バリトンリサイタルに夢のせて!

声楽家 浅岡節夫さん
Setsuo Asaoka

 88歳、米寿を記念し、バリトンリサイタルを国内で初めて企画した。
 1931年4月29日(天長節)生まれ。「藤原義江の『出船の港』、ドントドントを聞きながら、産湯に浸かっていました」。レコード好きの父が買ってくる歌をすべて覚え、周りを驚かす。新天地を求め、父が親しかった岸信介、椎名悦三郎と共に、家族全員で満州(新京)に渡るが、支那事変がおこり、帰国、神奈川へ。東京・目黒で小学校に入学。麻布の中学に入学する頃には、大東亜戦争が激しくなり、本所・深川の大空襲を機に富山へ。富山中学2年の時、8月2日未明の富山大空襲で、再び戦災に遭う。失意の中、処女作〝幻滅〟(北原白秋・詩)を作曲。「音楽が私の精神を支えてくれました」
 「文化不毛の地・富山」の汚名を返上すべく、グッドラック誌面に〝オペラ座のある街・富山〟と大胆な提言を発表。その後、市が新公会堂の構想を立てるにあたり、委託された東京のコンサルタントがグッドラックを購入、この記事を目にし、強く心を打たれ、オペラもできる施設を念頭に、オーバード・ホールを設計した。
 また、滝廉太郎が2年間、富山城を見ながら育った、という事実に着目、この貴重な歴史・人物遺産をもっと知ってもらおうと、〝滝廉太郎祭〟では音楽監督を務め、2015年、「滝廉太郎研究会」設立にあたって、発起人・会長に就任。
 川が大好き。2003年、神通川直線化100周年を記念し、「川と街づくり国際フォーラム」の実行委員長に。このフォーラムで、「夢の神通回廊」の創造の成功に向けて、粘り強く、松川を愛する仲間を増やしていくことの重要性に気づき、昨年、『〝水の都とやま〟推進協議会』を立ち上げ、発起人・会長に就任。
 今回のリサイタルのテーマは、「昭和を偲んで―。」唱歌、カンツォーネ、ミュージカル、オペラまで、米寿の節目にこだわり抜いた全5ステージより構成。富山の音楽界に忘れ得ぬ変革をもたらした、一人の巨人の足跡は、毎年、春の訪れを告げる松川の桜のように、いつまでも人々の心に思い出されるにちがいない。


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