2025“水の都とやま”推進協議会パネルディスカッション〈前編〉サンアントニオ市から姉妹都市の申込みを受け40周年“水の都とやま”にふさわしい 夢のリバーウォークを誕生させよう!

さる5月11日㈰、“水の都とやま”推進協議会では有識者に参加いただき、パネルディスカッションを開催しました。その内容を、次号と2回にわたって掲載します。

◇パネラー 〈順不同〉
酒井信久さん(前富山県富山土木センター所長)
京田憲明 さん(富山市民プラザ社長、元富山市都市整備部長)
川田文人 さん((一社)北陸経済研究所 元理事長、”水の都とやま”推進協議会副会長)
池田安隆 さん(㈱池田屋安兵衛商店代表取締役社長、”水の都とやま”推進協議会監事)
小竹和博 さん(サンヨウ㈱代表取締役社長、”水の都とやま”推進協議会理事)
小林 誠 さん(富山日野自動車㈱代表取締役社長)
林 泰三 さん(㈱堀江商会代表取締役社長)
・コーディネーター/中村孝一
(グッドラックとやま発行人
“水の都とやま”推進協議会理事長)
中村 今年は、アメリカのナンバーワン人気都市、テキサス州・サンアントニオ市から富山市に姉妹都市の申し込みがあり、40周年という節目を迎えた年でもあります。それほど富山市は素晴らしい街であり、県都として市民が誇れる富山市にしていくことが大事ではないかと思っています。
このサンアントニオは街のど真ん中を松川とよく似た川が流れているんですが、これまで富山からもいろんな方が視察に行っておられます。当時の中沖知事、市議会議長も務められた力示健蔵さん、そして森前市長は当時の部課長10人と見てこられました。また、経済界では東亜薬品の中井敏郎さんですね。彼は若い頃にサンアントニオへ行かれ、川を活かした街づくりに感激されて、同じように富山でも松川を中心にリバーウォークを作れないかと熱心に提案されていましたね。
また、サンアントニオは大雨で死者を出したこともあり、洪水対策として巨大な地下トンネルを掘ったんですが、富山でも当時の森市長が85億という多額の予算をかけて「松川の水質保全」と「浸水被害の軽減」を目的に巨大トンネルを2018(平成30)年に完成させています。このように県都の中心部を流れる松川は、先人たちの様々な思いが込められ、素晴らしい装備もある川なんですね。
このような経緯も踏まえ、〝水の都〟にふさわしい街づくりについて、皆様からご意見を伺いたいと思います。
▼川の両岸には、緑やせせらぎが心地よいリバーウォークが整備されている。(アメリカ・サンアントニオ)

歴史や物語の宝庫である
松川から、新たな物語を
酒井 社会資本整備にずっと携わってまいりましたが、社会資本はできるまでにいろんな歴史があります。できると、それを使う歴史がまたあり、その物語は一つ一つが非常に面白くて、それこそ山のように眠ってるんですね。その中でも、この松川の歴史や物語は、とびきり面白い話がたくさん眠ってるんですよ。
松川だけの歴史を簡単にお話をすると、1900年に馳越工事の計画から始まります。その3年後には馳越工事が終わりますが、本当に、神通川の名残として松川が残されるようになるのは1921年。それから20年経ってるんですね。その後、富岩運河の工事などいろいろあり、廃川地で1936年に大博覧会が行われます。その後、第二次世界大戦の大空襲によって焼け、松川に水門ができるのは1966年ですが、この時点で今の形がほとんどできあがっているんです。以後、松川の護岸の改修もしますけど……。
1966年というのは、日本全国が高度成長期の真っ只中にある時期で、観光よりも、やっぱり経済なんですね。そして1985年、要は松川が今の形になってから20年程して、サンアントニオの方から「富山にすごい所がありますね」と気づいてもらったということになります。それから40年経って今に至っている——。
現在2025年で、1900年から数えても125年の歴史があるわけですが、このように歴史がきちんとまとまっている場所はあまりないですし、とても大切な物語だと思うんです。その物語に、僕たちがなるべく関わって、新たに創り出していく。その役割をそれぞれが担っていくと、また新たな物語が生まれてくるのかなと思います。
県と市が協働し、
まちなかの魅力づくりを
京田 中村さんが遊覧船を松川で始められたのも40年近く前ですよね。その頃、私は市役所で「親水のにわ」という、松川を城址公園の北側に掘り込んで庭を作るという仕事をさせてもらっていました。
その後、いろんな機会で中村さんの思いを聞いていて、大変素晴らしいなと。サンアントニオと同じものを作るというわけではありませんが、松川がすごくいい場所になって、市民はもちろん観光客も来て楽しめる場所になったらいいなという、中村さんと同じような思いを持ってきました。しかし、市で何度か、松川、城址公園含めた一帯整備に挑戦しようとしましたが、意見が右左に分かれて、なかなかまとまらない。河川は県の管理ですから、当然、市と県という問題もありますし……。松川や城址公園に対する思い入れの強い人が多過ぎて、「船頭多くして、船山に登る」ということわざ通り、方向性がまとまり切らず、非常にもどかしい思いをしていました。
巨大な地下トンネル「雨水貯留管」と同じ位の金額をかければ、かなりのことができるでしょうし、県と市とが一緒になってやれば、その位の規模の事業はそんなに難しくないと思います。
今年、ニューヨーク・タイムズの「世界で行くべき52都市」に富山市が選ばれ、世界の注目度が高まっていることを実感しますが、やはり街の真ん中に素晴らしい場所を創り出していけたらいいな、と改めて感じています。
▼富山城址公園と松川をつなぐ「親水のにわ」で、お花見を楽しむ人々。

環水公園と繋ぎ、
松川の知名度アップを
川田 この会の名称で、「水の都とやま」ということを謳っているわけですが、富山が「水の都」というイメージをもっておられる市民は、それほど多くはないのではと思います。それはやはり、松川の魅力認知度がまだ低いことが要因ではないでしょうか。桜と松川はだいぶん認知されてますけど、それ以外の時期については松川の魅力がなかなか認知されていないのが現状かなと思います。
その意味で、「水の都とやま」というイメージを作っていくために、いろいろな手も打っていかなければいけない。一つはよく言われているように、やはり、環水公園と松川とを繋ぐ。今、別々に魅力を発信してるわけですが、環水公園はとても大きなプロジェクトで認知度も高いので、松川と環水公園を繋いで、松川のブランド力をもっと上げていく——それが一番、強力な方法だと思います。何よりも、ベースは市民のみなさんの認知度といいますか、期待度、関心を上げていくことだと思います。そのために、この協議会も今後、さらに役割を果たしていければと思っております。
街の中心部に
観光コンテンツを
池田 中村さんの提案される松川を活かした〝夢の回廊づくり〟に私も賛成して、こうなればいいなと随分長い間思ってきました。けれど、川の工事は国で、その周りは県と市の所有地ということで、民間の意見だけではどうにもならない大きな壁があるな、とも感じてきました。
2015年に北陸新幹線が開業して、富山市は東京からも特に近くて、すぐ来れる場所になりました。たくさんの人が新幹線に乗ってやってきて、珍しくて市電にも乗る。こんな光景は誰も想像すらしてなかったですが、現実になってきました。ニューヨーク・タイムズに載ってから、例年の2、3月とは違い、うちのお店も非常に多くの人が来ておられます。何かきっかけさえあれば、どんどん人は来られるんですね。
こう言ってはなんですが、行政の方では富山市内を観光地にしようという考えは全くなかったのではと思います。他の観光でごったがえしている街を見ますと、賑わう街づくりを着々と何十年もかかってやっておられます。それを目の当たりにすると、富山もそういう観光コンテンツというのは是非必要であるなと。
今、来ている人達をがっかりさせたら、もう二度と来なくなるという危険性もあります。ですから、「推進協議会」の目的の一つでもある、富山城の西側のお堀を復元して松川と繋げ、環水公園の方にも繋げることができれば、一つの交通機関にもなるし、素晴らしい観光名所にもなると思います。
子ども達が水辺と
ふれあう教育の場に
小竹 私は子供の頃、富山市の中心部に住んでいまして、遊び場といえば学校のグラウンドや川辺、お寺でした。そういう自然の中で教育されたというのが、私にとってはとても良い思い出です。富山城のお掘でもよく釣りをしましたが、本当に楽しかったですね。今の子ども達はそういうことはしてはいけないことになっていますし、遊び方も違いますが…。けれど、せめて川辺だけでも安心して遊べるような街づくりを目指したらどうかなと思います。
また先日、金沢へ行きましたら、駅前はものすごい人で、街が富山市の何倍もあるように見えました。けれど、富山はそこまでの観光地にならなくても、別の方向性もあるのではないでしょうか。 今、少子化が進んでいますが、子ども達の遊び場という視点も大事。市民が自然との関わりを大切にしていく中で、子ども達と水辺とのふれあいを教育に含めていく、といったことができる街になればいいなと思いますね。
小林 外国の川で川沿いが発展してるところを見てますと、川沿いに商業施設があるということが共通して言えると思います。サンアントニオも、いろんなレストランやホテルがありますよね。松川沿いも県庁の界隈は、似たような商業施設がありますが、その他のエリアはちょっとなんだか寂しい気がします。
松川べりは桜のシーズンはアルペンルートの「雪の大谷」に匹敵するほどの賑わいですが、通年でどのように考えていくかが今後の課題ではないでしょうか。先ほどお話にありましたように、駅北まで繋がるといいでしょうね。
先日、改めて松川べりを歩いてみたのですが、意外に人が歩いてない。旧8号線など道路をジョギングしている人はけっこうおられますが、排気ガスを吸いながら走るのはどうかなと……。富山は運動不足県の上位にランクされていますし、松川べりを中心としたジョギングコースをアピールできたら、健康のためにもいいのではと思います。
若者たちが富山の良さを認識できる場所に
林 若者の流出が富山県の課題になっていますが、私自身も若い頃は富山の良さがわからなかったんです。けれど、歳を重ねる中で、飲み水がおいしくて、川がきれいで、雄大な立山連峰がある、なんて素晴らしい県なんだろう、と実感してきました。
現在、長男は東京で仕事をしていますが、富山へ帰ってくる気はないようで、富山の良さを伝えられなかったなと思っていますが、そんな家庭が多いのではないでしょうか。まずは家庭から、富山の良さに気づいて子ども達にしっかり伝えていくことが、実はいちばん大事なことなのかなと。
子ども達が富山の良さがわかってきてくれるのは、たぶん年齢を重ねた時だと思うんです。都会のようにパッと行って遊んで楽しむのではなく、自然を楽しんだり、水を見ていいなと思うのは、10代、20代ではなかなか難しい。ただ、それがサンアントニオのように松川べりが洗練された楽しい空間になると、また若い方々の見方も変わってくるんじゃないかなと思いますし、これが本当の松川の良さになってくるのではないかと思います。いずれにしろ、時間のかかることだと思いますが……。
中村 皆さま貴重なご意見、誠にありがとうございます。
(次号へ続く)