夢を現実にした街―サンアントニオ A Dream Come True

’97 街づくりキャンペーン
「サンアントニオ水都物語」の著者 バーノン・G・ズンカー氏に聞く!

■インタビュアー 中村孝一(月刊グッドラックとやま発行人兼編集長)

今やリバーフロントのお手本として、世界中から視察者が絶えない街、アメリカテキサス州のサンアントニオ市。
市内中心部を流れるサンアントニオ川の一帯を自然の緑とお洒落なカフェテラス、ブティックなどが混在する美しくもにぎやかな空間に整備し、世界中からコンベンション客や観光客が訪れている。
サンアントニオ川一帯を公園化するというそもそもの発案者はロバート・ハグマンという地元の建築家だが、彼の業績をまとめたのが今回ご登場いただくバーノン・G・ズンカー氏である。

 

 

アメリカのベニスを目指す―ハグマンの夢が現実に

中村 ハグマンさんの業績を書かれた著書「サンアントニオ水都物語―一つの夢が現実に―」(原題/A DREAM COME TRUE)の序文で、「ハグマンが成し遂げた仕事は、日本にいる皆さんの心をも動かし、皆さんを自分たちが住む生活環境の改善や水路の美化の為に貢献したいという気持ちにさせるでしょう。この本を読んで、近い将来、是非ともサンアントニオのリバーウォークを訪れる気になってもらいたい。私は皆さん一人ひとりとお話ができる日を心待ちにしています」とありましたので、訪ねてきたんですよ。

ズンカー そうでしたか。ようこそいらっしゃいました。

中村 ところで、「サンアントニオ水都物語」を書かれたきっかけは何だったんでしょう。

ズンカー ある時、川沿いを散歩していたら、ひとりの旅行者から、「こんなにすばらしいリバーウォーク(川沿いの散歩道)ができると見通したのは、いったい誰だったんですか?」とまこに興味深い質問を受けたんです。そこで初めていろんなことを考え始め、散歩道沿いのレストランの経営者の方と話をしていた時に、「あなたは、大学の本などいろいろ書いておられるので、この川に貢献したロバート・ハグマンさんについても書かれたらいいんじゃないですか?」ということで、そこから始まったんです。

中村 それはロバート・W・フェルプス夫妻ですね。

ズンカー そうです。

中村 もし、そのフェルプスさんが言われなかったら、この本を書くきっかけはなかったと。

ズンカー なかったかもしれないですね。当時、私は大学の教授でして、大学の教科書を書いたり、心理学者としても忙しくて、時間がなかったですから。フェスプスさんたちが経済上など、様々な面で援助してくれたんですね。もちろん、私が書くために使った時間に関しては全くのボランティアですが。

中村 そうでしたか。

ズンカー ところで、実際にいらっしゃってサンアントニオの雰囲気はいかがですか。

中村 すばらしいですね。昨夜、アーネソン・リバー劇場(注/川沿いにある劇場)でスペインのショーを見たんですが、ディズニーランドのエンターテイメント以上に感動しました。

ズンカー ここは、ディズニーランドのように架空に作られたものではなく、自然と全てが調和していますので、感動されるのも無理はないでしょう。

 

 

水位の一定化が最優先課題

中村 さて、あなたの本を読みますと、ハグマンはまず水位を一定化することが一番大事で、そうしないと何も始まらないと。リバーウォークも作れないし、お店も作れない、と書いてありましたね。

ズンカー その通りです。水のレベルが一番大切ですね。

中村 このサンアントニオ川の開発にあたって、ハグマンは、「単なる小川として開発するのではなく、アメリカのベニスを目指す」というはっきりした考えを持っていましたね。

ズンカー そう、ゴンドラを浮かべ、それに乗って楽しもうと。

中村 それは、すごい考えだと思いますね。

ズンカー そういった彼の情熱に心動かされて、私は本を書く気持ちになった訳なんです。開発に携わった他の方々のほとんどは、利益の為とか、見返りを要したんですけれど、ハグマンに関しては、ただ単に純粋に川に対して情熱を注がれたんです。

中村 ニューオーリンズで若い頃3年間過ごし、歴史的な街並みであるフレンチクォーターの魅力溢れる保存事業に影響を受け、サンアントニオ川の保存と開発計画を思い描いたと。

ズンカー そう、彼は、専門家として大いに影響を受けました。

中村 また、河畔沿いに店舗やレストランを提案し、詳細な図面も描いていますね。

ズンカー ええ、ハグマンは「スペインの古い案内書を読んだ」と述べていますが、地中海に浮かぶマリョルカ島から、「アラゴンとロミュラの商店街」というロマンチックな名称を借用したそうです。島の中でも最も大きなパルマ市には、車に煩わされることなくブラブラと買物のできる、狭い曲がりくねった歩行者専用地区があり、道に沿ってカラフルな店舗もたくさんあって、それがリバーウォーク沿いの「リバーショップ」や、「世界の料理店:のモデルになったようです。〝自然の美しさと商業的活気〟そして〝川の特色と魅力、歴史性、古い界隈性の保存〟といった事が、彼のリバーウォークのテーマでした。〝他に例のない雰囲気を創造する〟のが彼の夢だったのです。

中村 確かに、ベニスとくらべて、こちらのリバーウォークの方が、自然の美しさと、レストランやホテル、お店の賑わいといったバランスが素晴らしいですね。

ズンカー そう、それがハグマン先生のアイディアだった、ということですね。

中村 ベニスの場合、歴史的建造物や古い界隈性の保存という点では大変すぐれ、〝旅情〟が漂っているんですが、運河沿いに木がないので、自然の美しさとの調和という点では物足りないですよね。

ズンカー 海水ですから、木も育たなければ植物も育ちませんし、海水が増えると教会が沈んだりすることもありますしね。

中村 さすが〝水の都〟の本家ですよね。しかし、賑わいの面で言えば、このサンアントニオ・リバーウォークはベニスとそっくりですね。

ズンカー 昔は、ここでカウボーイたちが強いお酒を一気飲みして大騒ぎしたり、すごい所だったんです。小さなグラスにウィスキーが入って10セント、それに氷を入れた水割りの方が15セント。そちらの方が高かったんです。とにかく、ここサンアントニオでは、いろいろな文化が生まれて成り立っている訳ですね。

 

 

世界万博契機にリバーウォークが発展

中村 ハグマンは、リバーウォークの利用をうながす為、川に正面を向けた事務所を開いて、自らのポリシーを実行したそうですね。

ズンカー そうです。

中村 ということは、その頃でもまだ川側を正面にするという考えは一般にはなかったわけですね。

ズンカー そうですね。1946年時点でも、私がリバーウォークに言ったら、お巡りさんに、「危ないから早く帰りなさい」と言われましたね。その後、1960年代までは、何もないっていうか、人を魅了するようなものは何もなくて治安の悪い所だったですね。

中村 お店を川に向けた街ができるまで、働きかけがいろいろあったんでしょうか。

ズンカー そうですね。1941年にリバーウォークが出来てから、若干そういうふうに、川に向けるようにしてきました。ただ、決定的な理由というか動機は、やはり、1968年の世界万博がここで開かれたことでしょう。6カ月間は川に向けてお店が並んでいたんですが、万博が終わると撤去してさびしくなったんです。それを見て、川を開発していく上では、お店を川に向けた方がいいと。みんながそう思うようになり、関係者に働きかけをして、今のようになってきたんですね。

 

 

一時は埋め立ての話も

中村 サンアントニオの一帯は、もともと砂漠地帯だったんですよね。

ズンカー そうです。サンアントニオに一番最初に入ってきた人たちはまず最初に水探しをしたんです。水を探すプロも何人か送り込まれていて、その時にサンアントニオ川を見つけ出したそうです。そして、アラモもその一つですが、5つのミッション(伝道所)を建てたんです。こうして川沿いに町ができていきました。

中村 リバーウォーク誕生の物語は大洪水に始まるんですね。

ズンカー そうです。1921年の集中豪雨による洪水がサンアントニオ川の堤防を越えて都心部を襲ったんです。50人以上も死者が出て、その時住民たちがなんとか洪水対策をと市に働きかけて、バイパスが出来たんです。しかし一方で雨は3カ月も降らないことがあり、水門ができるまでは川に水がなくなる、というひどい状況でした。匂いもしたし、汚いところだったものですから、サンアントニオ市でも、見たくないということで、バイパスを通したあと廃川地となったこの馬蹄形の大湾曲地帯を埋め立てて、道路を作ろうとしたんですね。その話が市民グループの耳に届くと、大論争が巻き起こったんです。
 婦人団体やサンアントニオ保全協会は、「親しみのある曲がりくねった自然のままのサンアントニオ川」が埋め立てられ、道路にされることを強力に反対したのです。

中村 富山も松川にフタをして、駐車場や道路にしようという計画があって危なかったんですよ。

 

 

水門がリバーウォークの〝命〟

中村 サンアントニオ川のリバーウォークには上流側と下流側にそれぞれ水門がありますね。バイパス側が増水した時には、水門を閉めることによって屈曲部への水の流入を完全にストップできますよね。この水門を作ったことがリバーウォークの開発につながったんですね。

ズンカー そうです。私の本に絵が載っています。

中村 富山の松川の場合は、上流の水門でゼロカットできるのですが、下流側でいたち川と接続しているため、大雨でこの川が増水すると、最大3・5mにもなり、松川へ逆流する形で増水するんです。
 そこで、松川といたち川の接続部分に、サンアントニオ川と同じように水門を作れたら、いたち川から水が逆流しそうになったらストップできるんです。
 そして普通の時は、開けておけば、船も通れますしね。

ズンカー それが一番安あがりですね。

中村 ただ、いたち川は流れが速くて現在のままでは船が通れないんです。
 それで、川底を浚渫すると共に下流の方に堰を作って水深を確保し、水の流れを遅くする方法が考えられているんです。ただし、1カ所だけで2・9mも堰上げした場合、水位が橋の方まできて船が通れなくなりますので、途中で閘門のような水位調整施設が必要になってくるんです。

ズンカー 松川・いたち川はサンアントニオ川に非常に似ていますから参考にされたらよいですね。

中村 そうですね。いたち川は洪水対策からももっと浚渫して深くしなければなりません。サンアントニオ川の場合、下流の水位調整堰から上流の大湾曲部(リバーウォーク)までの川底は高低差が少ないですが、はじめからそうだったのですか?

ズンカー いいえ!高低差を少なくするため川底を深く掘ったんですね。河川修景事業の最重要点は、川底を浚渫して深くすることでした。そうすることによって、下流の水位調整堰1カ所だけで、リバーウォークの水位は3キロ上流まで最低1mに保つことが出来るのです。増水時にはこの堰を倒しますので洪水にも安心というわけです。その場合、リバーウォークの水が流れ出さないよう、水門でせき止めしています。

中村 なるほど、人間の知恵ですね。私共の中沖知事もいつも「知恵を出せ!知恵を出せ!」とおっしゃっているんです。あなたの著書「A DREAM COME TRUE」にあるように、〝夢を現実に!〟にする為、ベストを尽くしていきたいと思います。

ズンカー いろんなことがあると思いますけど、どうぞ連絡して下さい。

中村 サンキューベリーマッチ。今日はどうもありがとうございました。

 

 

 

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