市に転居。
 総曲輪(現在の丸の内)の官舎に居住。
 9月 富山県尋常師範学校附属小学校1年に転入。(7歳)

1887(同20)年
 2月  父が富山県知事代理となる。

1888(同21)年
 4月  父が非職を命じられる。

 5月 傷心のうちに富山を離れ、東京へ転居。
 東京市麹町小学校3年に転入。

1889(同22)年
 3月 父が大分県大分郡長に任じられる。
    (廉太郎は、祖母、病弱の姉らと東京に残る)

1890(同23)年
 5月  廉太郎も、大分に転居。
     大分県師範学校附属小学校高等科1年に転入。

1891(同24)年
 11月 父が大分県直入郡長に転じる。
 12月 一家、豊後竹田へ転居。

1894(同27)年
 5月 上京し、音楽学校受験準備のため芝区愛宕町の
    「芝唱歌会」に入会。

 9月 東京音楽学校(予科)へ入学。

1895(同28)年
 9月  同校本科へ進学。

1898(同31)年
 7月  本科を首席で卒業。
 9月 研究科入学。

1899(同32)年
 9月  音楽学校嘱託となる。(20歳)

1900(同33)年
 6月  ピアノ・作曲研究を目的とし、
    満3カ年のドイツ留学を命じられる。
    この年、「荒城の月」「花」を含む組曲 「四季」
    「箱根八里」 「お正月」など、多数作曲。

1901(同34)年
 4月  ドイツ留学へ出発。

 10月、ライプチヒ王立音学院入学。

1902(同35)年
 10月  病気のため、ドイツより横浜港に帰省。
 大分市の父母のもとで療養。

1903(同36)年
 6月29日 病死。 (23歳10カ月)

 

富山と大分での主な滝廉太郎顕彰活動

1979(昭和54)年
 6月 富山県九州人会が、滝廉太郎の生誕100年を記念し、富山市丸の内1丁目の堺捨旅館(現・マンション堺捨)前に、滝廉太郎の少年像を建立。

1988(同63)年
 1月 中村孝一が大分県竹田市を訪問、岡城を視察。
 4月 松川遊覧船の就航にあたり、松川(当時は神通川)べりの尋常小学校へ通っていた滝廉太郎にちなみ、船を「滝廉太郎丸」、「荒城の月丸」と命名。テーマ曲に「荒城の月」「花」などを選ぶ。

1989(平成元)年
 1月 『グッドラックとやま』発行人・中村孝一が〝「荒城の月」のモデルは富山城だ〟の新説を『グッドラックとやま』2月号に発表。全国のマスコミにも大きく取り上げられる。
 9月 全国タウン誌会議富山大会で、創作劇「荒城の月と富山城」を上演。参加者から「埋もれていた宝の発見」と評価を得る。

1990年(同2年)
 11月 「荒城の月のモデルは富山城」との説が、小学館発行「日本大百科全書」に掲載されることが決定。

1991(同3)年
 2月 中村孝一が富山県内の文化・経済界および行政関係者に呼びかけ、「滝廉太郎ブロンズ像建立委員会」を設立。(委員長/新田嗣治朗氏)

1992(同4)年
 4月 大分県竹田市に「滝廉太郎記念館」オープン。

1992(同4)年
 8月 富山県民会館にて「第1回滝廉太郎祭」を開催(以後、毎年開催)。〝荒城の月誕生のロマンを探る"と題し、シンポジウムを行う。「荒城の月」の詩のモデル・鶴ヶ城のあるタウン誌『会津嶺』とグッドラックが姉妹提携。

1993(同5)年
 9月 没後90年に富山に「滝廉太郎記念館」オープン。

1994(同6)年
 4月 松川に大型船「滝廉太郎Ⅱ世号」が就航。

1997(同9)年
 10月 中村孝一がNHK大分で、「滝廉太郎特集」の番組に出演。竹田と富山の記念館同士の姉妹提携を提案。

2002(同14)年
 11月 中村孝一が大分県日出町の「滝廉太郎記念講演会」で講演。この講演がきっかけで、「滝廉太郎祭」が始まる。

2003(同15)年
 9月 滝廉太郎の没後100年と神通川直線化100年を記念し、松川べりにて「リバーフェスタ」「川と街づくり国際フォーラム」を開催。"水と音楽の都"を目指す。

2011(同23)年
 3月 『グッドラックとやま』創刊400号を記念し、特集「滝廉太郎来富125周年記念 滝廉太郎と富山」を掲載。

2016(同28)年
 6月 「滝廉太郎研究会」が発足。


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