夢を掲げ、情熱を持って広い視野で取り組もう

一般社団法人 富山県薬業連合会
会長

中井 敏郎 さん
Toshiro Nakai

 

 

「富山の薬」、1兆円産業を目指す

 富山2代藩主・前田正甫公が全国に広めた「反魂丹」に始まる富山県の薬業界。その中枢団体である富山県薬業連合会の会長を務める中井さん。先日開いた「世界に羽ばたく薬都とやま大会」で、「1兆円産業を目指したい」と目標を掲げた。
 「富山の薬業界も新型コロナの影響でかなり痛めつけられていますが、業界としての目標を持つということはやっぱり必要です。情熱を持って業界で1兆円にしたいんだ、というのと、ただ、やりましょう、というのとでは全然違うと思います」
 富山県の医薬品生産金額は、2015年、2016年と2年連続で全国1位を獲得したが、直近の2019年の集計では4位に後退している。
 「厚労省の生産高のとらえ方が変わってきているのと、静岡など他の県で高額なバイオ医薬品の生産高が増えているのが理由です」
 今後の課題は、バイオ医薬品にも取り組むことと、生産技術を高めること。
 「生産技術のトレンドが変わってきています。〝連続生産〟と言いますが、今、厚労省などが進めています。富山県下でやってるところはないですが、県の薬事研究所(県薬事総合研究開発センター)に機械が入ってますから、それを利用して県内のメーカーがこれからやり始めると思います。そういうものをやっていかないと、コストを抑えるということに繋がっていかないですからね」

 

配置家庭薬が支えてきた富山の経済

 厳しい時代を迎えているが、富山の薬業界は、情熱とグローバルな視野を受け継いでいると強調する。
 「富山藩は貧乏な10万石で、しかも米の取れ高は6万石しかなくて、4万石は売薬で稼いでいました。もっと言えば、売薬さんは北前船で薩摩に昆布を運んで、代わりに高級薬の朝鮮人参を受けとっていました。薩摩はその昆布を中国に密貿易で輸出して、倒幕資金を稼いだんです。薩摩藩も赤字、富山藩も赤字。貧乏人同士で知恵を出した。なんとかしなければいけない、というDNAを富山の薬業界は持っているんです」

 

サンアントニオの摩訶不思議な魅力

 今から40年程前、中井さんがまだ30代の頃、アメリカ・テキサス州サンアントニオ市にあるテキサス大学を医薬品の見学・研修のために訪れた。
 「その時、ジョン・ウェイン主演の映画『アラモ』の舞台であるアラモの砦を見に行ったんです。感動的な映画でしたからね。何万人を相手に百何十人が死ぬ気で戦って、最後は全員玉砕するわけですが。この時見た近くのリバーウォークが、とてもいい所だったんです」
 以来、5回程訪れている。
 「サンアントニオっていうのはね、摩訶不思議な所なんです。それから、夜を知らなきゃ駄目なんです」
 サンアントニオが大好きになった中井さんは、松川沿いをサンアントニオのようにすればよいと行政に提案したが、無視されてしまう。
 「松川や街に対する愛情、情熱がない、と思いました。市民も松川の大切さに気づいていない。当時は、観光より産業、ものづくりということに邁進していましたね」
 実際、1970年頃、下水の流入で臭くなった松川にコンクリートで蓋をして、上を駐車場にするという計画が持ち上がったほどである。

 

富山市との姉妹提携の話もあった

 1980年代、サンアントニオ市の国際局長が姉妹都市の候補として富山市を訪問。川が街の真ん中を流れていること、医薬品のメーカーがある、という2つの理由からで、洪水防止のためにバイパスを作ったという歴史も同じだった。しかし、当時の富山市長が入院中で、その後訪れたもう一つの候補地・熊本市と姉妹提携を結ぶことになった。
 「富山の方がよかったと思いますよ。この時、コンパクトシティの一つの夢がちょっと挫折したんです。当時の中沖知事にも報告したら、残念がっておられました」
 ちなみに、中沖元知事も、経済評論家の竹村健一氏からサンアントニオの素晴らしさを聞き、1989年に県の「青年の翼」の名誉団長として現地を訪問している。

 

松川が良くなれば富山市が良くなる

 中井さんは、〝こんな街にしたい〟ということを言い続けることが必要と力説する。
 「物事は、熱くならないと駄目なんです。薬業界も同じ。みんなでこういう方向へ進もうとベクトルを合わせていく。富山市を良くする時も、松川を良くすれば自然に良くなるんですよ。人通りも良くなりますしね。街には川が必要なんです。魚がいて、花が咲いて、蛍が飛ぶようなね。そして、酔っぱらって飛び込んでも安全な川にする。川のぎりぎりのところにホテルを建てて、テラスを作る。一言で言うと、風情ですよ。それは一番贅沢であり、文化であり、和みです。また、コンベンションホールを作っていろんなイベントをやる。そういうふうにすれば、人は集まると思いますよ。そして、これだけ公共交通が整備されたので、今度は船で行き来できるようなこともやったらいいと思いますね」 


▲川のすぐそばにあるホテル(アメリカ・テキサス州 サンアントニオ)


▲川沿いのテラスのロマンチックな夜(サンアントニオ)

 

プロフィール ●
1944年(昭和19年)10月20日生まれ。O型。富山市総曲輪で育ち、立教高校、立教大学と7年間東京で過ごした。家業である東亜薬品㈱を継ぐため帰富。以来、世界をかける。平成16年11月1日から平成25年10月31日まで富山商工会議所副会頭を務めた。
東亜薬品(株)は1940年に設立。1987年7月に中井敏郎氏が社長に就任。1994年4月に日東メディック㈱を設立。昨年8月、中井敏郎氏は代表取締役会長に、長男の中井淳氏が代表取締役社長に就任。今期の売上予想は約270億円。 関連会社/日東メディック(株)、リードケミカル(株)

 

 


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