【2026 新春街づくりキャンペーン座談会】サンアントニオ市からの姉妹都市の申し込みを活かそう!

 1985年、アメリカ・テキサス州サンアントニオから姉妹都市の申し込みを受けた富山市。中心部を流れる川を活かしたユニークな街・サンアントニオから声がかかったのは、富山市にも同じような川、松川が流れていたからだった。

 2003年、弊誌発行人・中村孝一の呼びかけで当時の市議会議員11名、県議会議員5名、県元土木部長、県の元河川課長も参加し、サンアントニオ・リバーウォークを視察。その後、松川の可能性を探りながら、「夢の神通回廊」実現に向け、試行錯誤が繰り返されてきた。今回は当時の視察に参加した市議3名を中心に、今後の課題について話し合った。

◇座談会出席者 (五十音順)

酒井信久 さん
富山県建設業協会
富山支部 専務理事
前 富山県富山土木センター所長

針山常喜 さん
元 富山市議会議員
富山シニア野球連盟会長

松本弘行 さん
元 富山市議会議長

村上和久 さん
富山市議会議員
(元 富山市議会議長)

・司会/中村孝一
(グッドラックとやま発行人)

松川の歴史を知り、シビックプライドの醸成を

中村 1987年に市民参加の座談会を開いたのですが、若い女性の方が「東京から友達が遊びに来ても富山で見せるところがないので、兼六園や高山へ連れて行ってしまった」と、悔しそうに発言されたんです。当時の城址公園は日本庭園はなく、広場でしたからね。その時、このままでは富山から人が流失してしまう、という危機感を持ちまして、富山の歴史を本格的に調べ始めたんです。
 立山町に疎開して育った私は、中心地の歴史をほとんど知らなかったのですが、調べるうちに、神通川の馳越線工事から生まれたのが松川だとわかりました。戦国時代に現在の松川の位置を蛇行して流れていた神通川が、度重なる氾濫を防ぐために明治期に直線化されたんですね。そして、この廃川地に建てられたのが、県庁、市役所、電気ビルなどです。
 このような壮大な歴史があるにもかかわらず、富山市民はもちろん、市役所職員でさえ、ほとんどその事実を知らないことに驚きました。例えば、富山市役所がなぜ帆船の形をしているのか。これは、設計者が神通川に多くの帆船が行き交っていた歴史を後世に残すためだと、私は設計者ご本人から直接伺っています。確かに桜橋側から見ると、展望塔をマストに見立てた見事な帆船のデザインです。この大切な歴史を市民が知らないのは、とても恥ずかしいことだと感じています。

村上 地元の愛宕小学校では、神通川と船橋の歴史をしっかり教えていただきました。中心部に住んでいた我々の世代は、当然知っているべきことだと思いますよ。

中村 この富山の歴史を後世に伝えていくためにも、松川を美しく環境整備して人がもっと集まるような場所にしたいと、松川遊覧船の運航をはじめ、様々な事業を行ってきました。まずは長年、行政にいらっしゃった酒井さんからご意見を伺いたいと思います。

都市計画の視点から松川のあり方を考える

酒井 私は富山県の職員として30年余り務めましたが、河川関係のセクションにいたのはわずか1年ほどで、むしろ業界や都市計画の視点から河川を見てきました。先輩に白井芳樹さんがおられますが、 彼は歴史や土木の歴史をも掘り起こして見直し、再編集されることをライフワークとし、何冊も本を出していらっしゃいます。最後の土木部長の時に私が部下にいて、いろいろなことたくさんを教えていただきました。
 その一番大きな話が神通川や馳越線、富山市の歴史などですが、白井さんも河川の人ではなく都市計画の方でしたので、河川事業を都市計画の一事業として俯瞰する視点を持っておられたのだと思います。その話をずっと聞きながら来ていることもあり、私の視点も違うのでしょうね。
 例えば今、松川の復旧工事をしていますが、上で水を止めて、下の堰を壊して水位を下げ、完全にコントロールしています。進入路を作って中で自由に仕事していますが、あんな河川はないです。だから、一般的な川とは違うということを前提に考えるのがいいのではと思います。流速も遅く、増水の予測も可能で、危険性も低いですから、通常の河川法を適用すべきではないようにも思います。

▼帆船が行き交っていた神通川の歴史を今に残す松川。お花見で賑わう遊覧船が往時を偲ばせる。

中村 松川には上流から入ってくる水をストップできるゼロカット水門があるので、河川法にとらわれずにもっと柔軟に考えてもいいですよね。川沿いにレストランやホテルの入り口を整備しているサンアントニオを見に行くと、絶対に水が上がらないように仕掛けがしてありました。その面でも、松川はそれに近づいていますね。森市長がサンアントニオへ視察に行かれた後、地下貯留管も作られたので、 さらにサンアントニオに近づいたわけです。
 ただサンアントニオの場合はメキシコ湾まで500キロ近く離れていますが、富山市は富山湾まで約10キロで万が一に逆流してくる恐れがないとはいえないということで、一旦ためる仕組みがちょっと違うんですよ。サンアントニオのようにどれだけ大雨が降ってもいい仕組みではないそうなんです。近づいてはいますが、絶対増水しないということではないと下水道局は言うんです。ただ昔のように下水が松川へ入るということは非常に少なくなったそうです。
 この地下貯留管を提案させていただいた時、私も入って市で委員会を作っていたんですが、予算がかかりすぎて地方都市では無理だと。けれど、大雨が降り、オープンしたばかりの大和の地下で浸水被害が発生。これはやるしかないということになったんです。

村上 以前からの構想があったからこそすぐに動けたわけで、シミュレーションとしては十分機能されたんだと思います。

針山 ここまでくると、中村さんの執念みたいなものですね。

松本 中村さんの話をお聞きして、ずいぶん苦労されたんだなと思いました。松川茶屋を城址公園内で営業される際も、大変難しい問題があったと思います。
 先ほどお名前の挙がった白井さんですが、本当に土木の生き字引で、新著ができたらすぐに送ってくださるんですが、本当によく調べられて記録として残しておられます。そして、詩心もあるので単に無味乾燥の記録じゃないんですね。ですから、ロマンを持っておられて、単に土木屋さんだけの視点ではないんですよね。

中村 本当に視野の広い方でしたので、中沖知事も重用されていたんだと思います。

松本 私は環水公園のそばに住んでいますが、母や叔母に聞きますと、昔の松川辺りは廃川地ということで、夜は怖くて歩けないような場所だったそうです。それが、このように遊覧船が行き交う賑わいのある場所に発展されて、本当に努力されたんだなぁということがよくわかります。これまでいろいろと行政視察させていただいてきましたが、これほど桜並木が凝縮されて川面とマッチしているところは、他ではありませんね。

中村 水資源が専門だった富山大学の西頭徳三学長にも「国内で中心部にこれだけの川が流れている街はありません」と言われ、びっくりしました。

松川と環水公園を繋げる上での課題

松本  公園内での営業ということで大変苦労されて、川べりのテラス席やリバー劇場などの仕掛けも作っておられますが、やはり松川と環水公園をつなげることができたらいいでしょうね。段差があって急流なのが課題ですが…。

中村 白井さんが部長の時、中沖知事からなんとか環水公園まで行けるようにできないかと言われ、当時の河川課長と技術者を乗せて5、6人で笹舟で下っていったことがあります。当時は牛島閘門が昔のままで通れず、外から見て帰ってきたんですが、その後で復元されたんです。
松川から環水公園までは高低差があり、船で行けないことを知られた中沖知事は、松川から下ってきた船をいたち川で停めて、乗り換えて、環水公園までは少し歩いて、そこからまた乗ることにしたらどうかという発想をされ、当時の河川担当者が遊覧船を停める船着き場を2カ所作っておられます。それほど松川と環水公園を一体化されたかったんでしょう。

▼松川を訪れる人の増加は、その歴史に関心を持つ人の増加にもつながる。

針山 市議会でも、この問題については質問が出ていましたね。

中村 約2メートルほどの段差がありますので、逆に2メートル船橋まで掘り込めたら水位が一番少ないところでも上流で1メーターほど確保できます。すると船は行けるようになりますが、 橋の橋台を作り直さないといけないという大問題があるんです。

針山 水陸両用の船にするという手もありますよね。

中村  そういう案もありまして、乗り継ぎできるような場所を作ればできないことはないですね。

松本 中村さんの構想は壮大ゆえに、管理者の特に県の協力を得ないと難しいですね。

中村 以前、富山河川国道事務所の所長さんから、松川を県から市に移管してもらうという方法があると教えていただいたことがあります。松川だけ、しかも区間限定にされてもいいと。きちんと契約を交わせば、市で管理できるんだとおっしゃっていました。

酒井 神通川の廃川地に県庁や富山市役所も建ち、その場所で今なりわいをしている人たちもいる。まずその人たちが足元の歴史や価値を共有することが大事だと思いますし、松川はそれをつなぎとめる唯一の都市施設といえますね。

松川の歴史から富山の成り立ちを知る

村上 この神通川と松川にまつわる歴史は、富山市民はもちろん、 県外からの学生さんにもぜひ知っていただければ、さらに広がりを持ちますね。富山市に住民票を移しただけで運転免許の取得費用3万円などがもらえるという「富山市大学生等居住促進事業」というのがあるんですが、これからもこの事業を継続するのであれば、市内を巡って富山について知っていただくことも条件に入れることが大事かなと思っています。

針山 私は旧市街の出身ではないので、松川の歴史についてはほとんど知りませんでした。中村さんの誘いでサンアントニオへ視察に行かせていただき、川を活かした素晴らしい街づくりに感激して富山に帰ってきて、松川もそのように事業展開をしていけるのではないかと思いましたが、莫大なお金がかかる上に行政との関係もあります。それにめげずに中村さんがここまでやってこられたという努力について、本当に頭の下がる思いを持っております。
 私は和合の生まれで、神通川を下って西の方にある八幡小学校の道路は、昔は神通川の土手があった場所だと聞いておりました。なので、ここは洪水にはなりにくい場所だとわかるんですね。そういった面でも、地元の歴史を知ることは大切だと思います。

村上 やはり、神通川と松川にまつわる富山の歴史を知らないと、中村さんのようにこれをもっと良くしようという情熱をなかなか持てないと思うんです。まず多くの方に知っていただくということから始めないと、なかなか機運は盛り上がらないと思いますので、多くの方に関心を持っていただける仕掛けが必要でしょうね。

知ってもらうことから松川への関心を高めよう

酒井 大切なのは松川を愛する人たちが集まり、心を一つにしていくことだと思います。それが、お金や、法律、行政の問題を超えていく力になるのではないでしょうか。そういった面では、松川でお祭りをするのはいいですよね。その時は、県庁裏の一方通行の道や、向こうへ抜けていく道も少しぐらい止めてもいいんではないでしょうか。

村上 そうですね。松川べりで、盛大にイベントを企画できるといいですね。

中村 現在は能登半島地震による被害の復旧工事中ですが、春にはお花見遊覧船の運航を再開します。工事が終われば、リバーフェスタも川べりでまた開催できると思いますので、松川と神通川の歴史について知っていただける機会をできるだけ作っていきたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

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