政治が後追いになるようではいけない

富山県議会 議長 稗苗 清吉 さん
Seikichi Hienae

 5月28日に、天皇皇后両陛下をお迎えして全国植樹祭が魚津で開催されたが、その晴れ舞台を県議会議長として迎えた稗苗さん。
 中学卒業後、魚津市内の企業に就職し、20年程経った36歳の時、魚津市議会議員にチャレンジして初当選。5期務め副議長、議長も経験。その後、県議会にチャレンジし、現在、5期目。市議を含めた議員歴は、37年に及ぶ。
 政治家を志したのは、近くの集落の住民の集団離村(昭和47年)がきっかけという。
 「集団離村の2年後に、そこに通じている道路がピッカピカに改修になった。そしたら、〝いや、こんな道路がいいがになるとわかっとったら、私ら町へ出てこんがだった〟と。僕は、政治が後追いになるようではダメだなと。つまり、病気になってから病院に入って手術するのではなく、予防的に病気にならない体力づくりをする。そういうことを、政治がきっちりと示さなければいけない、と思っています」

 魚津市の松倉に住まいがある。
 「戦国時代に、越中三大山城と言われる松倉城がありました。早月川の右岸に位置し、難攻不落の城として知られます。大河ドラマで直江兼続が魚津城を攻めた場面がありましたが、魚津城は松倉城の出城なんです。13の集落が点在していますが、それは加賀藩の隠れ金山である松倉金山があったからです。一説には佐渡の金山よりも採掘量が多かったと言われ、集落には、金森、金子、金岩、金山とか、〝金〟の字を名字に入れている人がたくさんいらっしゃいますが、その名残りなんですよ」
 明治時代に、一時期、県庁が魚津市に置かれたのも、こうした背景があるようだ。
 「政治は現場にある」、が信条で、住民の声に耳を傾ける。
 夢は、自身の考えを受け継いでくれる人を育てること。
 「それが私の使命だと思っています」

 

プロフィール ●
1944年(昭和19年)4月10日、魚津市生まれ。4歳に父を亡くし、母に育てられる。魚津市西部中卒。1979年、日本青年会議所富山ブロック協会員開発特別委員長。1980年の魚津市議選で初当選。同年、JC富山ブロック協議会副会長。副議長や議長を経験。1987年、魚津商工会議所青年部長。1999年の県議選で初当選し、経営企画委員長や副議長などを歴任。2月定例会で125代議長に就任(魚津市選挙区の県議として22年ぶり)。魚津市稗畠の自宅で、妻と長女夫婦、孫4人の8人暮らし。「今年、結婚して50年で、金婚式です」

 

Q&A

●座右の銘
 「顧みて明日を思う」
 松下幸之助の言葉

●一番大切にしているもの
 奥様

●尊敬する人
 田中正造
 「足尾銅山鉱毒事件の時にがんばった方です」

●趣味
 農業
 「まだ現役の農家ですので、農業をやっていると、一番元気になるんです(笑)」

●朝市
 「15年程前から、『松倉もちより市』という、朝市をやっています。野生のニホンザルに荒らされて、それでもとれた野菜を私のオフィスの前に持ち寄って頂いて、毎週日曜の朝8時半から。50人程、リピーターの方が買いに来られます。すぐになくなるので、7時半ぐらいから並んで待っておられます。家内もそこでよもぎ餅を作っているのですが、これも大変好評です。よもぎは、男の我々が山へ入ってとってきます(笑)」


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