富山歴史ルネサンス 松川に“水の都”のシンボルをつくろう

〈創刊45周年記念〉2022 グッドラック 街づくりを考える
– 「グッドラックとやま」 平成21(2009)年3月号座談会を再編集 –

 

 江戸時代、神通川(今の松川)には日本最大規模の「船橋」が架けられ、立山と並ぶ「越中富山の名所」と謳われていた。この歴史を今に伝える松川を、富山の歴史と水辺のシンボルとして整備していくことが、市民県民の誇りにつながるのではないだろうか。
 今回は、富山市議会議員5名に参加いただいた以前の座談会を振り返ってみたい。

 

 

◇座談会出席者 (五十音順)
 [役職は平成21(2009)年の座談会開催当時]

 ▽浅生 幸子さん(富山市議会議員)
 ▽浦田 邦昭さん(富山市議会議員)
 ▽高田 重信さん(富山市議会議員)
 ▽堀田 松一さん(富山市議会議員)
 ▽村上 和久さん(富山市議会議員)

 司会/中村 孝一(月刊グッドラックとやま発行人)

 

街の中心部の水辺を活かし、魅力アップ

司会 今回は、「松川に〝水の都〟のシンボルをつくろう」をテーマに、市議会議員の皆さんからご意見を伺いたいと思います。

堀田 昨年(2008年)2月に「松川いたち川水辺空間創出検討委員会」が立ち上がりましたね。この委員会は、松川を中心に美しい川の街を創出し、憩いの空間を作るよう検討していこうというものです。2003年に水辺の街として世界的に有名なサンアントニオを視察しましたが、2007年には市長も行かれて大変感動されたようですし、必要性は充分に認識しておられると思いますので、早く計画を立て、実現に向かってほしいですね。
 去年、水辺空間のシンポジウムで、大阪のNPO法人が「府民に水辺空間に来て昼食時間を過ごしてもらうなど、川に自然と足が運ぶよう、市民が気運を盛り上げることが大切」と言っておられました。市民でできること、行政でできること、お互いに共有していかないといけないですね。水辺空間に人生をかけた中村さんのじれったさが伝わってきますしね(笑)。
 現在、環水公園では県と市が遊覧船事業を始めようとしていますが、これも民間の「富山観光遊覧船」さんが20年も前からやって、採算が合わず苦労されているわけですからね。行政がやる場合は、赤字をみんな財政負担できるから、一つも腹も痛くないけど、民間はそんなわけにはいかない。民間が頑張っているのに対してもっと支援するならわかりますが、足を引っ張ることをやっているわけです。民営圧迫もいいところです。
 また、賑わいを創出するには、やはり中心部の松川、いたち川でないとね。なんといっても、中心部の魅力アップが大切ですよ。これからも、整備に向けて粘り強く働きかけていきたい、と思っております。

中村 富山市内のホテルや交通、お土産屋さんも賑わうためには、富山に観光客が行きたい、と思う魅力がないといけないですね。

 

▼様々な趣向を凝らし、理想的な水辺空間を作り上げたアメリカ・サンアントニオのリバーウォーク。

 

人が行き交う仕掛けづくりを

高田 私も6年前に議会の方達とサンアントニオへ行き、思った以上のスケールの大きさに感動しました。あれを富山に持ってこれたら素晴らしいですね。
 まずは、松川でいろいろ工夫しながらやっておられるイベントを地道に続けていく。そういったイベントに市民県民の関心が増していくと……長いスパンで考えながら水辺を大事にしていくということが重要ですね。
 県や市も環水公園と松川のつながり、城址公園との一体感、そういうところをもっと広く捉えていかなければいけませんね。それらがつながり、互いに人が行き交う、そのような仕掛けを考える必要があります。あと、松川の最大の強みはなんといっても桜。季節の花で、土手一面を花畑にするのもいいですね。

 

神通川の歴史とともに流れる松川

浦田 一般市民は松川は花見に来るだけで、遊覧船は桜を見るためのものという感覚になっていると思います。
 遊覧船ではたくさんの橋をくぐりますが、橋そのものは土木部が担当していて、景観は都市整備部。担当がバラバラなので、花見シーズン以外の遊覧を考えていく時に、橋一つとってみても、遊覧船から橋を見るための橋になっていない。横から見ますと、配管も見えますしね。その辺の一体感や考え方を整理していく必要があると思います。市と県はなかなか連携がとれていない、というのが実態ですがね。
 どこかにシンボル的なもの、さらに通年的なものをつくっていかなければなりませんね。心理的にも、上から川を見下ろすのと、川と同じラインにいて上を見上げるというのは、全然違いますからね。橋の下もきれいにして船から上を眺めるというのは、希望や夢を与えてくれます。気持ちを上げてくれる部分は間違いなくあると思いますよ。

中村 桜の木を保護しながら、松川の土手を垂直に切り下げると、幅2メートル程の遊歩道を川べりに造り出せます。松川茶屋の対岸にリバー劇場がありますが、あの階段をスロープで下りていって、河辺の遊歩道を散歩しながら、上流にある七十二峰橋からスロープで上れるようにするとか、その延長線上で向こうの対岸側にもレストランやお土産屋さんを作ったりしてね。そういうのをいくつか造るだけでも、賑わいのある川の街ができてくると思います。
 そうすると、この船橋の絵のように、松川が神通川だった頃の賑わいを取り戻すことにつながるんですね。当時は、北海道からのニシンや昆布を積んだ帆船も往来していたそうです。明治時代には、現在の松川茶屋の辺りに「対青閣」という非常に趣のある西洋料理店がありましたし、富山の中心部を包括的に〝水の都〟として盛り上げていくだけの歴史的素地が、この松川には充分あるわけです。
 松川の歴史を見つめ直し、富山のシンボルとして活かしていこうという活動は、富山の豊かな歴史を掘り起こす、いわば「富山歴史ルネサンス」という、非常に意義のあることなんですね。

 

▼花見客で賑わう松川遊覧船。船長から川の歴史の解説を聞きながら、お花見を楽しめる。

 

歴史を重んじたコンセプトが必要

浅生 私は若い頃、県庁で仕事をしていたんですが、当時は川へ下りていく階段も、遊覧船も松川茶屋もありませんでした。けれど、お花見の頃は毎日、真夏と真冬以外は1週間に2回ほど松川べりでお弁当を食べていて、「船があればいいね」「近くに喫茶店があればいいね」と、よく話していたんです。それが今、2つとも実現しまして、30年経つとみんなが願っていたことが実現するものなんだなと、感慨深く思っています。
 富山の場合は、中心市街地の中で水を感じられるのはこの松川しかないですし、大事にしていく必要があると思います。城址公園のお堀とこの松川をしっかりつないで、船が巡回できるようにするとか、お土産屋さんや喫茶店なども水辺に整備する。船橋の絵のような歴史的なものをレリーフにして、川べりのどこかに飾るとか、歴史を重んじたコンセプトが重要だと思います。歴史を生かした都市づくりをやっていかないと、都市の魅力が出てこないのではないかと思います。

中村 しっかりとした理念を持った街づくりが重要ですね。

村上 私も6年前にサンアントニオを視察して、すごい街があると驚いた一人です。
 富山の場合、城址公園があり、鱒寿司屋さんが並ぶ街並、延命地蔵があって、ずっと歩くと環水公園がある。今は環水公園を多くの方が歩いておられ、そこからこちらへ足を運ぶ方もおられるでしょうね。その真ん中に富山駅があり、すごくいい環境ができあがっています。それを市民運動にまで広げて、松川を大事にしたらいいのではと思います。我々も協力して、大きな運動になったらいいなと思います。

 

“水の都とやま”のシンボル的空間に!

中村 改井元市長は、松川は富山のセーヌ川だと仰られましたが、セーヌ川は松川と同じようにパリの街のど真ん中を流れ、街のシンボルになっています。このセーヌ川を中心に多くの歴史的な出来事が起こったわけですが、松川も神通川が流れていた頃に富山城が築かれ、戦国時代からの歴史が松川べりに残されています。
 豊臣秀吉の10万の大軍が押し寄せ、佐々成政の居城であった富山城が落城。その栄枯盛衰の歴史を、少年時代に富山城址内にあった小学校に通っていた滝廉太郎が聞き、「荒城の月」の楽想を得たのではないかとも言われていますし、松川は富山の歴史を語る上で、非常にシンボリックな空間なんです。この松川べり一帯を〝水の都とやま〟のシンボルとして整備していくことが、市民の誇りにつながると思っています。

堀田 長い目で見ておりますが、現実を直視した時に方向性が見えてこないと、物足りないという思いもしますから、1日も早く現実化できるように頑張っていきたいですね。

高田 ストーリー性や歴史の大切さなどを改めて感じましたので、市民の方々にもお伝えしながら、この松川べりを活かすことに取り組んでいけたらと思います。今日は非常に勉強になりました。

浦田 しっかりとまとまってネットワークを作っていけば、次第に形になっていくのではないでしょうか。

村上 歴史ある城址公園と松川が、我々の自慢になるように頑張っていきたいですね。

中村 ぜひ富山のシンボルとなるような水辺空間を、松川べりに作っていきたいですね。本日は誠にありがとうございました。

 

▼“富山のセーヌ川”を歴史的な水辺空間として、さらに松川を活かしていくことが求められている。


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