・ グッドラックとやま 2025 新春街づくりキャンペーン座談会・ 松川を美しく“水の都・とやま”のシンボルに!
グッドラックとやま 2025 新春街づくりキャンペーン座談会
松川を美しく“水の都・とやま”のシンボルに!
富山市中心部の水と緑の癒しの空間、松川と富山城址公園。現在、松川では能登半島地震で被害を受けた護岸等の復旧工事が、3年がかりで進められている。富山ならではの潤い空間として親しまれているこの場所を、様々な可能性を踏まえてさらに魅力アップできないだろうか。官民の関係者の皆さんから具体的にご意見を伺った。
◇座談会出席者
酒井信久 さん 富山県富山土木センター所長
森田 仁 さん 富山県土木部参事・河川課長
京田憲明 さん 富山市民プラザ社長・元富山市都市整備部長
村上和久 さん 元富山市議会議長
木村正人 さん 富山市丸の内2丁目町内会長
祖川裕美 さん リバーフェスタとやま出演者・アコースティックユニットP-chan組
司会/
中村 孝一(グッドラックとやま発行人)
1年を通して松川を賑わいの場に
中村 神通川の名残として生まれた松川は、歴史に根ざした非常にシンボル性のある川です。また街の中心部を流れる全国的にも珍しい川でもあり、この松川を活かした富山ならではの街づくりができれば、世界一の素晴らしい街になるのではと提案させていただいてきております。河川管理者のお立場からはいかがでしょうか。
森田 神通川を直線化した馳越線工事を契機に、中心部の水害を解決した名残の川が松川であり、非常に歴史のある川です。また適度な川幅があり、昔ながらの風情や自然の雰囲気もあり、流れも非常に穏やかで水辺に降りることができる。さらに富山駅から県庁、総曲輪へ向かう道沿いにあり、ここにいかに賑わいを創り出すかはとても重要だと思います。
平成9年の河川法改正で環境にも配慮した川づくりが推進され、松川も官民で役割分担しながら良い方向に向かってきました。今後も、松川が1年を通して賑わいのある空間になるよう、官民挙げて知恵を出し合っていきたいですね。
中村 ありがとうございます。現在、能登半島地震で被害を受けた松川護岸の復旧工事が行われていますが、土木センターさんのほうで工事を担当されていますね。
松川の主目的は、治水より都市機能を発揮させること
酒井 今回の松川護岸の復旧工事ではトラブルが次々に発生し、計画通りに工事が進んでおりません。私自身、4月に異動してきて、これを機に松川はどんな川なのかを調べてみたんです。
江戸期の様子を描いた古地図を見ると、川の中にたくさんの石積が描かれており、暴れ川の神通川から富山城を守るために、日常的に石を投げ込んで強度を高めていたのではないかと推察しています。この大量に堆積した石が今回の復旧工事に影響を与えているわけですが…。
馳越線工事で神通川の本流が変わり、廃川敷の取り扱いが議論されるんですけども、その際、大正10年の富山市議会において、下水の排水、あわせて将来の運河計画に多大な利便があるから松川として残す、と満場一致で決議されるんです。松川はその当時から、治水目的というよりも都市機能を様々に発揮させるための川として認識されていたようです。当時は舟運の運河を思い描いていたのかもしれませんが、どこか観光という視点も持っていたようにも思われるんですね。
昭和41年には、洪水の時に神通川から水が入らないよう松川上流に水門を作りましたので、〝都市の潤いを発揮させる〟という当時求めた機能を十分に果たすことができるようになったわけです。
中村 1989年、当時の中沖知事が川の街で有名なアメリカ・サンアントニオを視察された折、「松川と同じように水門を作り、水位を安定させて川の街を作っていた。松川も同じようにできる」と仰っていましたね。
酒井 いたち川との合流点に固定堰を作って松川の水位を安定させていますが、これにより河川勾配が2000分の1ととても緩くなっています。物を壊すようなエネルギーを持った水は来ないことになります。松川はもともとの成立過程が人工河川というか、治水が主目的ではないという歴史があることを、再度みんなで共有できたらと思います。
中村 その通りですね。京田さんは平成元年に、松川の「親水のにわ」の整備を担当されましたね。
▼神通川の本流が変わり、旧神通川跡が残った富山市中心部。[大日本職業別明細図之内(大正14年)(富山市郷土博物館発行)]
県庁周辺エリアの整備の動きをチャンスに
京田 市の公園緑地課にいた頃、当時の県の公園係長だった埴生雅章(元県土木部長)さんから「城址公園と松川が一体になったような整備をしたい」とのお話があり、「親水のにわ」の図面を描き始めました。ポンプで川の水を汲み上げてまた戻すという計画を立てたところ、「川の水を使う場合は書類を提出するように」と県の河川課から教えてもらったり、河川法もよく知らない中での設計でした。 完成後は、当時の知事や市長に「良いものができた」と褒めていただいたのですが、後日、県の管財課に呼ばれ、県の土地である城址公園を掘り込んだことで県の財産が減ったと(笑)。今から30年以上前の話になりますが、懐かしい思い出です。
その後、中村さんから「松川一帯をもっとよくできないか」との相談があり、私も思い入れのある川ですので、なんとかできたらと思っていました。その頃、まだ県に残っておられた埴生さんとともに、城址公園と合わせて絵を描いてみるということを何度もやってみたのですが、結局迷走してしまって、整備に繋がらなかったのは残念だなという印象です。
今、NHKの跡地をきっかけに、県ではその周辺整備のアイデアコンペを実施するなど、新たな動きがあります。この機会にもう一度、松川を含めたこのエリアを、県と市と民間も含めて、一緒にできることがあればいいなと思います。東側の佐藤工業さんや第一ホテル跡など再開発の話もありますから、そこの開発の人たちにも声をかけて一体的にやっていきましょうと…。
そういう意味では、いろんな面で今はチャンスかもしれませんので、市民プラザとしてもその中で協力できることがあれば協力したいと思っています。
中村 確かにチャンスですね。リバーフェスタに毎年出演いただいているお立場からはいかがでしょうか?
みんなで盛り上がれる企画を
祖川 今回はいつもの川辺りの舞台に地震でヒビが入ってしまい、松川茶屋テラスでの歌や演奏になりましたが、すっかり変わった光景に、「かわいそう」というのが第一印象でした。遊覧船も夏から運休されていましたね。来年(2025)は運航されますか?
中村 お花見期間は運航しますが、その後は未定なんです。
祖川 長期の工事ですと、復旧を待ってからでは遅いと思うので、今からいろいろ楽しいプランを立てながら、前はこうだったけれど今はここまで復旧したよ、と写真や動画でパッと目に見えるかたちで発信するといいのかなと思います。富山の美味しい地酒やお寿司を、遊覧船で楽しめる企画があってもいいですね。
また、近くの「まちなか観光案内所」や城址公園のイベントと遊覧船がコラボするなど、みんなで盛り上がっていくことも必要かなと思います。
これまで多くの方々のご尽力で育まれてきた松川と遊覧船なので、今後さらに発展させていくお手伝いができればと思っています。
中村 さらにみんなが楽しめる場所にしていきたいですね。村上さんは市議時代にサンアントニオを一緒に視察し、市議会で質問していただきましたね。
笹舟をつないだ船橋を一つの目玉に
村上 観光の面から提案ですが、私は愛宕地区出身で、神通川にかかっていた船橋を地元の歴史・名所として学んできました。先日、呉羽丘陵のフットパス連絡橋を渡る機会があり、その時に当時の笹舟を繋いだ船橋を連想できるようなものを松川に作ってもいいのではないかと思ったんです。
現在、松川にかかっている「舟橋」には船の形のバルコニーがついていますが、当時の姿を連想するのは難しいのではないでしょうか。子どもたちも楽しく歴史を学べますし、一つの目玉として船橋があると、もっと川辺りを歩くのが楽しくなると思うんです。
中村 37年前、松川で遊覧船が運航するようになり、市の観光課で舟橋の横に小さな案内板を作られましたね。
村上 富山でもまだ知らない方もおられますし、5艘でも10艘でも舟を繋いだ船橋ができると、大きな意識改革になると思います。また、観光は絶対に食と結びつきますから、プラス「ます寿し」ですね。楽しい空間にするには、体験と食事が重要だと思います。
中村 その通りですね。この地区を代表して、木村さんはいかがでしょうか?
▼大木が生い茂る場所もあるなど、自然の雰囲気が魅力のアメリカ・サンアントニオ。
歴史を踏まえた復旧工事に期待
木村 私の祖父は七軒町という神通川の船頭さんたちが住む町の出身で、縁を感じて参加させていただいております。
松川の復旧工事に際し、県ではどのようにするかということで非常に悩まれたと思います。今ほどは酒井所長さんから、歴史を遡って松川を研究されているということで、大変興味深く話をお聞きしました。長期に渡る大工事ですが、非常に歴史のある場所ですので、先人はじめ携わってこられた方々の思いをプラスアルファして復旧していただければと思います。
中村 護岸を復旧される際の石積みも、日本庭園のような変化のある石積みになると、さらに日本庭園的な雰囲気になると思います。 サンアントニオの場合は、遊歩道を護岸に入れてみたり、川の中に木を残したりと、非常に自然の雰囲気なんです。やはり「親水のにわ」のような感じで、城址公園と松川を一体化して整備するのがいいのでしょうが、松川は県、城址公園は市がそれぞれ管理していることも課題の一つですね。
既存の法律に縛られすぎず、可能性を探る
森田 先ほど、体験や食など観光の面からの提案がありましたが、まずはこの松川一帯で、どういう楽しみ方をしてもらうかを考えるのがすごく大事だと思います。こういうことをしたいけれど、どうやったらそれを実現できるかという観点から考えるといいのではないでしょうか。
酒井 先に河川法の話をするとなかなか進みませんね。松川の境界を議論した昭和34年の資料では、河川区域と都市計画区域の境界が曖昧だけど、そのあたりはうまくやりましょうと県の内部で申し合わせているんです。既存の法律に縛られすぎると、どうしても難しくなりますから。
京田 私がグランドプラザの開発を担当している時、41号から西町スクランブル交差点までは県道でしたが、市で一体化して自由に整備したいので市道にしてほしいと、県にお願いに行ったことがあります。
中村 松川の一部分の管理も、県から市に委託することができるといいですよね。
森田 河川管理者は県なので、すべてを市に委託するというのは難しいとは思いますが…。
中村 知恵を出して、そのあたりを柔軟に対処できると、可能性が広がりますね。
酒井 河川管理者と対峙するのではなく、納得いただけるような考え方を準備するとか、松川は歴史的にも都市の潤い空間として位置づけられて残されたと考えられますので、そういう方向に進むよう考えていきたいものです。
京田 県で整備された富岩環水公園は、非常に人気の場所になっています。皆さんの知恵を結集して、桜シーズンだけでなく、1年中松川べりを観光客や県民市民の集う場所にできたらと思います。
中村 それぞれのお立場から大変有意義なご意見をいただき、誠にありがとうございました。