進めよう!“夢の神通回廊(松川リバーウォーク)”プロジェクト

神通川によって生まれ、神通川とともに育ってきた富山。
その名残を残す松川は、富山発祥の地として、
それにふさわしい整備が求められる。
松川と城址公園を一体とした、
魅力あふれる街づくりの可能性について、有識者の皆さんに伺った。

 


【座談会参加者】

アートハウスおやべ
アートプロデューサー
埴生 雅章

(一財)北陸経済研究所
理事長 川田 文人

富山市民プラザ
専務 京田 憲明

金川歯科医院
院長 金川 直博

リーダーシップ富山
社長 今井 均

【司会】
中村 孝一
(グッドラックとやま発行人)

 

 

 

中村 富山の歴史・文化を生かした魅力ある街を作ろうと、2003年に「神通川直線化100年」を記念し、「川と街づくり国際フォーラム」を開催。この時、全米ナンバーワンの人気都市・サンアントニオ市から河川公園局長が来富、松川を視察。その結果、この街を参考に、松川を最大限に生かそうとの市民の機運が高まり、県・市議会でも熱い質疑が取り交わされ、市長も部長クラスを伴い2007年に訪問。市も当時650万円を予算化、委員会を設置。この階段状カフェテラスも、サンアントニオがモデルで、いわば「フォーラム」によって誕生したんですよ。

 

サンアントニオ 魅力の秘密

埴生 私も2005年、サンアントニオへ行き、橋の上から見て、「これは松川と一緒だ」、と思いました。まず驚いたのは川のレベルが建物の1階にあること。これは、水位がコントロールされているため、可能なんですね。
 もうひとつは、松川は土手の上に木が生えていますが、サンアントニオは川沿いの歩道に大きな木が生えている。この大木の下を歩いて行くのが、非常に快適なんですね。その木と木の間にも園芸の草花などを植えて、非常にきれいに造園している。建物側のレストランの都市的な環境が、水と緑の地階のレベルで一体化することで、どこにもない魅力をつくり出しているんです。

今井 サンアントニオへは今年の春にも娘と行って、船にも3回ぐらい乗りました。最初に行ったのは10数年前、治安の良い街で、朝早く散策していると、市役所の方が一生懸命に掃除や花の世話をされていて、とても印象的でした。
 富山からサンアントニオへ行く人が増えれば、富山でもこのように川を生かした街づくりをしようと、盛り上がって行くでしょうね。松川一帯の魅力アップは、富山市の価値を高め、市民の誇りにもつながる。市民が視察に行くことは、プラスになると思います。

 

公園的な整備が必要

京田 サンアントニオは細かな部分もすごく配慮され、掃除などの管理も松川とは比べものにならないほど、行き届いています。それに比べ松川は、カワセミを見かけるほど自然が豊かでありながら、整備水準、管理水準が低いため、人々が集まってきて賑わう川になっていませんね。
 川として整備すると、非常に単調になり、歩いていても変化が少ない。ところが、公園的に考えて、右に行ったり、左に行ったり、見え隠れしながら、行くところ行くところに新しい発見がある、という仕掛けを作る。そうすると、歩いていても非常に楽しくなるわけです。

中村 松川べりの「親水の庭」は、日本庭園風に作られていて、小川が流れ、滝があって、水の落ちる音が聞こえたり、道も曲がりくねって先が見通せなくて、次は何があるんだろうと、期待感もあってワクワクしますね。だから、また行きたくなる。

京田 どうすれば、もう少し夢のある整備・管理ができるか、 結局は、県も市も一緒になって、本気で松川を良くしようと、一歩を踏み出すことが大事です。

 


造園的な見地から整備された松川べりの「親水の庭」

 

中心部と駅北を水辺でつなぐことも

金川 県民会館で講演会をされる県外の講師の方も、終わった後に必ず「ここに川が流れているんですね」と、足を止めて松川を眺めておられますね。
 環水公園も水辺があって、遊歩道があってと、非常に人に優しく設計されています。それをそのまま、松川公園に生かせたらいいですね。それと、中心地からのアクセスが非常に悪いので、松川からいたち川を使って、つなげたら面白いですね。

埴生 松川、いたち川をつなぐという話は昔からあって、やりたいという思いはみんな持っているんですが、水深や勾配の問題をどう解決するかが課題なんですよ。

 

“顔”がないと言われる富山市。“意志”が問われる

川田 サンアントニオの場合は、1929年から50年、60年かけて整備をしている。やはり、このような大きなプロジェクトは、長期的スパンで考えることが大切。
 北陸新幹線開業で、旅行者のアンケートを見ても、富山と言われた時にパッと思い浮かぶものがないと。金沢はキラーコンテンツみたいなものがあるけど、富山には“顔”になるものがないんですね。
 松川河畔を、金沢の兼六園に匹敵するようなシンボルとして、育てていく“意志”があるのか、それを市民が問われている、と言えます。ビジョンを市民に示して、同意を得た上で長期的に取り組んでいく。富山市のシンボルにするんだという、大きな目標を掲げて、やっていかねばなりませんね。

中村 金沢から来られた方が、「松川はまるで兼六園の曲水が、街の中心を流れているようなシンボル性がある」、とその価値を認めておられましたが、市民がまずその価値に気づき、育てていく“意志”があるか、が問われているわけですね。
 1975年に、松川にコンクリートでフタをして駐車場にするという無謀な計画が発表された時、当時の改井市長は、「松川は富山のセーヌ川」と、そのシンボル性を訴え、佐藤工業の社長であった佐藤助九郎氏とともに闘って、松川を残されたんですね。まさに、先ほど言われた“意志”が試されて、現在の松川があるわけです。

 


自然と建物が調和したサンアントニオ・リバーウォーク(撮影:埴生雅章氏)

 

市民の憩いの場であることも重要

金川 松川の整備をする上で、観光客向けというだけではなく、実際に住んでいる人たちの憩いの場をつくるという視点も大切かもしれませんね。

中村 サンアントニオの歴史を見ると、まず市民が「ロマンチックで楽しい川の街を作ろう」と。それが成功して、コンベンション都市として発展していくんですね。

金川 中心部の松川公園の魅力アップを図るには、やはり整備のレベルアップが大切です。松川はダイヤモンドに例えると、原石のまま、まったく手つかずのままだな、という印象を受けます。これから磨きをかけていけば、富山のシンボルに育つはずです。

中村 市では、大雨を貯める巨大なトンネル「松川雨水貯留施設」を建設中です。完成すれば、松川の水位がさらに安定しますので、整備にも弾みがつくと思います。

 


松川べりのカフェテラスでの座談会の様子

 

西側のお堀を復元し松川とつなげる

金川 それと、西側のお堀を復元し、南側のお堀とつなぎ、さらに松川とつなぐ。そこを船で行き交えるようにしたら楽しいですよ。水位差は閘門を作って解決する。

中村 明治・大正時代、この一帯には富山市立図書館(東京駅を設計した辰野金吾が設計)ほか素晴らしい建築物が建ち並んでいました。西側のお堀を復元後、これらの建物もお堀に沿って復元すれば、戦争で失った富山の歴史・伝統・文化が現代に蘇り、金沢に負けないシンボルになるでしょう。

川田 それらの建物を、IT技術を使ってバーチャルリアリティーで見せるという手もありますね。

埴生 金沢に対抗できる富山の風景といえば、神通川の舟橋とその背景の立山連峰。まさに、江戸時代の浮世絵に描かれた景色です。それを松川河畔に、何らかの形で再現できると素晴らしいですね。

中村 当時は神通川にお城が浮かんで見え、「浮城」と呼ばれていたんです。

金川 ここまで来たら、松川河畔一帯を民営化して、整備も考えた方が良さそうですね。

 


上空から見た松川・塩倉橋付近

 

ポイントを絞って思い切ったものを

京田 そんなことも含めて、思い切ったことをやらなければいけないんでしょうね。小手先のものではなく、ポイントを絞って、思い切ったものを、民と官が一緒になってやる。なるほど、川を使ってこんな面白いものができるのか、と見せることが大切ですね。

 

県と市の協力体制が不可欠

埴生 官民で委員会を立ち上げる場合、組織作りは非常に重要で、特に県と市の協力体制が組み込まれなければいけません。
 ベースになる土木施設の管理、公園の管理、観光、そういう人たちを、官と民の両方で、どう組織作りをするかが重要ですね。時間はかかるでしょうが。
 サンアントニオの河川公園局長も実際に自分の目で見て、松川には可能性がある、との折り紙を付けていただいたわけですから、その歴史を学んでいけば、きっと実現できると思います。

川田 これは100年に一度あるかないかの壮大なプロジェクトです。松川を美しく修景して、名実ともに富山のシンボルに育てていけるかどうか、われわれ市民の“意志”が今、試されている、と言えますね。

 


松川整備のイメージパース

 


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